チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2010年12月9日

続・危機に瀕するアフガニスタンのガンダーラ遺跡 Mes Aynak

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明日はいよいよオスロでノーベル平和賞の授賞式が行われる。
空っぽの受賞者席のシンボリックな力はどれほどになるのか?

中国は躍起になって、国内でも反体制派の締め付けを厳しくしているようだ。
ノルウェーにいる中国人には脅しまで掛けて、平和賞反対デモへの参加を呼びかけている。

明日はまた「世界人権デー」でもある、世界中でこの2つの人権擁護を期す日に会わせたデモや行事が計画されている。

本来はこれらに関する記事などを紹介すべき今日このごろではあるが、この関係は大手メディア、その他に任せる事にして、今日はかつて一度紹介したアフガニスタンの仏教遺跡についての続編を書く事にする。

アフガニスタン Mes Aynak 遺跡前回の報告は以下で、
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51487756.html
<アフガニスタンの古代仏教遺跡が中国の鉱山会社によりダイナマイトで爆破されよとしている>という話だった。

その後、アメリカ軍も入れて、考古学者と中国企業+アフガン政府が話会いを行った。
その結果、今のところ「3年以内に遺跡の発掘を終え、できる限り遺物を他のどこかに持って行く。その後、遺跡は取り壊され、全面的に鉱山開発が始められる」という結論に至っているようだ。
http://www.hudson.org/index.cfm?fuseaction=publication_details&id=7331
http://www.theage.com.au/world/ancient-treasures-on-shaky-ground-as-chinese-miners-woo-kabul-20101115-17uc8.html

アフガニスタン Mes Aynak 遺跡この決定に対し、考古学者たちは「この遺跡はシルクロード中の一級遺跡だ。少なくとも全容を明かすには10年が必要だ」と主張しながらも、仕方なく急ぎ発掘を進めているのが現状だ。

この遺跡のあるMes Aynakの丘は実に数奇な運命を辿って来た。
60年代にはアフガンの考古学者たちにより、ここに古い遺跡があることが確認されている。
しかし、その後、ソビエトの侵攻により発掘は進まず。
その内ソビエトはここに銅鉱床があることを発見し、開発を始めた。
その後90年代に入るとここはアルカイダのアフガン唯一の訓練基地となった。
90年代終わりにアメリカ軍のミサイル攻撃により、アルカイダは一掃された。
その後、ここの銅鉱床は世界でも有数の規模であることが判明。
そこにある、遺跡も世界遺産級であることが判明。
中国企業がここの開発を入札し、遺跡は部分的に移転され消える運命となった。

で、今日、ここでこの遺跡の話を再び書く事になったのは、@tibet_news_jpn(U女史)がツイ上で以下の中国語記事を発見したことを報告され 、これを翻訳し私に送って下さったからだ。

以下にその中国語記事の翻訳を掲載する。
写真が沢山載っている上、中国人がブログに書いたということで、いろいろと香ばしい内容になっている。

本文中*印には私の注が下にある。
写真は原文より(元はWSLやAP)。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

アフガニスタン Mes Aynak 遺跡<アフガニスタンで2600年前の仏教寺院を発見、アフガンの国家博物館を満たすほどの文物も>

原文:http://www.360doc.com/content/10/1204/08/1721223_74856454.shtml

現在世界中で一般的に、釈迦牟尼仏は2500年余り前に誕生したと考えられているが、考古学チームの述べる時期が正確ならば、この寺院は仏陀の年代には既に建造開始されていたか、或いは釈迦牟尼仏の生存年代が現在考えられているよりも早かったことになる*1。
100%確かなのは、2000年前に仏法はここを通り、漢の地に来たということだ*2。
いずれにせよ、文物の点から見ただけでもこの発見は不思議なものであり、(その数量も)アフガンの国家博物館をいっぱいにするほどだ。
この3000畝の遺跡には、私たち仏教徒の誇りと期待に値するあまりに多くのものが!!!*3

写真は考古学の現場で撮影されたもので、ソースはウォール・ストリート・ジャーナル。
以下の内容は、写真と多くのメディアの報道内容を整理して書いた。
転載歓迎、無量の功徳がありますように!

