チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年2月3日
「法王カルマパが遭遇した謀略の背後」ウーセルさんブログ
カルマパに「中国のスパイ」嫌疑が掛けられた後、ウーセルさんは連日カルマパの話をブログに書かれている。
以下は2月1日付けの彼女のブログ。
翻訳:雲南太郎(@yuntaitai)さん。
原文:http://woeser.middle-way.net/2011/02/blog-post.html
写真:最初の2枚は1月31日のカルマパ擁護キャンドルライトビジル(C/R phayul.com)
その他は昨日私が撮影したもの。
昨日のカルマパのお話、youtubeに上がった。
http://www.youtube.com/watch?v=fnokDBVCEMA&feature=youtu.be&a
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カルマパ17世のいわゆる「大金」「中国のスパイ」騒動は1月29日に起きた。その後、カルマパが仮の住まいとするダラムサラのギュトゥ僧院には連日、漢人や西洋人らを含む数え切れない信者が潔白と名誉を守ろうと、夜通しキャンドルを持って集まってきている。ネットでも多くの支持者が文章や絵、音楽を使って応援している。この中には、カルマパをずっと民族の英雄と見なしている本土のチベット人もいる。
では、この騒ぎの中で、インド側によって対立相手とされた中国は態度をどう表明しているのだろう?
中国当局の代弁者「環球時報」は騒ぎの二日目、3000字近い記事を出した。反応は意外にも遅く、タイトルもとても独断的で、事件全体のはっきりした結論が出る前に、多くのインド・メディアの刺激的な憶測だけで、「チベットを出たトゥルク(転生僧)をインドが初めて『中国のスパイ』と告発」と書いた。
同時に共産党中央党校の胡岩教授の言葉を引用し、「かつて国内のチベット地域で民衆の尊敬を集めたカギュー派のトゥルクが、異国でこのような騒ぎを経験している。『居候生活』の味わいは気分のいいものではない」と書いた。
これは吟味する価値のある言葉で、とても含みがある話だ。彼の言う「国内のチベット地域」で暮らす私たちに言わせれば、本当の状況がよく分かる。
1992年、カム地方の7歳の遊牧民少年がカルマパ16世の転生と認定され、多くの人の尊敬を集めた。しかし、歴代カルマパが伝承している祖寺、先祖代々が生活した土地で、カルマパ17世はどんな日々を送ったのだろう?
彼が出て行くまでの丸7年、共産党中央統一戦線工作部派遣の幹部は漢語を教えるという名目で、実際は「愛国主義教育」を強行した。ゴンパ駐在の公安は彼の行動を監視し、制限した。袈裟を着た傀儡になるのでなければ、カルマパが必要とする仏教教育を禁じることまでした。
チベットに残り続けることは、インドに亡命したチベット人が仮住まいで生活することよりももっと気分のいいものではない。そうでなければ、カルマパはどうして死の危険を冒して自分の故郷を離れただろう?居候と言えば、故郷を離れたチベット人はもちろん居候だ。しかし彼らは自分達の故郷でも既に居候で、あらゆる問題は半世紀前、チベット人が代々「カワチェン」と呼ぶ雪の国を失ったことにある。
統戦部のチベット担当者は31日、「環球時報」紙上で、「カルマパが1999年に中国を離れたのは宗教目的だ」と話した。これは事実に反しているし、今回の騒動に疑惑を怪しげに添えている。
11年前、21世紀の前夜、先代と多くの高僧が逃れた道をカルマパが突然歩んだため、江沢民は「子供も見張れないのか」とチベットの役人を責めたという。その後、共産党は対外向けの発表で、カルマパが手紙を残し、「祖国と政府を裏切るのではなく、外国に黒帽子と法器を取りに行くだけだ」と書いていたとした。
カルマパは早くからこんな手紙を残していないと明らかにしており、この話はすべて嘘だ。メンツを重視する共産党の言い訳だと人々は考えたろうが、この11年来、舞台の裏表での彼らの動きを分析すると、込められた意図はとても深い。
一方では絶えず味方に引き入れようとした。統戦用語で言えば「積極的に任務を果たし、彼らを我々に有利な方向に動かす必要がある」。しかし一方で、カルマパの成長に伴い、さまざまな理念が明らかになった。たとえば少し前、彼はチベット人大学生の会議で、「自分の国家と故郷のために貢献するのはとても重要だ」とはっきり語った。カルマパが言う「国家」は明らかに中国ではない。既に味方に引き入れられない段階になった以上、統戦用語で言えば、「適切な時期に決定的な打撃を与える」必要がある。
今回のカルマパにかかわる騒動で、インド側のいいかげんな行動はチベット人を傷つけた。背後には、巨大で勇猛で、陰謀をもてあそぶのに長けた人影が活発に動き回っているのが見える。いま、「他人に刀を貸して人を殺させる」「対岸の火事として見る」「火事場泥棒を働く」「スパイを逆用して離間をはかる」といった作戦がうまく行き、ひそかに笑っているだろう。
しかし、もしもカルマパの顔をつぶせる、ひょっとしたらカルマパが悔い改めるかもしれないなどと考えたのなら、中国の特色ある企みは計算ミスに終わった。かえって何千何万もの信者をかき立て、カルマパへの信心は更に堅く、信仰は更に深くなる。本当にかつてないほどの衆望を担うことになる。
新年を迎える前の法会で、カルマパは予言のように道理を説いた。「すべての苦境は形を変えた加持なのだと思いなさい。それらは私たちの生命をより荘厳なものにします。私たちはきっとその中から利益の果実を見つけ出すことができます。来たるべき年にもう一歩高みに上がるため、私たちは直面するすべての困難をうまく活かすべきです。苦境から学ぶことによって、困難はおごそかに『徳行』となります。それこそ品格であり、尊厳であり、円満なのです」
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)