チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2010年12月20日

ダライ・ラマ法王のお言葉:カナダ、Calgary大学における講演の後、質問に答えて

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b8700e58.jpg今日は法王の言葉をたっぷりお届けする。

今日のチベットTV(今年から始まったCTAのテレビ放送。いくつかはオンラインでも見ることができる:http://www.tibetonline.tv/)で、法王が2009年9月30日にカナダのCalgary大学で講演された時のビデオが流されていた。

演題は「Peace through Compassion」
本体の講演ももちろん素晴らしかったのだが、質問コーナーもなかなか面白かった。

そこで、本体は後回しにして、質問コーナーだけ以下に訳してみた。

法王、この日は特に調子がよいように拝見した。
質問に対する素晴らしい答えに対し、2万人が集まった会場から何度も大きな拍手が沸き起こった。

全部で8つの質問に答えられている。

——————————————————————-

質問1「数ヶ月後に息子が生まれるが、息子には様々な宗教を教えたいと思っている。子どもにまず最初に、何よりも大事な事としてどんなことを教えるのがよいと思われるか?」

法王「難しい質問だ、、、まだそんなことを考えるのは早過ぎると思う。
まだ子どもは生まれていないのだから。ハハハ・・・
5~6年後に、子どもが5、6歳になった時、子どもの性格、能力に従ってそのことを考えると良いだろう。この会場にも100人以上子どもがいるだろう、、、子どもにはそれぞれ違った性格があるから一言でいうのは難しい。
ただ一つ言いたいことは、子どもが生まれたら、できるだけの愛情を注いでほしい。最初の数ヶ月、数年は非常に大事だ。医学の専門家も生まれてすぐの数週間は、その子の脳の発達にとってとても大事な期間だと言ってる。
その間の身体的接触が大事だ。その間、できる限りの愛情を示すべきだ。

そして、後は、子どもの前でパートナーと言い争ってはいけない!
何らかの問題が起こった時も、子どものいないところで喧嘩すべきだ。ハハハ・・・

質問2(6歳の子どもから)「いつもその僧衣を着ているの?パンツははいているの?」

法王「ハハハ、、、夜は、インドに来てから、ちょっと西洋化されて、寝るときにはパジャマを着てる。後は、ラサのノルブリンカから逃げる時には、中国の兵隊を騙すために普通の人が着る服で抜け出した。1964、5年長い道のりを辿り中国に行くとき、途中、道が悪くて車もなく何日か馬で進まなくてはならなかった、その時にも民間人の服を着た。」

質問3(高校生から)「今日、法王は名誉博士号を授与された。世界はあなたを尊敬の眼差しで見ている。ご自身は自分のことをどのように見ておられるのか?」

法王「私はいつも言ってるが、自分のことを一人のつましい僧侶だと思っている。
例えば、私は夢の中で『自分がダライ・ラマだ』とか思ったことがない。でも、夢の中で自分が『仏教の僧侶だ』ということは思う。だから僧侶だという自覚は強くある。私に対し、あるものは『生き仏』とか『王者』とか呼ぶ。ある者は『悪魔』だという。どうでもいいことだ、これらは単なるラベルに過ぎない。一番大事なことは『自分は一人の人間だ』という認識だ。
私たちは同じ身体と、同じ心と、同じ感情を持っている。私たちは一緒だ。
このレベルの同一性を大事にすべきだ。これは本当に大事なことだと思う。
なぜかと言えば、多くの、人間が生み出した問題は、この基本的なレベルを忘れていることから来るからだ。

二次的レベルにおいて、私はアジア人だ、ヨーロッパ人だ、アフリカ人だ、カナダ人だという区別認識がある。宗教的にも私は宗教否定者だ、私はキリスト教徒だ、ユダヤ教徒だ、イスラム教徒だ、、、と違いを言う。
同じ顔をしていても国籍の違いとか、貧富の差、私は上流階級に属すとか、私は下層階級に属するとか、私には教育があるとか、彼らには教育がないとか、、、このような区別を行う。
このよう二次的区別意識から多くの不必要な問題が派生する。このような区別は忘れるべきだ。人としての基本的なレベルに立って、私たちは同じ人間なのだと考えるべきだ。

