チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2011年1月6日
刑期15年の天珠王カルマ・サンドップ氏、その妻ドルカ・ツォの言葉
先の1月3日は「天珠王」とも呼ばれるカルマ・サンドゥップ氏が逮捕されて、一年目に当たっていた。
この日、ウーセルさんが妻のドルカ・ツォのブログを解説付きで紹介された。
そこには、残された家族の切実な心情が綴られている。
以下、これをいつもの雲南太郎さんの翻訳で紹介する。
原文はhttp://woeser.middle-way.net/2011/01/blog-post_9826.html
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◎ドルカ・ツォ、2回目の面会後のブログ「1周年」
2010年1月3日、商人、美術品収集家、環境保護運動家、慈善事業家で、またの名を「天珠王」ともいうカルマ・サンドゥップが逮捕された。同年6月24日に懲役15年の判決を受け、ウイグルのアクス(阿克蘇)地区シャヤール(沙雅)県監獄で服役している。家族のうち5人が次々と監獄に入れられ、刑罰や労働教養を受けている。カルマの事件は驚天動地の冤罪事件であり、受けた苦難はチベットの現実の縮図だ。
上にあるのはカルマ・サンドゥップの写真で、下の写真は妻ドルカ・ツォの五つ目のブログに載った最新記事だ。ドルカ・ツォが「面会時に使えるのは漢語だけ」と書いている部分に注意してほしい。この二人のチベット人がチベット語を話せないという意味ではなく、官吏が夫婦にチベット語での会話を許さなかったということだ。だから、この1年で2回目のたった30分の面会で、カルマはまったく流暢ではない漢語でしか妻と話ができなかった……。
カルマよ、あなたが獄中に入って1年になり、新しい1年がまたやって来た。長年の友人として、私はあなたのために祈ることしかできない。健康に気をつけ、屈辱に耐えて修行してほしい……。
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◎1周年――ドルカ・ツォ
http://drolkar5.blog.sohu.com/165378017.html
今日は2011年1月3日。私は早起きして寒々しい成都を離れ、また高原の日差しの中へと戻った。この暖かさは子どものころに着た羊の毛皮の上着をいつも思い出させる。こんな時はしばしば気持ちが少し緩み、まるで自分がまだ草原の純朴な若い娘のように思えてくる。
世界には、ただ晴れや曇り、雨、雪と四季の移り変わりがあるぐらいで、自然を恐れ敬う気持ちと、それによって得られる報酬と安らぎがあるだけだと信じていた。人々が疲れも知らずにつくり出した新しい世界に陰謀がはびこり、私達の未来まで巻き込まれるとは思ってもみなかった。
昨年1月3日、私の夫は突然行方をくらました。今日までの丸1年、彼は自由を失っていて、たくましい大男からやせこけた囚人になった。今日までの丸1年、子どもたちは父親に会っていない。体も大きくなり、絵も作文も上手になったけれど、父親の話題になると黙り込んでしまう。今日までの丸1年、私はずっと忙しく、のんきな家庭の主婦からあちこちで仕事に追われる「総理」に変わった。
うろたえながら夫を探し、故郷ジェクンドでの地震と身内の犠牲に声を上げて泣き、裁判で悲しみのあまり涙を流した。その後、何度も借金し、何度も各地に飛び、「犯罪者の妻」、母、経営者としてのすべての責任を果たしてきた。込み入った問題を抱えながらも、降ってきた仕事をこなし、毎日の24時間を1分1秒と忙しく過ごしてきた。
突然の重荷にため息をつく度に夫を思い起こした。私の苦しみは彼の苦しみの1万分の1にもならないだろう。あの誠実なカムパは生まれつき聡明で正直で、素朴な理想があった。このすべてが彼の魂を昇華させ、他人の尊敬を集めた。よく利用もされたし、今回の重い冤罪にもつながった。彼が身体に受けた苦しみは想像できないし、彼の素朴な心がどんな目に遭ったのか、どうすれば推測できるだろう。私の苦しみはどうして彼の1万分の1にも比べられるだろう。
判決後、私は彼に2回面会している。今回、彼は別の監獄に移されたばかりで、更にやつれ、無精ひげが生えてごま塩になっていた。皆に心配しないよう伝えてほしいと言いながらも、こらえ切れずに自分の病状を話題にした。糖尿病で、気候に慣れず、1日が1年のように長くて苦しいことは言わなくても分かった。面会時に使えるのは漢語だけで、彼の言葉はのどにつかえることが多く、表現しようがなかった。それでも彼は得難い面会の時間を毎日待ち続けていた。
1周年で私が記念したいのは何だろう? 彼の逮捕、それともこの1年で注目したたくさんのよく似た苦難?
子どもに物心がついたこと、それとも私が公正と自由を本当に理解し、望んでいること?
あの草原の小さな娘は信じていた。誠実と尊敬の精神を持つことは、人類のために大自然が定めたルールなのだと。汚れのない魂は人と神をつなぐ唯一の道なのだと。最も「発達」していながら、最もどうしようもなく複雑な都市を今日の私はさまよっている。当時の純朴な信仰を思い出すと、草原の私は最もシンプルな真理に触れていたように思える。
長女は昨日父親に宛てた手紙で、ガラスの覆いの中にある黄色い花の絵を描いた。彼女は「このきれいな花はお母さんです。気高い色をしてるけれど、ガラスの中の世界で独り寂しい思いをしています。お父さん、一緒にいてあげて下さい」と書いた。
遠く離れたごま塩のひげの夫に愛と祝福を届けたい。父母や娘、親友にも、あらゆる人にも、この世のすべての物にも届けたい。私はまったく寂しくはない。
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参照、過去ブログ:
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51467955.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51469427.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51470405.html
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51476286.html
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)