チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年12月10日
12月10日のダラムサラ
追記:先ほどノーベル平和賞受賞式典をBBCのライブで見たので、追加を先頭に持ってくる。(写真BBC)
委員長のThorbjorn Jagland氏が最初の大きな拍手を受けたのは、
「この空白の椅子がこの賞の意義をシンボライズしている」
と語った場面。
その後の拍手の場面を思い出すと。
「劉暁波氏はこの賞は1989年の天安門の犠牲者に送られたものだと語った」
「彼の非暴力の戦いはネルソン・マンディラを思い出させる」
「中国は大国になったのだから、世界からの批判を受け入れるべきだ。マーチン・ルーサー・キング牧師に平和賞が送られた時、多くのアメリカ人が異議を唱えた。しかし、アメリカはこの事で強くなった。中国もこの批判を肯定的に受け入れるべきだ」
「彼は無実だ。開放されるべきだ」
「平和と人権いは深いつながりがある」
「彼は楽観的だった『中国はいつか自由な国になることを信じている』と語った」
委員長の演説の後に劉暁波氏が11年の刑期を言い渡される2日前、2009年12月23日に発表した最後の声明がノルウェーの有名な女優により読み上げられた。
全文を以下で読む事ができる。
http://www.foreignpolicy.com/articles/2010/10/08/i_have_no_enemies
題は「私に敵はいないし、憎しみもない」
その最後の2節を訳す。
「表現の自由は人権の基礎であり、人間性の源であり、真理の母である。言論の自由を締め付けることは、人権を踏みにじり、人間性を窒息させ、真理を抑圧することだ」
<「表达自由,人权之基,人性之本,真理之母。封杀言论自由,践踏人权,窒息人性,压抑真理」
「中国憲法により保証された言論自由の権利を行使するためには、中国の市民としての社会的責任を果たさなければならない。如何なる意味においても、私の行った事に罪はない。しかし、このことで私に罪が掛けられるとしても、恨み言はない」 <「为践行宪法赋予的言论自由之权利,当尽到一个中国公民的社会责任,我的所作所为无罪,即便为此被指控,也无怨言」
最後に「すべての人に感謝する」
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今日,ダラムサラでは朝から、ダライ・ラマ法王のノーベル平和賞受賞21周年を祝う式典とチベット人たちの喜びの歌と踊りが1日中続いた。
式典での亡命チベット議会の挨拶の中で
「劉暁波氏の平和賞受賞は中国の人々に取って非常に喜ばしいことであるはずだ。この場を借りて、中国の人々へ喜びと祝福の言葉を贈りたい。タシデレ!」という挨拶が入った。
もっとも、「今日はまた、『世界人権デー』でもあるが、この方は少しも喜ぶに値しない。チベットの内部でも他の世界の至る所でも、人権は無視され続けている。諸外国は口先ばかりで、実際に人権改善のために行動する国はほとんどない」と辛口の挨拶。
大臣室からの挨拶の中では「数人の個人を監獄に閉じ込めようと、彼等の思想、主義、希望をこじ込める事はできない。力と弾圧により人々の思考をコントロールしようとする全体主義者は最も無明な人間たちだ」と暗に中国を糾弾。
最近の中国語強要政策についても「このような政策はカール・マルクス、レーニン、毛沢東の少数民族政策を完全に無視するものであるばかりでなく、一つの民族の言語と文化を完全い破壊しようとする試みである」と厳しく批判した。
と、このような硬い挨拶が終わったと同時に、みんなが楽しみとする様々なグループによる、歌と踊りが始まった。
以下、午前中の写真。
忘れてた。法王の引退問題について大臣室も議会も声明の中でこれに言及した。
「法王にはいつまでもチベットの宗教的、政治的トップを続けてもらいたい。半引退とか全面的引退とか、決してそのような事を口にされませんように!」
と法王の引退など全く受け入れられないことを明らかにした。
授賞式を映すBBCの映像には、牧野議員の横顔も写っていた。
その他、俳優のデンゼル・ワシントンとかアン・ジャクリーン・ハサウェイの姿も。
彼女は劉氏の最後の声明の中で、妻への愛を示す箇所が読まれる時、涙ぐんでいた。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)