チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2011年2月17日

ウーセルさんのツイッターより「シュクデン問題」

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359a7305.jpgウーセルさんは去年7月20日のツイッター上でシュクデンの問題を論じられた
。自身で訪れ調査した南カム地方(雲南省)の僧院レポートから初め、シュクデンと中国当局の関係、シュクデンとチベット仏教全般の関係について語られている。

翻訳は雲南太郎さん。

写真は「ドルジェ・シュクデン像」:ウィキペより。

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 雲南省デチェン州シャングリラ県のスンツェリン・ゴンパには八つのカムツェン(出身地別分院)がある。私が2000年夏に訪ねた時、ドルジェ・シュクデンを祀っていたのはチャンテン(四川郷城)のカムツェンだけだったが、08年6月に再訪すると既に五つのカムツェンが祀っていた。理由を聞くと、政府がお金をくれ、シュクデン像を置くよう要求したからだと僧侶は言った。スンツェリン・ゴンパのトゥルクはすべてシュクデンを信奉しており、当局は地位と厚遇を与えている。信奉しない者は排斥される。

 スンツェリン・ゴンパを指揮するトゥルクは克斯(クスル?)という名前で、インドのチベット寺院で学んで帰ってきた。大きなシュクデンの塑像はゴンパ内の僧侶たちを2つの派閥に分けてしまった。彼は当局に歓迎される人物となり、政府に属するスンツェリン・ゴンパ管理局副局長の役職を得た。3・14事件後、彼はテレビや新聞で活躍し、ダライ・ラマを激しく攻撃した。

 チャンテンのサンペルリン・ゴンパとチューペルリン・ゴンパはチベット本土のシュクデン信者の主要拠点だ。数年前、サンペルリン・ゴンパは移転新築し、当局は100万元を支出した。ほかの教派のゴンパにこれほどの厚遇はまったく与えられていない。私が08年6月にカムとアムドに出かけた時、五星紅旗を掲げるゴンパは道中でチューペルリン・ゴンパだけだった。僧侶に問うと、私たちが掲げたものだ、こうすれば政府がお金をくれるんだと言った。

 2001年末、テンジン・デレク・リンポチェは「爆破事件」への関与をでっち上げられ、執行猶予付きの死刑判決を受けた。幅広く民衆の信奉を得ており、今でも市民は冤罪を主張している。彼が役人やリタン・ゴンパのトゥルク(当局に歓迎されている人物)の恨みを買った原因の一つは、シュクデン信仰を捨て、正しく仏法を修めるよう僧侶に呼びかけたことだ。このために陥れられた。

 カム北部セルタ、ラルン・ガル・ゴンパのケンポ・ジグメ・プンツォク法王は、シュクデンがチベット仏教に及ぼす危害を法会で何度も述べている。悪魔を祀るな、悪魔の修練を行うな、さもなくば修行の成就はないと信徒に呼びかけ、当局の不満を招いた。1999年以降、当局は2000以上の僧坊を強制的に取り壊した。数千人の尼僧は当局の逮捕を逃れるためにさすらい、離散している。5年後、ケンポ・ジグメ・プンツォク法王は円寂した。

 ラサのガンデン・ゴンパは、清浄なるツォンカパ大師が創立した仏法に依って鬼神に依らないゲルク派修行場であることを示すために、僧侶らは06年3月14日、ある経堂のシュクデン塑像を倒した。この結果、数人の僧侶は投獄され、重い刑を受けた。当局は再建のために支出し、新しいシュクデン像をおごそかにガンデン・ゴンパに安置し、「信仰の自由を守った」と触れ回った。

 イタリアのガンチェン・ラマは元々、1963年に本土の小さなゴンパからインドへと亡命を強いられた「トゥルク」だった。しかし、シュクデンを信奉し、ダライ・ラマに反対したため、今では中国政府の賓客になっている。胡錦涛と温家宝に面会し、北京とチベットを毎年行き来している。聞くところでは、関係部門は彼に北京の家や車を与えたという。

 いつも漢族地帯を往来し、「雪域十明文化伝承者」を自任するアムド、ラブラン・ゴンパの僧侶コツェ・ツルティムは、ゴンパに戻った時、一緒にガンチェン・ラマに帰依しようと有名なラマ僧に勧めた。当局がガンチェン・ラマに与える予算が多いというのが理由だ。

 宗教を「精神のアヘン」と見なす共産党政権は1950年代から現在まで、ゴンパを破壊したり、僧侶を改造したりしてきた。しかしシュクデン問題になると、公民の信仰の自由を自分たちがどう尊重し、保護しているかと大々的に語り、ダライ・ラマは「正常な宗教秩序を破壊」する「分裂分子」にされた。中国当局のシュクデン派援助は決して宗教信仰を維持するためではなく、シュクデン問題を利用しているに過ぎない。

