チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年2月2日
カルマパ支援行進と集会に4000人
写真左:今日ギュトゥ僧院にて4000人の激励者に応えるカルマパ。
2日前のキャンドルライトビジルに続き、ダラムサラでは今日も、在らぬ疑いを掛けられているカルマパ17世を激励するための行進と集会が行われた。
今日は上ダラムサラのツクラカンを約3000人が出発し、下ダラムサラにあるカルマパの仮の宿舎であるギュトゥ僧院までおよそ15キロを行進した。手にカルマパの写真を掲げ、声を会わせて「カルマパ・ケンノウ~」と叫び続けた。「カルマパ・ケンノウ」とは原意「カルマパがご存知」だが「カルマパに帰依いたす」という意味でもある。
最終的にはダラムサラ周辺のビル、チョントラ等のセトルメントからや遠くシッキム、キノールからの信者も沢山集まり、ギュトゥ僧院の広場には4000人以上が集結した。
カルマパは午後3時頃みんなの前に姿を現され、短く挨拶された。
「今日はみなさん私に愛情と支持を表明するためにわざわざ集まってくれてありがとう。インドは中国と違って、政府も警察も民主主義と法律に従う国だ。だから、私は何も心配していない。嫌疑は何れ晴らされよう。だから、皆さんも何も心配せず、安心していて下さい。今日は私のために、日射しの強い中、長く歩いてここまで来て下さって、本当にありがとう」
と。
みんな途中昼食をとることもなく何時間も歩き、喉も乾き、腹も減った事と思われる。集会の後、僧院側から全員に簡単な食事が振舞われた。
今回の件については、ある勢力がカルマパを落とし入れるために「カルマパは中国のスパイ」だなんてデマを流し始めたのだ、という噂も流れているが、結局今のところ、これを契機にカルマパの人気は増すばかりのように見える。「カルマパは可哀想に、苦労して中国から逃げて来たのに、今度は選りによって『中国のスパイ』だなんて疑われるとは!」と言う訳だ。行進に参加した者には全員にカルマパの立派な写真が配られた。今日からは今まで家にカルマパの写真を飾っていなかった家にもカルマパの写真が祀られることであろう。
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以下カルマパが今回説明された
「中国を逃げ出し、インドに亡命した5つの理由」
1、中国当局はダライ・ラマ法王を非難し、中国が選出したパンチェン・ラマを支持するよう圧力を掛けて来た。しかし、その要求に従うことができなかったから。
2、16世カルマパの法灯の教えを完成するためにはこの法灯を保持するラマたちのいるインドに行くしか無かったから。
3、ダライ・ラマ法王に会い、祝福を受けるため。
4、16世カルマパはインドや海外に出かけ教えを広めた。自分もその足跡に従いたかった。
5、インドは中国と違い自由の国である。自由に勉強し、自由に仏法を広める道を求めた。
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2月1日カルマパ側は2度目のプレスリリースを発表した。
http://www.twitlonger.com/show/8hnn5a
この中でも、問題となっている土地購入についてはインド政府に申請を出しており、違法ではないこと。
外国の通貨を保持していたが、これは元はすべて信者からの布施であること。また外国通貨保持についても2002年にそのための申請を出している。許可が下りる間、全ての外国通貨については記録を取ってあり、これを警察に提出した。
中国元については、様々な額面の紙幣であり、明らかに個人からの布施である。
と、説明されている。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)