チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2011年2月1日

ジェクンド地震追悼曲集

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fb3239e2.jpgユシュ(ジェクンド、ケグド、玉樹)大地震の後多くのチベット人歌手たちが被災者たちを慰め、勇気づけるために歌を作り、歌った。

その中のいくつかにはすでに日本語訳が付けられている。

私もその中から昨日紹介したツェワン・ラマの歌を一つ訳して見た。

まず、それを紹介した後、今までに日本語に訳されている歌2曲と、@dekipemaさんが書かれた解説を掲載させて頂く。

ツェワン・ラモの歌「勇気」を聴くにはまず以下へ:
http://www.youtube.com/watch?v=uoKJNfh0J5E

歌詞の日本語訳:

<勇気>

歌詞:トゥプガ
作曲:ユゲン・ツェリン
歌:ツェワン・ラモ

大地が激しく揺れ
私の故郷は破壊された
ユシュの人々よ 涙を拭え
その苦しみを共に分かち合おう

ユシュの人々よ
ユシュの人々よ
涙を拭え
奮い立て

大地が激しく揺れ
私の兄弟が命を落とした
ユシュの人々よ 勇気を奮い起こせ
その苦しみを分ち合おう

ユシュの人々よ
ユシュの人々よ
涙を拭え
奮い立て

大地が如何に凶暴であろうと
苦しみに負けるな
忍耐と勇気を起こすのが
チベット人の本性

同胞よ
同胞よ
苦しみに
負けるな

大地が激しく揺れ
私の故郷が破壊された
ユシュの人々よ 涙を拭え
その苦しみを分かち合おう

ユシュの人々よ
涙を拭え
奮い立て
奮い立て

—————————————————————–

<友らを見舞う手紙>

http://www.youtube.com/watch?v=ArNxIbkwFP8&feature=player_embedded

詞:ジュカザン 曲: シェルテン  日本語訳: @dekipema @kapopar

歌: シェルテンとケサン

四種の元素からなる自然 その脅威は避けられない
望まざることが不意に起きるのも運命
耐えがたくとも かならず背負わなければならない
だから力をふりしぼって 苦難に耐えなさい

善なる父の子よ…

死者の道案内は 生きている者にとって心の慰め
そして地上にある人々の とりわけ大きな役目
悪運を逃れた 幸運な私たちが今ここにいる
強い意志を持ちなさい

きょうだいたちよ…

生死や苦楽、財産は無常なもの
私たちは聖俗両様を学んだ命なのだから
敬虔なチベット人の本領が 今回こそ求められる
知識と理解を大きく羽ばたかせなさい

母の子よ…

オンマニペメフン オンマニペメフン……

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<恐れない生命>

__ 4・14青海省玉樹地震復興のために書く __

http://www.youtube.com/watch?v=cDFrWo4DHZ4&feature=player_embedded

詞:ワンラ 曲: ペマ・サムドゥプ

訳詩: ゴンポ・ワンチュク 日本語訳:@Tentshe @kapopar

私の山 私の川 私の祖国
私のきょうだい 私の父母
空が落ちたとしても 恐れることはない
大地が割れても 恐れることはない

私の血 私の一族 私の祖先
私の血のつながった一族 私の民族
激しい嵐であっても 外に動かされることはない
生命は確かな道を 間違えることはない

アー 闇を照らす灯明よ、
高原のすべての希望を照らしたまえ
喜怒の幸運の花 ”ケルサン・メト“ よ
この世の願いすべてを育てたまえ
すべての生命は 永く変らずに ありますように

オンマニペメフン

(1番)

[歌]ペマ・サムドゥプ/アジャ・ツェンデップ/サムコ/ツェリン・ヤンキー/チョンショル・ドルマ/ケルサン・テンジン/カンリ・ナンマ/カカ+デキー

※動画はチベット語版・中国語版があり、ジェクンド応援曲としてネット上でも広く知れ渡った曲。その後民族衣装のバージョンや英訳版、チャリティライブ版もつくられた。北京在住の歌手が多い。

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TIBETAN MUSIC NOW ジェクンド地震追悼曲

2010年4月14日に発生したチベットのジェクンド(青海省玉樹県)地震__多くの人々が瓦礫に埋もれた。インターネットはメディア報道規制の壁を超えて少ないながらも情報を世界に伝えた。各国の国際緊急救助は政府によって断られ、救援の主体は近隣からやってきた赤い衣のチベットの僧侶たちの集団となった。彼らは次第にその数を増して救援と死者の葬祭の重要な役割を担った。しかし数日後当局によって、早々にその赤い僧侶たちの一群は退去を強要され、その姿を消した。

