チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2011年1月11日

ウーセル(唯色)/画面越しの拝謁

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1月4日 法王と中国人のネット対話このところ毎日のようにウーセルさんの翻訳ものばかり。
ウーセル・ファンの友人たちが翻訳してくれると、どうしても載せたくなる私も相当なファン。
度々、翻訳して!とねだってる。

今日はうらるんた(@uralungta)さんが翻訳してくださったもの。

ブログ「ちべログ@うらるんた」より転載。
http://lung-ta.cocolog-nifty.com/lungta/2011/01/20110110.html

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Woeser/画面越しの拝謁(訳)

 チベット人作家ウーセルさんのブログと「Radio Free Asia(中国語版)」サイトに1月10日アップされた、ウーセルさんのコラム。
(ウーセルさんブログはこちら、
http://woeser.middle-way.net/2011/01/blog-post_10.htmlRFA
中国語版サイトはこちら
http://www.rfa.org/mandarin/pinglun/weise-01102011090855.html
 1月4日、ダライ・ラマ14世と中国知識人とのネット対談が行われた際、インターネットのビデオチャットで、画面越しに法王と対面した喜びを綴っています。

1月4日 法王と中国人のネット対話 ウーセルさん パスポートのない私、ダライ・ラマ法王に謁見

 7年前、私はエッセー集「チベット・ノート」(西蔵筆記)で、1枚の記念写真に添えて、ラサからこっそりとダラムサラを訪ねたチベット人父子の物語を書いた。「左右は遠慮がちに恭しく待ち受ける人たちであふれ、その中心に囲まれているのが、まさにその人だった。敬虔なチベット人の誰もが一番よく知っていて、一番心に近い存在の、一番待ち焦がれている人――ダライ・ラマ法王」。
 この描写と、他のいくつかの章でチベットの現実に言及したことを、当局は“重大な政治的誤り”と認定した。『ダライ・ラマ14世、カルマパ17世の存在を賛美し、宗教信仰など重要な政治的立脚点及び観点の齟齬を広めた』。
 この後、私はすべての公職を解かれ、ラサを離れざるを得なくなった。

 もっと以前から――既に16年前に、私は1編の詩に含みを持たせて綴っている。

 私はこの世では成長しない花を胸に抱き
 枯れてしおれる前に、と急ぐ
 感激の涙があふれるまま
 はやく、はやくと 急いて走る
 ただ 深紅の衣の老人に捧げるために
 ただ 一縷の微笑み
 つぎの生と世 そのつぎの生と世でも
 つながりを得られるように

 のちに私はこの詩を歌詞に書き換え、「深紅の衣の老人」の部分を「我らがイシ・ノルブ、我らがクンドゥン、我らがゴンサチョ、我らがギャワ・リンポチェ……」*にかえた。すべてチベット人がダライ・ラマ法王を称える敬称である。

 数多くのチベット人とまったく同様に、なんとかダライ・ラマ法王にお目に掛かりたい、教えを受け、祝福を授かりたい、と思い焦がれる気持ちは、私自身にとっても最大の切実な願いだ。若いころから、ただひたすらその願いが実現するその日を待ち望んできた。しかし、私は他の多くのチベット人と同様、パスポートの発行が認められていない。あの政権に支配されている限り、たった1冊のパスポートという恩恵さえ永遠に与えられないかのようだ。そもそも(ある国民に対し国家間の移動を国が保証するパスポートの取得は)国民の基本的権利として一人ひとりに保障されているべきものだというのに。

 昨年、ラサで「60歳以上の高齢者にパスポートが発給される」という情報が流れた。しかし申請期間はたった1週間。パスポートセンターは髪も真っ白になった、足元もおぼつかない老人たちであふれかえった。実際には誰もが知っている――彼ら年寄り全員が、ヒマラヤ山麓のあの場所に長年会うことが叶わなかった人がいて、仏教の聖地を参拝することだけが願いなのだと。同時に、それは決して口に出して言ってはいけない、誰もが知っている願望だった。私は悲しく考えた。このままひたすら60歳まで待ち続ければ、そのときようやく私もパスポートを手にすることができるのかどうか……。

 しかし、インターネットは、パスポートを持たない私にとってのパスポートのようなものになった。新しい年を迎え、私の願いはほとんど実現した――インターネットを通じて。まるで夢を見ているような、しかし紛れもない現実――ダライ・ラマ法王にお目にかかっている!

 縁を結んだのはインターネットの映像を使ったビデオチャット(テレビ電話)システムだった。2011年1月4日、ダラムサラのダライ・ラマ法王と、中国の人権派弁護士滕彪、江天勇両氏と作家王力雄氏との間で、インターネット放送を通じた交流が行われた。私も当時、(夫の)王力雄の後ろに控え、一言一言に耳を傾けた。リアルタイム中継でダライ・ラマ法王が画面に姿を現した時には、信じられない思いで、ただ涙があふれ出るばかりだった。

 デジタル技術の革新は奇跡を起こした。距離も地形も超越し、人為的な垣根を飛び越えて、亡命して半世紀におよぶダライ・ラマ法王と中国の知識人との間に意思疎通の架け橋がわたされたのだ。大きな意義があることは疑いもない。