私は幸福な人生を送りたい。あなたも幸福な人生を送りたい。あなたには苦しみを乗り越える権利がある。私にもある。だから、このレベルにおいて、私たちは交流することができるし、一緒に努力することができる。より良い世界を作るために一緒に働くことができる。この認識が非常に大事だと思う。」(会場から拍手)

質問4(中学生より)「難しい選択を迫られた時にはどうすればよいか?」

法王
「普通、まず自分でそのことについて熟考する。それから、友人や専門家に相談する。どうすべきかについて意見を聞く。そして、私の場合には、それが国家的レベルの決定の場合には、時に国家神託の意見を聞く。ある人はこれについて知っているだろうし、ある人は知らないだろうが、ある種の意見を神託に聞くのだ。また、時には占いのたぐいも行う。この数珠を使って。ほとんどの場合、それらは正しい道を示す。時には分析により、これらの意見を受け入れるのに躊躇することもある。時の経過とともにその意見が正しかったと証明されることもある。

ではあるが、ま、あなたの場合には占いや神託の必要はない。
ただ、まず気をつけてよくよく考えて見ることだ。考えるときその問題について色んな視点から見ることが大事だ。一つのみの視点から見てはいけない。
様々な視点から同じ問題を検討してみることだ。そうすればより全体的(ホリスティク)な見方を得ることができよう。
そのようにして、現実に対する全面的覚醒とともになされた決定は現実的であり、現実的決定が正しく、建設的な決定と言えるのだ。
」(拍手)

質問5(高校生より)「平和を標榜するあなたが、常にボディーガードに守られていることについてどう思われるか?」

法王「一般に私は、相手がどんな役割を担っているとか、どんな階級の人であるかを問題にしない。大統領であろうと、行者であろうと、ビジネスマンであろうと、科学者であろうと、宗教家であろうと、乞食であろうと、ホテルの従業員であろうと、違いは無い。
その人が人間的感情、誠実さをどれだけ示しているかが大事だ。その人が、笑顔で、その眼差しで真摯さを示してくれれば、それで私は十分ハッピーな気持ちになる。
偉大な政治的指導者であろうと、そのような要素が欠けている人の前では居心地が悪いと感じる。

だから、ガードマンについても、、、残念ながら私の行くところにはどこでも招待者側がガードマンを付ける。最初の日には、彼らもとてもフォーマルに振舞う。しかし、2、3日と経つうちに、彼らもうち解けてくる。だから問題はない

どこへ行っても、色んな人に会って、私は笑いかける。
その人も人間だから。ほとんどの場合、私が笑い掛ければ、相手も同じように答えてくれる。自分もハッピーになり、相手もハッピーになる。
でも、時には、イギリスだったか、ドイツだったか、、、私の車が街角を通過するとき、外の誰かが私の方を見たので私はその人に向かって微笑んだ。すると、その人は「なんでこの人が私に笑い掛けるのだ???というシリアスな顔をしていた」ハハハ・・・
特に若い女性に向かって微笑むと、何か下心があるんじゃないかと疑われたりすることもある。ハハハ・・・・
そんな時には私も何気なく顔を背けて知らん顔をする、ハハハ・・・大丈夫、問題ない、、、ハハハ。」

質問6「如何にして人間同士がもたらす堪え難い苦難に耐えるのか?」

法王「私の場合には、仏教が教える、私たちの心は無明に支配されているという理解を納得するので、状況は常に理解可能だ。一人一人の個人がこの無明を減じようとしない限り、この無明がある限り、心に様々なレベルの無明がある限り、常に問題は起こりえる。この理解は私の助けになるし、勇気を持ち続ける助けとなる。このことが解ってないと、ある困難に直面したときに勇気を挫かれる危険もあろう。
一方、人には理性があり、困難を乗り越えようとチャレンジ精神を発揮できる。チャレンジすることで、頭脳は明晰となり、身体と心と感情が総動員される。更なる力を得る。
チャレンジしなかれば、希望を失い、勇気を失い、負けてしまう。
チベットのことわざに「9回失敗し、9回努力する(九転び九起き?)」というのがあるが、これが大事だ。チャレンジなしに困難に負けることが本当の負けだ。だから、常に楽天的でいることが非常に大切な心構えだ。」

