チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年2月7日
ウーセルさんブログ「ツルブ・ゴンパのギャワ・カルマパ その1」
ウーセルさんはカルマパがインドに亡命する以前の98年と99年にツルブ僧院を訪ねカルマパに会っておられる。
その時撮影した貴重な写真を2回に別け、1枚1枚ブログに載せながら、カルマパやツルブ僧院について解説されている。
今日はその1。
翻訳はいつもの雲南太郎さん。
原文:http://woeser.middle-way.net/2011/02/blog-post_02.html
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◎ツルブ・ゴンパのギャワ・カルマパ(1)
これらの写真は1999年に私が撮影したもの。
当時、ギャワ・カルマパは14歳……。
ギャワ・カルマパに五体投地!
カルマ・カギュ派を伝承する最高の指導者として、またチベット仏教最高の精神的指導者の一人として、伝統の儀式に則って厳格に捜索され、ダライ・ラマに認められたカルマパ16世ランジュン・リクペー・ドルジェの転生、17世大宝法王カルマパ、ウゲン・ティンレー・ドルジェは、崇高な地位によるだけでなく、日々発している精神的な魅力、素晴らしい容貌によって、謁見するすべての人を引き寄せている。人々は皆、この転生少年は仏の気質を備えていると言う。
彼はいつもきちんと静かに型に嵌ったように座る。にもかかわらず、静かな悟りの中で成長する身体のように、人を驚かせる速さで大きくなり、日に日に在り様は荘厳となり、態度は俗なるものを超越し、清浄の相が現れている。表情は時にいたずらっぽく、その童心が人を感動させる。
多くの古い典籍が説くように、カルマパは偉大な能力を持ち、仏法を全世界に広め、数え切れない衆生に利益を与える法王だ。彼と大慈大悲の観世音菩薩は完全に同じだ。グル・リンポチェの化現、テルトンが見つけた埋蔵経典はこう予言している。「観世音菩薩の善行を実践し、畏敬に足るヨガ者、聖者カルマパの名を持つ者は、大地を越えていくだろう。彼は慈悲によって人を良い方向へ導き、有情を調伏し、彼らを加護する」
カルマパは戒律を実践し、修行に精進し、ふさわしい仏教の造詣と密法の成就を既に備えている。厳密な形式で仏教の深い道理を詩にするのがうまく、高僧と信者の間にとても広く伝わっている。
カルマパはツルブ・ゴンパにいたころ、漢語と英語を学んだ。彼は毛筆で次のような漢語の七言詩を書いたことがある。
詩:
楚布風景特別美,(ツルブの風景は特に美しい)
山青水秀映雪輝 ,(山は青く、水は美しく、雪は映え)
高僧坐満修行洞,(修行の洞窟は高僧で埋まり)
世外桃源名不虚。(桃源郷の名は嘘ではない)
実際、多くの事績はつまるところ、チベット人が言う「ジャンチュップ・センパ」(菩薩)の示現だ。生きとし生けるものを教化するため、特に世俗の凡夫の世界で、熱心に修行する模範を示す。
ツルブ・ゴンパはチベット仏教カルマ・カギュ派の総本山で、古い典籍にある「真のデムチョク・マンダラ」の中心だ。カルマパ1世トゥスム・キェンパが創建し、歴代カルマパの最も重要な修行地になった。チベット最古の最も有名な名刹の一つでもあり、800年以上の歴史を持つ。
ゴンパは南向きに建てられている。背後は修行の密室が並ぶトゥジェチェンボ神山で、前は流れが速く清涼なツルブ河に面する。夏は草木が生い茂り、冬になると白い雪景色が果てしなく広がり、しんと静まり返る。解脱の道を求めて僧侶になった無数の人々は、汚れなく安らかに一生を過ごす。誰であれ今生で一度拝みさえすれば、悟りの種子を植えることができるのだとチベット人は慎み深く信じている。この世にこれほど素晴らしいゴンパはめったにない。
800年以上にわたる絶え間ない念入りな拡張を経て、雑然として趣があり、渾然一体となった壮大な建築群が形作られた。記録によれば、僧侶は最も多い時で5000人以上いたという。
しかし、無常の因縁はどこも同じで、災難から逃れることはできなかった。ゴンパ全体の建築はもう以前のようではなく、天災や人禍で何度も被害を受けた。最もひどかったのは文化大革命で、30以上の主な建物がほぼ廃墟にされ、900人以上の出家者は一人もいなくなった。写真は廃墟になったツルブ・ゴンパだ。
1980年代初頭、カルマパ16世の生前の任命を受け、シッキムのルムテク・ゴンパから帰ってきたデチェン・リンポチェは、チベットと海外の信者の幅広い支持によって徐々にツルブ・ゴンパを修復した。最終的には大殿を中心に、経堂、仏殿、護法堂、仏学院、密教学院、トゥルクの住居、僧坊などが並ぶ一定の規模のゴンパを完成させた。1990年代に入ると、僧
侶は300人以上になった。そしてカルマパ17世は1992年にツルブ・ゴンパに戻った。
ツルブ・ゴンパを鎮める宝――「空住仏」という名の塑像。カルマパ8世ミキュ・ドルジェが自らの手で作ったものだ。記録によれば、カルマパは師サンゲ・ニェンパを深くしのび、師の姿に似せて40、50センチほどの純銀の像を作った。完成後、銀の像はミキュ・ドルジェの師を敬う気持ちに反応し、自ら7日7晩にわたって空中に浮かんだことから、「空住仏」の名がついた。今でもカルマ・カギュ派の祖寺――ラサ近くのツルブ・ゴンパの大経堂内――に供えられている。以前からツルブ・ゴンパの精神が宿っていると見なされ、恭しく祀られている。
私の願いにより、この上なく貴重な加持として、ゴンパのラマがこの「空住仏」を私の低く伏せた頭に置いてくれたことがある。仏像はやはり生きているかのようで、拙く素朴な工芸に人間性の彩りが満ちていた。文革中にこの仏像はあやうく壊されそうになったが、ラマが山の洞窟わきに埋め、ようやく災難を免れた。
文革の災禍によって、ツルブ・ゴンパが秘蔵する宝はもう多くない。これは カルマパの塑像。
これはカルマパ16世の舎利。1981年にカルマパ16世は亡命中に円寂した。葬儀が終わった後、デチェン・リンポチェは誠実な心によって太ももの舎利を受け取った。数年後、上部に少しずつ高さ2、3ミリの仏像が浮かび上がってきた。象牙の彫刻のように見事なこの釈迦像は右手で触地印を、左手で定印を結んでおり、カルマパ16世の慈悲の顕現である。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)