生死の境界を目の当りにした時、おそらく、人の精神の立ち位置は、はっきりと現れてくる。北京と本土チベットの若い歌手たちの地震追悼歌。そこには彼らの現実、そしてまた、仏教で鍛えられた強靭なチベット人の精神の一端が見えてくる。

同じ時代を生きる、私たち日本人の立ち位置はどこにあるのか?このビデオメッセージの歌詞から、一考のひとときを受け取りたい。

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薫り高いチベット語による励まし

若いチベット人による歌の今日 text by@dekipema

震源地からそう遠くないゴロク地方出身のシェルテンは、地震発生後しばらく公に姿を現さなかった。仲間の救援のため現地に駆けつけていたともいわれていたが、チベットで活躍する若手歌手たちが地震直後から支援の歌を発表し、救援コンサートに出演していた中に彼の姿はなかった。しかし翌五月上旬にはいかにも急ごしらえのスタジオで、友人とともに被災地に向けた曲を歌うシェルテンの姿をインターネット上に見つけることができた。

彼の歌う曲には、しばしばチベットの伝統的な教えや知識が盛りこまれている。彼の作曲による「友らを見舞う手紙」と題されたこの曲でいえば、自然が四つの元素からなること、この世のものはすべて無常であることなどがそれにあたる。作詞者であるジュカザンは詩人として名を知られた人で、多くのチベット人が両親や祖父母、お寺のラマなどからくりかえし聞かされて耳になじんだ教えを、凛として美しくリズム感あふれるチベット語の中にちりばめている。同時にそうした教えに基づいて災害という現実を見つめ直し、困難を乗り越えてほしいという願いを力強く表現している。

シェルテンの曲からは複層的な意味の広がりが感じられる。歴史や文化的な背景を持つ内容、複数の意味を持つ語彙などが選ばれていることがその理由のひとつだろう。聴く人、読む人は自分の知識や感性を働かせることで、その曲に歌われる世界のイメージをより大きくふくらませることができる。理解は必ずしもひとつに固定されない。同じ人が聴いても知識や状況が異なれば、また違う受け取り方ができる。そうした柔軟性のため、チベット人でも解釈や判断に苦しむ詩句に出会うことがある。しかしうまい詩とはそういうものだと、あるチベット人は指摘してくれた。実は今回の地震に寄せられたこの曲も、すべての人がすぐに理解できるわかりやすいものとはいえない。今述べたようにいろいろな解釈ができるということに加え、詩的で文語的な言い回しが時に解釈を困難にしている。もちろん大まかな意味は、たいていのチベット人が読み取れるだろう。

一時の心地よい気休めや一方的な呼びかけを繰り返すようなわかりやすさを優先しない、こうした詩が選ばれたのは、おそらくシェルテンがチベットの文化、特にチベット語を尊重し、若い世代に教えていきたいという願いを持っていることと関係している。現在のチベット本土では、学校へ行っても読み書きを含めたチベット語を必ずしも十分に学べるとは限らない。長い歴史を持ち美しさや技巧に富んだ文章語としてのチベット語を理解するには、素養をもった人の指導とそれを受ける十分な時間がないとむずかしい。それは彼自身の問題でもあった。何年も学校で学んだはずなのに、という失意があったと語っている。そうした状況を少しでも改善しようと、彼はあるプロジェクトを開始した。それは彼のミュージックビデオの画面に、『漢蔵英常用新詞語図解詞典』という本から選んだチベット語の単語を映し出すというもの。それらを何本かまとめ、「輝く母語」というタイトルでリリースしている。

シェルテンの歌には思うことが自由に表現できないという、現在のチベットが抱える大きな問題も影を落としている。多くのチベット人がダライラマ法王に対し強い尊敬と憧憬をもちながら、それを口にすることができない。だから比喩的、婉曲的に表現せざるをえない。人々は彼の曲にある「白い月」「遠くにいるお兄さん」「輝く太陽」「父」などの歌詞に法王のお姿を重ね合わせながら歌い、また聴くのだろう。(前:友らを見舞う手紙 上記:パロマロ参照)法王以外の高僧を思うこともあるに違いない。おそらくシェルテンは薫り高いチベット語によって広がりのある曲を作り出しながら、それを歌う自分とチベットの同胞たちの安全がおびやかされることのないぎりぎりの線をさぐろうと苦心している。そしてチベットの人々が代々受け継いできた文化や感情を曲の中で表現し、それを次の世代に伝えていこうとしている。彼らの前には教育の機会の問題とともに地域による方言差など、全チベット人がそろって母語の伝統を理解していくことへの困難が横たわっているけれど、その志が少しでも多くの人の知るところとなって、特に若いチベット人たちに受け継がれていけばと思う。

◎シェルテン日本語翻訳プロジェクト

http://www.youtube.com/user/kapopar

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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