チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2010年12月16日

劉暁波氏の言葉・その2

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c04e6c88.jpg前回の続きとして「天安門事件から『08憲章』へ」(藤原書店)から劉暁波氏の言葉をいくつか抜粋、紹介する。

忘却に対する記憶の闘い(15周年を迎えて)

 15年が過ぎた。あの銃剣で赤く染まった血なまぐさい夜明けは、相変わらず針の先のようにぼくの目を突き刺す。あれ以来、ぼくの目にするものはみな血の汚れを帯びている。ぼくが書いた一字一句はみな、墳墓のなかの霊魂が吐露したものから来ている。
・・・・・・
 人殺しの政権は人を絶望させる。人殺しの政権と殺された者を冷淡に忘れる心をもつ民族は、さらに人を絶望させる。大虐殺の生存者に力がなくて、受難者のために正義を奪還できないことは、なおさら人を絶望させる。
絶望のなかで、ぼくに与えられた唯一の希望は、霊魂を記憶に刻むことだ。

二〇〇四年六月四日夜明け 北京の自宅にて

「天安門の母たち」―――受難が生んだ高貴で堅固な思想
現代中国のおける最も尊い道義性

 草の根の階層の権利擁護の要求に対し野蛮な弾圧を行う政権は、間違いなく民を敵とする政権である。人を殺す政権は、人から唾棄される政権である。偽りの言葉で殺人の弁解をする政権は、人から軽蔑される政権である。人から寄せられた人道的献金を凍結する政権は、非人間的な政権である。しかし、「天安門の母たち」は依然として文明にふさわしい方法で自身の要求を表明することを堅持しており、未だかって過激な要求を提出したことはなく、未だかって過激な行動をとったこともなく、未だかつて激しい憎しみの言葉を用いたこともなく、始終変わらず勇気をもって良心に呼びかけ、慈悲の心で恩と恨みを融合し、善意によって悪意を取り去り、理性によって憤りを抑えている。このような高貴な愛と公明正大な理性、このような持続する強靭な気質と勇気は、まことに社会的良心を実行する際の模範となるものであり、中国の民間社会における最も尊い道義的資源であり、中国を平和裡に秩序をもって転換へと向かわせる健全な力の一つである。
 息子、娘を失った孤独な老人、夫を失った妻、父母を失った孤児、生計をたてる力を失った身体障害者らで構成されるこの受難者のグループは、最初の生きているより死んだ方がましだという気持ちから立ち直り、次第に絶望の憂鬱から抜け出した。生活の苦しみは一言では言い尽くせず、霊魂の煉獄の苦しみは言い表すことができず、威圧の下で沈黙を余儀なくされ、覚醒後の闘いでは危険な状況が続出した。しかし、受難者の家族相互の暖かな心遣いと国内外の良心ある人々の同情に支えられ、「天安門の母たち」はほとんど奇跡のように、誇り高く毅然と立っている。彼女らは極めて困難かつ人身に対する危険がいっぱいの情況の下で、六四の殉教者名簿や証言を収集し、国内外の人道的寄付金を獲得し、終始変わることなく、歴史を明らかにし正義を追求するという要求を堅持している。少しの疑いもなく、六四以後の十六年来、中国共産党に対し罪過を正し、歴史の真相を調査し、人民に公正と道理を返還するように促している民間の権利運動の中で、六四の受難者家族のグループは最も優れた活動をしている。
......