質問7「旅行ばかりされているようだが、その間どのように瞑想されているのか?」

法王「毎日、いろんな国を旅行中でも、現地時間の朝3時半に起きる。それから8時半か9時まで、ある種の瞑想を行う。主に分析的瞑想と観想を行う。昼間のプログラムも3時半とか4時、遅くとも5時には終わる。その後1時間か1時間半、再び瞑想する。そして、最高の瞑想はその後の8~9時間の睡眠中だ。これが最高の瞑想だ。完全にリラックスする。ハハハ・・・
もしも、心が明晰な時には、この睡眠中、夢の中である行を行う。分析的瞑想を夢の中で行う時もある。いつもじゃないが、時々だ。ハハハ・・・」

質問8「この会場には約2万人の人が集まっている。生活の中で慈悲の心を実践するために一番肝要なことは何か?」

法王「その前に一つリクエストがある。できれば会場の明かりを強くしてもらえないか?(ステージのみへの照明で会場はほぼ真っ暗だった)
そうすれば、みんなの顔を見ることができるから。
(会場の照明が明るくされる)
おお、いい!すごくいい!
会場の聴衆の顔を見えると、人と話しているという感覚が持てる。
暗いと、時にお化けと話しているような気がするものだ。ハハハ・・・
あるいは独り言をいってるような気になる。
照明を明るくしてくれてありがとう。

あれ!みんなカタを掛けてるみたいだな?、、、
どうも沢山の人たちがカタと呼ばれる白いスカーフを掛けていらっしゃるようだ。
その白いスカーフについて、私は通常、2つのことを説明する。
まず、その「白」という色は、「動機(心)の純粋さ」を表す。
「慈悲」を表している。少なくとも「他者に対し害心がない」ことを表す。次にこのスカーフのしなやかさは、その動機とともに態度が優しいことを示す。これがそのスカーフが表すシンボルの一面だ。

もう一つの面もある。このスカーフを掛けるという風習はインドから来たものだ。インドでは寺院や家族を訪問するとき、尊敬の意味でショールを差し出す。この伝統がチベットに伝わったのだ。
素材は中国製だ。中にはチベット語が織り込まれているものもあるが、これでつまりチベット人がオーダーして中国で作らせたものと解る。そして、この風習、伝統はチベット人により実行されている。このことから、そのスカーフは「調和の象徴」ともなる。

私たちは望む、望まないに関わらず、社会的動物として生まれた。
個人の苦楽は周りのコミニティー全体に依ってある。だから、調和と友愛は非常に大事だ。調和をもたらすためには、真摯な動機と優しい態度が欠かせない。
だから、私の愛すべき友人たち、愛すべき兄弟たちよ、、、
私は幸せになりたいと思う。あなたたちも同じ思い、望みを持っている。
そして、みんな幸せな生活を送る、同等の権利がある。
幸せ、喜びは身体的レベルにもあるが、精神的レベルのそれがより重要だ。身体的レベルの楽は、金銭に依る面が多く、お金持ちは便利な生活をして楽にしているだろう。貧しい人々や失業者はこの面ではきついこともあろう。

しかし、精神的レベルにおいては貧富の差は関係ない。教育のレベルも関係ない。ある場合には、精神的レベルにおいては、ひょっとして貧しい人々の方がより心の平安を楽しんでいるのかも知れないと思ったりする。
非常に頭のいい人は、往々にして、ビジョンが多すぎて、期待が大きすぎて、反ってより多くの恐れや不安を味わうものだ。
内的幸せ、喜び、平安についてはみんな同等の可能性を持っている。このことについてもっと考えてほしい。
より正直な、真摯な、慈悲深い心を持って、互いに助け合うことだ。
特に、助けを必要とする、貧しい人々、病気の人々、老いた人々、囚人も含めて、このような人々を、同じ社会の一員として認め、決して排除してはいけない。社会全体を一つの家族として、楽しい家族のように育て面倒をみること、これが私の望みだ。

ありがとう。ありがとう。」(拍手)

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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