チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2011年2月15日

ダライ・ラマ法王の甥ジグメ・ノルブ氏、チベット問題を訴え行進中、車にはねられ死亡

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ジグメ・ノルブ(45)C/R APとても悲しいニュースが入った。
ダライ・ラマ法王の甥であられるジグメ・ノルブའཇིགས་མེད་ནོར་བུ་氏がフロリダでチベット問題を訴える行進中に車にはねられ、亡くなられてしまった。ノルブ氏は45歳、三人のお子さんがおられる。氏は法王のお兄さん故タクツェル・リンポチェの三男である。

ノルブ氏は父親である独立派の長老タクツェル・リンポチェがチベットの窮状を訴えために度々徒歩行進を行われていたことにならい、これまでにアメリカを中心に徒歩や自転車で行進を行われて来た。今までに19回の行進を行われ、その総距離は何と7800マイル(約12500キロメートル)に達するという。

今回はフロリダの東海岸をSt. Augustineから南に下がり、West Palm Beachまでの300マイルを歩く計画であった。この計画路線は以下で確認できる。http://p.tl/Ju9e 14日に出発し26日には目的地に到着する計画であった。計算すると、実に一日に40km平均で歩く計画であることが分る。

ノルブ氏は他の2人とともに昨日St. Augustineを出発し、A1Aハイウェー脇の歩道を歩き、その日の目的地であるHammockにあるレストランまで後3分という所まで来ていた。一緒に歩いていた2人は先にレストランに到着し、ノルブ氏の到着を待っていた。レストランのオーナーであるCollins女史は車でノルブ氏に近づきココナツミルクを元気付けに飲ませたという。

ジグメ・ノルブノルブ氏に会った最後の人となったCollins女史は「彼は微笑み、静かだった。彼は『君は何で私がこんなことをしているか知っているだろう。これがチベットの国旗だ。これが理由だ』と言った」と彼の最後の言葉を伝えた。彼女はレストランに帰り彼のためのディナーテーブルを用意し、その上に左の写真にあるノートを添えた。「チベットグループ様。自宅のようにくつろいで下さい。あなた方をお迎えし光栄です」。

ジグメ・ノルブ氏をはねた車彼女が去った後、間もなくして彼は車にはねられた。左の写真がその車だが、人をはねたとは思えないほどにひどく壊れている。即死であったと思われる。

ノルブ氏は普段インディアナのブルーミントンで「スノーライオン」というレストランを経営されていたが、お父さんであるタクツェル・リンポチェが亡くなられた後は特に盛んに徒歩行進を行われていた。去年の秋にはインディアナポリスからトロントまで557マイルを歩き、冬12月には台湾に渡り250マイル歩かれている。

ダラムサラでは明朝、ジグメ・ノルブ氏の追悼式がツクラカンで行われる。
彼は法王の甥の中でも特に活動家として目立った存在であられた。
ご冥福を深くお祈りする。

———————————————————

亡くなられる一日前、フロリダに到着した時の写真がhttp://www.ambassadorsforworldpeace.org/ に載せられている。

今回のウォーキングのためのホームページはhttp://us1.campaign-archive1.com/?u=47cc84ab3dbf9e2674ac80d54&id=a4f1b0f3af

その他、これまでのウォーキングのビデオを以下で見る事ができる。
http://www.ambassadorsforworldpeace.org/videos/

http://www.youtube.com/watch?v=Rgxz_Ykd3T4&feature=player_embedded#at=20

関連記事は:
日本語http://www.47news.jp/CN/201102/CN2011021501000526.html

英語http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=29110&article=Dalai+Lama’s+nephew+killed+by+a+car+while+walking+for+Tibet

http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/northamerica/usa/8324872/Dalai-Lamas-nephew-killed-on-US-highway.html

写真のC/Rは1枚目AP,2枚目と3枚目FlaglerLive

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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