チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2010年12月15日

ラサ近郊・ダム建設により強制移住

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ポド村付近

ポド村周辺(写真はグーグル・アースより)。この風景も水底に消え去る。

<ルンドゥップ・ダム建設のために数千人のチベット人が強制移住させられる>

AsiaNews 12/11/2010
http://www.asianews.it/news-en/Thousands-of-Tibetans-evicted-to-make-way-for-Lhundrub-dam-20230.html

水力発電所計画に基づき、ルンドゥップ県の3つの川がダムで塞き止められ、数千人の農民が家と耕作地を取り上げられる。
誰も今後どのようにして生活して行けば良いか分からない。
チベットの経済開発において、チベット人の権利は無視され続ける。

ラサのすぐ北に位置する、ルンドゥップ県ポドの4千人以上の住人がこの地域に建設されるダムにより家を追われる。
チベットの経済開発は常にチベット人の損失の上に成り立っている。
チベット人への見返りは少なく、中国の他の地域の利益のためにチベットは犠牲になり続ける。

ポド村下流のダム建設現場現地からRFAに寄せられた情報によれば「中国人たちは川を塞き止めるために橋を建設している」「すでに、中国人たちは工事のために兵舎を建設している」という。

ポドの下流に建設されるダムにより、ポドで合流するラデン川、ラチン川、パチュ川が塞き止められ、ポド村を含む少なくとも6つの村が水没する。

いくつかの世帯はすでに移住させられ、すべての世帯が2011年9月までに強制的に移住させられる。
すでに、当局は住民たちに「耕作と灌漑、収穫を禁止した」。

家を失う上に耕作地も失い、彼等の唯一の収入源となる収穫も禁止された。
新たにどのように祖末な家を得るかも知れず、仕事を失う。
このような不安からポドの500世帯の住民は移転に反対したが、聞き入れられず、様々な収容所に移住させられている。

いくつかの世帯は耕作地のないラサに移住させられた。
これらの農民たちは家財を売って生活するしかない。

現地からの情報によれば「夫々の家族は補償金として1万元(12万5千円)を受け取る事になっているが、この金で新しい家を建てるようにと命令された」という。

中国はチベットの分離主義者と戦いながら、チベットに経済的発展と富をもたらしているという。
しかし、チベット人たちは基本的人権である言論の自由もなく、中国は、僧侶や知識人を始め、亡命を強いられたノーベル平和賞受賞者である宗教的指導者ダライ・ラマについて語るすべての人々を弾圧し、文化的ジェノサイドを行っており、経済的発展は、地域で指導権を握る中国人移民に握られているという。
さらに、この種の計画でおいてはチベットの脆弱な環境に対する配慮は皆無で、ダム計画やその他の大規模開発も環境への影響が事前に調査されることは全くないと非難している。

—————————————————————–

ポド村このルンドゥップ県ポドはラサの北、直線距離約60キロにある。
ここを流れる川はラサを流れるキチュ川の上流にあたる。
レティン僧院への道沿いでもある。

グーグル・アースで探すと、ポド村のすぐ下の方にこのダムの建設現場と思える写真が掲載されているのを見つけた。

キチュ川の上流、ポドの下流ディグン・ゾンあたりにはすでに一つ大きなダムが建設されている。
これでキチュ川のダムは2基目である。
これらのダムに、もしものことがあればラサは大損害を被る事は間違いない。
ラサにとっても非常に危ないダムとなるわけだ。

それにしても、家と農地を取り上げ、強制移住されておいてたったの1万元とは酷すぎる。

このような開発には反対運動を恐怖で押さえ込むために常に、多量の軍隊が送り込まれる。
開発会社の後ろには軍隊がいる。
逆らうものへの発砲事件がチベットでは何度も起きている。
最近では8月に、ペユルで起きた開発に反対する住民への無差別発砲により3人射殺されている。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51494238.html

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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