 シュクデン派の機嫌を取り、満足させるため、当局はシュクデン派が嫌うグル・リンポチェ像をわざわざ取り壊している。たとえば当局は07年5月、武装した軍と警察をロカのサムイェ・ゴンパに派遣し、金銀が使われた新しいグル・リンポチェ像を破壊した。同年9月にはンガリのプラン県青郷で、武装した軍と警察がブルドーザーで新しいグル・リンポチェ像を倒した。

 97年2月4日には、南インドのゴンパのシュクデン信徒6人がダラムサラ仏教論理学院学長と2人の僧侶を殺害するという事件が起こった。その後、彼らはすぐにチベット本土に逃げた。ある情報によれば、6人は共産党政府の褒賞を受けたという。

 国際刑事警察機構が指名手配した2人の容疑者ロプサン・チュダとテンジン・チュジンは既にチャンテンに戻っている。現地の人の話では、2人を含む数人の容疑者は現在、公然とバーを開き、大手を振って町を歩いている。彼らが3人のラマを殺害したことは多くの人が知っているという。それでも彼らが逮捕されていないのは意味深長だ。

 ラサのあるお年寄りはかつて私に言った。「チベット人という民族は優れた点も多いが、悪い部分も多い。心が狭く、団結せず、各地区各教派は分裂している。国外のチベット人までそうだ。ゲルク派には保守派があり、シュクデンを崇め、ニンマやカギュ、サキャなどの教派を排斥し、分裂を生み出している。チベット人の中には貪欲者がいて、シュクデンを今生で最高の飯の種にしている」

 中国当局にすれば、最高の飯の種を求める者がはいつくばり、都合良く「分裂分子の頭目」――尊者ダライ・ラマ――に狙いを定め、毒矢を放ってくれるのだから、どうしてシュクデンを手放せよう?

 シュクデン問題はいまや宗教問題にとどまらない。尊者ダライ・ラマが宗教的な方法で処理しようとしても、この問題はもう根本的に変化してしまっている。黒幕が背後で漁夫の利を得ようと企む政治問題に変わってしまった。最高の飯の種を求めるチベット人が私欲を求め、名誉と利益を得る政治問題に変わってしまった。

 シュクデンという宗教問題は長い間解決する方法がないままに、ダライ・ラマの宗教改革は妨害に遭い続けてきた。実はその原因はもうチベット仏教やチベット人社会の内部にはなく、外部の力が陰に陽に強く介入している点にある。この外部の力こそ中国共産党だ。それはいつものやり方――アメとムチの政策だ。援助を差し伸べ、攻撃する。硬軟両様の戦術を取り、「硬」で宗教問題を政治化する。そうして政治問題になってしまった。

 08年3月のチベット事件の刺激により、共産党当局はダライ・ラマの顔をつぶすため、シュクデン派がダライ・ラマにどう抗議しているかを初めてメディアで大げさに伝え、この問題や真相を知らない中国人を惑わせようとした。そしてシュクデン派は怪しくも初めて豊かな財力を持つようになり、世界を飛び回り、ダライ・ラマが向かったすべての場所で声高に叫ぶことができるようになった……。

 シュクデン問題で最も際立つのは、シュクデン信奉者が原理主義者であり、ゲルク派だけを正統な仏教だと考え、まったく寛容を持ち合わせず、他教派を排斥し、正統ではないと見なしていることだ。ダライ・ラマは教派の争いによる将来のチベット仏教分裂を望んでおらず、シュクデン派のこうした原理主義こそが宗教の自由の否定だと考えている。

 シュクデン信仰は宗教信仰ではなく、ある一つの霊魂を崇めるというだけだ。もし霊魂崇拝によって、豊かな教化の源を持つチベット仏教がただの神霊信仰に成り果てるのなら、あまりにも遺憾だ。だからこそダライ・ラマは率先して自派のゲルク派から整え始めた。これは事実上、600年前にツォンカパ大師がチベット仏教に行った偉大な改革に次ぐもう一つの偉大な改革だ!

 ツォンカパ大師当時のチベットはまだ自主的に動けた時代で、宗教事務はすべて宗教界の者で処理できた。だからツォンカパ大師は順調に宗教改革を成し遂げることができた。しかし、今日のチベットに独立した「政」は既になく、更に自主的な「教」もない。このため、外来の強権が宗教内部の問題に介入し、利用できるようになり、宗教問題が政治問題に変わった。これはチベット仏教が受けざるを得ない災禍だ。

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ツイッター上の原文:
https://twitter.com/degewa/status/18974121298
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https://twitter.com/degewa/status/18975885776

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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