 たとえ独裁者たちが、いかに冷血であり、大衆がいかに鈍感であっても、彼女らは、墳墓の中の死者の霊魂たちのために冤罪をそそぐことにこだわり続け、広大無辺の母性愛によって狭溢な憎しみを取り除き、非凡な勇気によって野蛮な恐怖に抵抗し、永久に続く忍耐心によって長期間待つことに耐え、辛苦をいとわない探訪活動によって強制的な忘却を拒否し、個々の事例を示すことによって偽りと化した生存状態を暴露する。
 まさに『天安門の母たちの言葉』が次のように言う通りである。
「我々、この容易ならぬ苦難の中にある民族は、すでにあまりに多くの涙を流し、憎しみは、すでにあまりにも久しく蓄積され続けた。我々には自身の努力によってこの不幸な歴史を終わらせる責任がある。今日、我々が身を置く環境が依然こんなにも厳しいとはいえ、我々には悲観する理由はなく、ましてや絶望する理由はない。なぜなら、我々は、正義、真実、そして愛の力が、最終的に強権、嘘、そして暴政に打ち勝つに足るものであると堅く信じるからである。」

・ ・・・・・私は常に覚醒しないわけにはいかない。私の文字は無力で、私の声は微弱であっても、私は母親たちの正義を追求し、真相を証明しようとする歩みに従わないわけにはいかない。

二〇〇六年三月三日、北京の自宅にて


文化大革命から天安門事件までーーー中国民主化の挫折
小さな「文革」の連続

 まさに権力の思い上がりのせいで、�眷小平たちは、中国共産党の自己神格化とその独裁権力のみを信じているーーー共産党だけが中国を救い、強大な中国を建設することができるというわけである。権力の思い上がりのせいで、彼らは、民間の知恵を信じず、民意を尊重しない。その上、おおっぴらな民意の表明を大災害のように見なしている。それゆえ、�眷小平と彼の後継者は、文革式の敵対意識を継続し、「民主の壁」を弾圧し、「精神汚染」を除去し、自由化に反対し、六四の大虐殺を行い、民主党と法輪功を弾圧し、改革開放の過程は、政治面では「小さな文革」の連続となっている。

・ ・・・・・中国では、ただ権力の市場化と権貴の私有化という経済改革のみが行われ、中国人には、ただパンのみあって自由のない豚小屋だけがあてがわれているかのようだ。
・・・・・・
 
 文革に関する発言の禁止から六四に関する発言の禁止に到るまでの状況は、次のことを説明している。つまり、今日の中国の深層社会の危機がいかに厳しかろうと、中国共産党の現政権には、中国の改革を束縛している政治的ボトルネックを打破する考えが依然としてなく、彼らが相変わらず民権を軽視し、民意を敵視しているということである。偶発性の手を焼く事件を処理する場合であろうと、または社会の安定を保持しようとする場合であろうと、中国共産党の敵対的な思考は、本来穏やかだった矛盾を不断にエスカレートさせ、双方を心理的に(現実は往々にして決してそうではないのに、人為的に引き起こされた内心の恐怖がそうさせるのだが)全く退路のない激化した状態に追い詰め、その後には強制力、ひどい場合には暴力を使って一時的に問題を解決しようとするようになる。これは、道徳的に野蛮であり、社会が支払う代価が最大であるばかりか、しかも、その効果も必然的に本末転倒なものとなる。道義性と合法性を持つ、弾圧される側にとってそうであるばかりか、道義的合法性を失った弾圧する側にとってはさらにそうである。

・ ・・・・・つまり、自由民主を追求する民間の力は、急進的な政権の変更を介して社会全体を再構築することを追求するのではなく、漸進的な社会の変化を介して政権の変更を迫る。すなわち不断に成長する国民社会に依拠して、合法性が不十分な政権を改造するのだ。

二〇〇六年六月二日、北京の自宅にて

希望は民衆の自治・共生にありーーー中国民主化への突破口

・・・・・・だから、自由を許さない権力とその制度の力は、見たところ、いかに強大であっても、実際は、人間性の廃墟の上に建てられている幻の城である。人心にまで直接浸透するクリスチャン的な非暴力の抵抗は、まずモラルにおいて専制体制が頼る性向の基礎を崩す。独裁体制は、人の魂の中で腐乱し、一度時期が熟成すれば、専制の御殿が瞬く間に崩壊するビロード革命が出現するだろう。

二〇〇六年一月一六日、北京の自宅にて

続く

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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