チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年11月24日
法王が完全引退?
ダライ・ラマ法王は今日の朝11時頃、無事ダラムサラに帰って来られた。
沿道にはいつものように、法王の労をねぎらい、無事の帰還を喜こぶ大勢のチベット人が出迎えていた。
今回の外遊は特に長く、さぞお疲れのことと思われた。
先月はアメリカとカナダに3週間。
その後、数日だけダラムサラに帰られた後、すぐに日本に2週間弱。
インドに帰られた後もデリーで1週間様々な講演やイベントに出席されていた。
ダラムサラの自宅でしっかり静養して頂きたい。
次の行事は一週間後の今月30日から3日間ロシアグループのリクエストに答えてティーチングを行われる。
今回のテキストは「ゲルセー・トクメー・サンポ(カダン派の導師)の37菩提行論」。
おまけにグヒヤサマージャの灌頂も行われる。
もちろん、一般の人々も参加自由。
私も行くつもり。
ティーチングはいつものようにhttp://dalailama.com/のウエブで見る事ができると思う。
で、今日は最近話題になっている、法王完全引退の話をしたい。
法王は先月の北米ツアーの頃から度々この話をされている。
例えば、昨日のAFPの記事。
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<ダライ・ラマ、チベット亡命政府トップを引退へ>
http://www.afpbb.com/article/politics/2776538/6506727
【11月23日 AFP】チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ(Dalai Lama)14世が来年、チベット亡命政府の指導者の立場から引退する意向を示した。仕事量や儀礼的な役割を減らすことを検討しているという。ダライ・ラマの報道官テンジン・タクラ(Tenzin Taklha)氏が23日、AFPに語った。
チベット亡命政府は1960年にインド北部ダラムサラ(Dharamshala)に拠点を移した。2001年には初めて亡命中のチベット人による投票で主席大臣を選出した。
タクラ氏によれば、投票以降、ダライ・ラマはいつも「半分引退した状態」と述べていた。また最近は「亡命政府議会に将来の引退について相談していた」という。
タクラ氏によると、ダライ・ラマが「引退」するのは、決議への署名などの政府トップとしての儀礼的な役割からであり、宗教的指導者としての立場や、チベット人のリーダーとしての立場から引退するわけでないと強調した。
タクラ氏は、「(ダライ・ラマが)政治的なたたかいの指導をやめるわけではない。彼はダライ・ラマだ。いつだってチベットの人びとを率いる存在なのだ」と述べた。(c)AFP
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この辺のチベット人はこれを聞いて特に驚く人もいなかったと思われる。
法王は何年か前から、「自分も年だし、人間として<引退>の権利があると思う」などと発言されていた。
2001年以降は、「私はチベット人のスポークスマンに過ぎない」とも言われていた。
実際、2001年以降はほぼ政治的決定は議会に任せ、最後の承認のハンコを押されていただけ、というのが現実だ。
もっとも、この引退も「議会などと話し合ってから決める」とおっしゃっている。
議会の誰かが「じゃあ、引退してください」なんて言うとは到底思えない。
従って、いやいやながらも亡命政府の代表を続けることになると予想される。
ただ、法王としては、何れは本当の老い、そして死という現実が待ち構えていることを自覚され、それを一般のチベット人にも自覚させ、自分なしでもちゃんとやっていけるように、今からしっかり準備せよ、と言いたいのだと思う。
来年の春には新しい首相と議員が選出される。
今までも、独立派を中心に「法王が政府のトップという、今の体制は本当の民主主義ではない」という意見もあったので、できれば若い者たちにすっかり任せたいのかもしれない。
対中国においてもその方がやりやすいと思われているのかも知れない。
何れにせよ、ダライ・ラマ法王はお亡くなりになるまで(お亡くなりになっても)チベットの人々を見捨てるはずもなく、またチベット人の信頼も揺らぐことはない。
影響力は全く変わらないであろう。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)