チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年12月8日
ブッダガヤで、カルマ・カギュ派が900周年記念祭
チベットで転生制度の先鞭を付けたのはこのカルマ派だ。
その前には転生制度などチベットに存在しなかった。
ダライ・ラマ法王の所属するゲルク派はこのカルマ・カギュ(カムツァン)派の転生制度を真似たとも言える。
今のカルマパ(ウゲン・ティンレ・ドルジェ)は17世だが、1世カルマパであるドゥスン・ケンパが生まれたのは1110年とされる。
今年は彼の生誕からちょうど900年目に当たる。
これを記念して、この派の900年祭が、今日から釈迦成道の地ブッダガヤで開かれている。
ブッダガヤでこの式典が開かれる場所は「テルガル僧院」と呼ばれるカルマパの大僧院だが、これ、自分が設計したところ。
もっとも、図面を書いただけで、遠いから行きたくないと言い続け、とうとう一度も現場を見なかったので出来上がりには自信がない。
写真を見て、似て非なるかな、、、と思うが仕方ない。
1200人用と自分が設計した僧院の中では一番大きいのだが、まだ、一度も行った事がない。
写真は図面(正面立面図)ともう一枚はphayulに載ってた写真。
で、チベット4大宗派の中でもカギュ派ほど複雑に分派している派は他にない。
まず大きくは2つ、ダクポ・カギュとシャンパ・カギュに別れる。
ダクポ・カギュはさらにパクモドゥ派、ディグン派、ツェル派、ドゥク派、カルマ派に別れる。カルマ派はさらに黒帽派と紅帽派に別れる。
2000年の年明けに、チベットから劇的な逃避行の末インドに逃れた今のカルマパが有名になり、あたかもカギュ派を代表するかのごとき存在になっているが、実際には他にもいろんな派があるのだ。
でも、確かに今のチベット仏教界においては、今のカルマパはダライ・ラマ、パンチェン・ラマに次ぐ第3番目のラマと見なされている。
中国政府とダライ・ラマが両方とも認定した唯一の転生ラマでもある。
最近ダライ・ラマ法王が完全引退をほのめかされた後、益々彼が宗教的後継者であろうという噂が広まっている。
しかし、このカルマパの行動に対しインド政府は厳しく監視、拘束している。
外国からの招待は度々あるが、アメリカに一度行くことができただけで、再度のアメリカ行きもヨーロッパ行きもインド政府により拒否されている。
AsiaNewsがこの式典にも参加している首相のサムドゥン・リンポチェにこの問題、その他について質問している。
興味がある方は以下にアクセスしてもらいたい。
http://buddhistchannel.tv/index.php?id=9,9723,0,0,1,0
当たり障りのない、つまんない答えばかりなので訳は省かせてもらう。
その他、今回の式典やカルマパに特に興味がある方は以下にアクセス。
http://www.karmapa900.org/
http://www.kagyumonlam.tv/
http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=28674&article=Karmapa+Lineage+readies+for+900th+Anniversary+celebration
前にも書いたが、なぜ、インド政府がカルマパの行動を規制し、出国ビザを拒否したのかについては、はっきりしない。
もちろん、中国政府がインド政府に圧力を掛けたということもあり得るが、その他にも、もう一人のカルマパを擁立し、インド政府内の役人と繋がりの深い、シッキムのシャマール・リンポチェの邪魔も考えられる。
何れにせよ、カルマパの前途は容易ではない。
有名になればなるほどに不自由度が増すように思われる。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)