ある中国企業がアフガン国内で銅鉱を採掘する際、思いがけず、2600年前に古いシルクロード上に建てられた仏教寺院を発見*4、古代の仏陀の彫像が多数出土した。
イギリスの『デイリー・メール』の報道によれば、考古学者は早速、シルクロード沿いにある紀元前7世紀のこの遺跡に赴き、発掘による発見の可能性につき調査している。

アフガニスタン Mes Aynak 遺跡紹介によれば、この遺跡は首都カーブルの南20マイルに位置し、アフガニスタン東部のローガル州に属する。
Mes Aynak寺院と数基の舎利塔を含むこの遺跡は、今年5月に中国の冶金科工集団公司(中冶集団)の作業員が掘削を行っていた際に発見したものだが*5、対外的な発表は先日やっとなされた。

寺院の遺跡の地下には銅鉱が埋蔵されており、この企業は元々来年末に、当地での世界第二の規模を持つ銅鉱の建設開始を希望していた。
アフガニスタンの考古学者は1960年代には、Aynak銅鉱が古い仏教寺院の所在地である事を知っていたが、何年もの間動静は無かった。
ここ数年既に、遺跡で貴重な文化財を漁る盗掘者がいくつかの寺院建設を損壊していた。

アフガニスタン Mes Aynak 遺跡現在、アフガニスタンから15名、フランスから3名の考古学者が、2-30名の作業員と共に、面積0.77平方マイル(約3000畝)の現場で発掘作業を展開している。

中冶集団とカーブル政府との間の非公式協議によれば、考古学者には3年間、考古学的発掘を進めさせるという。しかし5月より、現場の考古学者から、全面的保護を全うするには3年間では不足だとの声が上がっている。

アフガニスタン Mes Aynak 遺跡現場にいるフランスの考古学者・マーキス氏は、資金と人手の不足により、考古学的な救済措置のための努力は”雑多且つ小範囲”になるであろうと話す。
このような規模と豊かさを持つ遺跡に臨むならば、通常は20名の考古学者と100名の作業員が必要だ。

現在、この仏教寺院の建物は既に完全に出土し、寺院の歩道、壁画の描かれた部屋、様々な様式の陶器・石造の仏の立像・横臥像が、一つ一つ眼前に現れてきている。
寺院の庭園の遺構には、かつては高さ4-5mの仏塔が数基そびえ立っていたと考えられる。

アフガニスタン政府は既に、考古学的発掘のために200万米ドルの経費を配備、他にも5百万~1千万ドルの経費を調達しているところだ。
米国政府はこのプロジェクトへの資金援助を承諾したが、具体的な金額は現在明らかになっていない*6。

アフガニスタン Mes Aynak 遺跡末学注:この仏像の表面は黄金で飾られていたようだ。

マーキス氏はこう語った。「ここはシルクロードで最も重要な中枢の1つだった可能性がある。埋蔵されている貴重な文物は、アフガニスタンの国家博物館を満たすほどの点数だ」
遺跡の発掘は現在既に始まっており、壁画で飾られた回廊や部屋が現れ、部屋の中は立像や横臥像などの石彫の仏像でいっぱい、高さ10フィートの像もあった。
また、黄金や貨幣で装飾された多彩な壁画もあった。

アフガニスタン Mes Aynak 遺跡中庭だった場所には、高さ4-5フィートに達する舎利塔もあった。
現在発見されている仏像は150座を超え、重くて動かせないものもある*7。
調査チームはその上、小さな仏像を掘り出す時、割れないようにするための化学薬品にも事欠いている。

