チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年12月17日
温家宝首相デリー訪問の顛末
今日温家宝首相はデリー訪問を終えインドの敵国パキスタンに向かった。
パキスタンは今頃大スポンサーの中国を大歓迎していることであろう。
支援の目玉は核施設建設援助。
見返りは表向きアラビア海への道のみ。
インドは苦々しい思いと供に温さんを見送ったことであろう。
温さんが経済協力強化を全面に出しながら「中印は協力パートナー」といつものにこにこ演技に務める間中、外ではチベット人たちがここぞとばかり中国政府非難の声を張り上げていた。
こんな時、元気一杯叫び暴れるのがTYC(チベット青年会議)のしきたり。
中国国旗の上で温さん人形に火を付けたりもした。
もちろん暴れ過ぎると見張りのデリー警察に拘束される。
もっとも、デリー警察は中国やネパールと違って彼らを殴ったりはしないし、数日で解放される。
ネパールだと拘束時に逆らえばこん棒で殴られる。
これが本土だとリンチ状態となり、その場でめった打ちにされ血を流し、意識を失う。
拘束後においても、デリー警察は鉄格子の中に1~2日入れとくだけで、もちろんそこで拷問に遭うということはない。
ネパールでも拷問はない。
しかし、本土ではその後何週間も時には何ヶ月もの酷い拷問が待っている。
結局この3日間の抗議活動によりTYCのメンバーが26人、SFTのメンバーが5人警察により拘束されたという(計35人との最新情報もあり)。
SFT(Student for Free Tibet)の方はもっぱら目立つ場所に大きなバナーを掲げるという作戦を得意とする。
今回も温さんが会議をしていたビルの反対側にある、建設中のビルの17回に写真のような巨大バナーを掲げた。
チベット亡命政府首相のサムドゥン・リンポチェは「実際、中・印国境というものは存在しない。国境沿いの問題はチベット問題が解決されない限り終わらないであろう」と意味深なことを語った。
さらに「中国はパキスタン・カシミールでパキスタンが進めているミサイル基地建設に手を貸している。これはインド全域への脅威となろう」と語り中国脅威論を煽った。
亡命政府デリー事務所のテンパ・ツェリン代表も、15日にデリーで行われたチベット民間4団体主催の会議で「中国は最近チベットの中に沢山の空港や高速道路、鉄道を建設しているが、そのほとんどは民間用ではない。これらの本当の意味についてインドは考えるべきだ」と中国脅威論をちらつかせた。
ま、こんな亡命チベット人たちの声がインド政府に届いたというわけではないだろうが、とにかく今回の温さんのインド訪問はお金の話以外には実り多いとは言いがたいものとなった。
最大の変化は共同声明にはこれまで常に中国側の要望に答え入れられていた「一つの中国」という言葉が排除されたことであろう。
この言葉は「台湾とチベットは中国固有の領土である」ということをその国が承認する、という意味を持っている。
この一言を入れるようにという中国側の要求に対し、インド側は「それを入れてほしければ、こちらもカシミールはインドの固有の領土であると中国政府が公式に認めることを求める」と返した。
これを中国は断ったのだ。
実際、中国は最近カシミール地区の住民に対し別個の特別ビザを発給している。
さらに、インドは中国に対し国連の常任理事国入りを支持するよう求めたが、これもやんわり拒否されている。
その他、諸々、結局表面上はにこやかに友好ムードで会談が進んだように見せてはいるが、実は対立は深まるばかりだったのだ。
温さんは400人もの経済使節団と供に飛来し、オバマやサルコジを抜く200億ドル(約1.68兆円)の商談を纏める予定だったが、最終的には纏まった商談は160億ドル程度に留まったようだ。
インドにとって対中貿易は大幅な赤字続き。この改善が十分約束されなかったのが原因と思われる。
中国はパキスタン、バングラデシュ、ビルマ、ネパール、スリランカに軍事援助や経済援助を行って、いわゆる「真珠の数珠つなぎ」政策と呼ばれるインド包囲網計画を進めている。
このまま、中国がこのような政策や国境・インド洋における領土・覇権争いを強気で進める限り、経済交流がいくら進んでも、中・印間の真の信頼関係構築などは残念ながら相当遠い話と思われる。
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写真はすべてphayul.comより。
参照:
日本語、http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2010121602000032.html
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)