 ダライ・ラマ法王が3人の中国知識人に話しかけるのをこの耳で聞いた。「互いの息遣いや臭いが感じられないことを除けば、同じ場所に一緒にいるかのようですね」。
 70分以上の対話を終えて、法王は思いやり深く問いかけた。「そちらからはよく見えましたか?」 3人がうなずいて同意すると、法王はユーモアたっぷりに自らの眉毛を指差し、笑いながら言った。「じゃあ、眉毛が白くなってるのも見られちゃいましたかね?」

 私は泣けて泣けてしかたなかった。チベットの礼儀作法にのっとり3回ひざまずいて頭を地に着け、口の中で真言を唱えながら、両手にカターをささげ持ち、パソコンの前にひざまずいて献上した。涙でかすむ画面に、ダライラマ法王が、カタを受け取り、祝福を与えるしぐさと同じように、ゆったりと両腕を差し伸べてくださるのが見えた。そのときの気持ちを言葉で表すことはできない――。私はなんと福徳に報われたことだろう。チベットではたくさんのチベット人が、法王の写真を1枚持っていたというだけの理由でひどい目に遭っているのだ。

 実のところ、近年、決して少なくない中国の各界の人々がダライ・ラマ法王に面会している。しかし彼らがそのことによって自由を奪われることはなく、彼ら中国人は依然としてこの国家の公民である。チベット人が法王に拝謁して罪に問われるというのはまったく理不尽なことだ。

 ビデオチャットを見つめる私に、ダライ・ラマ法王は丁寧に仰られた。
 「決してあきらめず、努力を続けましょう。漢民族の知識人と私たちチベット人知識層のあいだで、いついかなるときも、こちら側とそちら側の真実の状況を伝えあい、相互理解と意思疎通につとめることは、非常に大切なものであることを、どうか常に心に置いてください。過去60年来、私たちチベット内のチベット人の勇気と敬虔さは山のようにゆるぎない。チベットの現実は国際社会の注目するところであり、世界各地からチベットの真実を見られるようになった。中国国内の知識人はこのことについても理解してきている。巨視的にみれば、強大な中国が現在変化のただ中にあるといえる。ですから、あなたがたは必ず信じ続け、更に努力を続けてください。いいですか?」

 この時に至って、私はようやく落ち着いてきて、法王の言葉をしっかりと心に刻みつけた。

2011年1月7日 北京 RFA特約コラム

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注:このコラムは同時にRFAチベット語放送でも紹介された。

*イシ・ノルブ(智慧の宝珠)、クンドゥン(御前)、ゴンサチョ(至高の存在)、ギャワ・リンポチェ(偉大な貴宝)……いずれも、チベット人がダライ・ラマ法王について話す時や呼び掛ける時に、法王に敬意を表し、名前を直接口にせず、婉曲的に象徴する時に用いられる比喩表現。

 「ウーセルさんの個人的な特別体験」ではなく、ひとりのごく普通の敬虔なチベット女性の心情を思いました。このコラムの向こう側に、一目お目にかかりたい、と思っている数限りない人たちがいるんだなあ、と。
 「私はなんと福徳に報われたことだろう(我是多么地有福报�休)」の「福報(福徳応報)」は、チベット仏教の因果(果報)や縁起の考え方を中国語で表そうとした表現です。今生で善行を少しでも積むことで来世で報われる、という確固としたチベットの世界観が背景にあります。
 ぴったりはまる日本語がないのでうまく訳せていませんが(仏教用語で超訳すれば「私は果報者です!」ってことになるんだろうけど、ちょっとニュアンスが消える気がする。それは日本の価値観がそれだけ仏教から離れてしまったということでもある)、チベット人同士の会話では、すぐに自分の得になるわけじゃないことを損得抜きで引き受けたりすることを(冗談で)「ソナム(福徳)を積んだよ」と言ったり、病気になったりして人から世話を焼いてもらった時などに「申し訳ない」と恐縮するかわりに(冗談で)「私のソナムがずいぶん減っちゃたわ」なんて言ってみるなど、「情けは人のためならず」がちゃんと原義通り生きているのがチベット世界です。
 それを思うと(ウーセルさんは漢語教育を受けてチベット語では文章の読み書きができないから厳密に純粋なチベット人とはいえない、とか、ウーセルさんは他のチベット人と違う、などと評論する向きもあるので思うんですけど)、チベット人だなあ、と。改めていろいろ考えたことでした。

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(うらるんたさん:追記)

パンをかじりながら顔じゅうしわくちゃにして泣いていたよ

[チベット人のツイ](パスポート取得を認められず国外に出られない北京在住の作家ツェリン・ウーセルさん@degewa が、インターネット中継でダライ・ラマ法王との謁見が実現したことを綴ったコラムがRadio Free Asiaチベット語放送で流れたことを受けて)

本土のチベット人はネットにこんな書き込みを。「インターネットによってパスポートがなくても拝謁できる可能性が現実味を帯びてきたんだって、と年老いた父親にその中の出来事を話して聞かせたら、父は堅焼きパンをかじりながら顔じゅうを涙でしわくしゃにして泣いていたよ」

元発言は@MyYak http://twitter.com/MyYak/status/24703533718704128
@MyYakさんは北米在住のチベット人

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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