2000年前、この地は仏教が中央アジアから中国へと伝わっていった、重要な通り道だったのだ。

アフガニスタン Mes Aynak 遺跡この仏教寺院の遺跡では、考古学者が一尊の木製の仏像を掘り出した。約1400年の歴史がある*8。

考古学チームはこの仏教寺院が紀元前200年から繁栄しており、少なくとも紀元6世紀、9世紀の時にはまだ人が住んでいたとしている。

別の考古学者・テデスコ氏はこう語る。「ここの文物はこのように豊富ですから、10年かけても長くはなく、3年では文物の記録作業を完了するだけで精一杯でしょう」

考古学者は一尊の、長さ5mの横臥仏像も発見している。

アフガニスタン Mes Aynak 遺跡この写真は同地付近の地形。

数世紀にわたって、Mes Aynak寺院遺跡と現地の銅鉱の存在は広く知られており、アフガニスタンのダリー語ではこの名前は「銅」を意味する。
中国企業による銅鉱の建設はアフガニスタンの経済発展を極めて大きく推進する。
アフガニスタンの鉱業部門は、この場所は600万トン以上の銅埋蔵量を有し、市場価格は一千億米ドルを上回り、銅鉱や関連運輸設備の開発は、更に多くの来ようと経済活動をもたらすとしている。
政府は毎年中国から約12億米ドルの利益を得、その上大量の雇用を生み出すことができる。

————————————————————–

*1:遺構は2500年前からここに町があったことを証明しているとしても、そこに仏教寺院が構築されたのは後の時代の話。ガンダーラに仏教が伝えられたのはアショカ王の時代(BC3)。その後、仏教化されたのはBC1世紀。仏陀の生誕年代と遺跡の始まりは関係ない。

*2:アフガニスタンから西に伸びるワハン回廊は中国へ向かうシルクロードの重要な道であったし、確かに玄奘三蔵などはここを通ってインドに入っている。しかし、この遺跡はガンダーラの中心部の南側にあるので、必ずしもここを通って仏教が中国に伝えられたとは言えない。
2000年前にはまだタリム盆地(西域)にも仏教は伝えられていなかった。タリム盆地に仏教が伝えられたのは2Cと言われている。中国に伝わったのはそのまた後。

*3:「私たち仏教徒の誇りと期待に値するあまりに多くのものが!!!」とかこの後にも「転載歓迎、無量の功徳がありますように!」とか、この記事を書いたのは中国人のはずだが、「中国は何時、また仏教徒になったのだろう」なんて不思議に思われる方もおられるかも知れない。
この記事は実は中国の仏教徒関係者がよく見るらしいブログであると、@uralungtaさんに教えてもらい私もやっと納得した。

*4:この遺跡を最初に発見したのは中国の鉱山会社ではない。自分でも下のほうで、「アフガニスタンの考古学者は1960年代に遺跡を発見していた」と言ってる。本当に最初に発見したのは地元の住民であろう。

*5:発見は中国冶金科工集団公司(中冶集団)でないことは上に述べた。
この鉱山は入札の結果この中国の会社が開発することになった。ちょうど今日の毎日新聞の夕刊に、この遺跡・鉱山の話が載っていた。
http://mainichi.jp/select/opinion/kaneko/news/20101209ddm003070103000c.html
この中「2年前、中冶集団がカルザイ政権から採掘権を手に入れた。この時、中国から鉱山相に3000万ドルの賄賂が渡ったという『関係者の話』を米紙ワシントン・ポストが報じている。」というのがある。
さも在りなんの話ではある。

*6:上の毎日の記事にも書かれているが、アメリカはこの中国の開発を面白くないと思っている。タリバンから守ってやるのはアメリカで儲けるのは中国じゃ割に合わない。
その上、「中国は鉱山開発と共に、中国からタジキスタン経由のルートによる鉄道建設計画もあり、アフガニスタンは、今後、中国にとって戦略上の重要拠点になると見られる。」http://www.jogmec.go.jp/mric_web/current/09_45.html
というわけで、いよいよアメリカはこのアフガンでも中国と対峙するはめになるというわけだ。

*7:仏像などを全部移せと言われても、大物はテラコッタやただの粘度製だったりするので、移すことが不可能なものが大半だ、と考古学者たちは嘆いている。

*8:この小さな木製の仏像は観音菩薩のようにも見える。仏像と同様、観音菩薩や文殊菩薩の像が初めて生まれたのもガンダーラである。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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