チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2010年11月8日

11月5日デリー、第6回ITSG全体会議におけるダライ・ラマ法王のスピーチ その1

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法王先の11月5日から3日間、デリー郊外でITSG(国際チベット支援団体)の第6回全体会議が行われた。

会議には世界の56カ国から260人が参加し、これからのチベット支援全体の方針に関する話し合いが行われた。
法王は日本訪問を前に、風邪を引かれておられたにも関わらず、この開会式に出席された。

開会式で行われた法王のスピーチのすべてがYouTubeにアップされていたので、それを訳してみた。
http://www.youtube.com/watch?v=BLkZvUPtZd8

今回は全体の1/3位まで。

——————————

風邪を引いたせいで、ジャイナ教の僧侶になっちゃった。ハハハ・・・。
アドバニ氏(元インド副首相)、そして私の兄弟姉妹の方々。
ここに来れた事を、私は非常に嬉しく思っています。

ここにおられるほとんどの皆さんは、もうご存知のことと思うが、私は全く形式ばらない話し方をする。
また、フレンドリーに話す。
くだけた話し方をするのは、一つには、英語が下手だからだ。ハハハ・・・
だから、ただ話すだけだ。
感じるところを話すだけだ。それだけだ。
すべてのスピーカーたちがそれぞれのフィーリングを伝え、我々の大義に支持を与えてくれたことに感謝する。
ありがとう。

また、世界のあらゆる場所から多くの国の代表たちが来られている、、、何と言うか、、、個人も国を代表することができると思う。
必ずしも政府である必要はない、人々も国を代表することができるのだと思う。
多くの人々が、ここに来て、チベット問題を解決するために何らかの貢献をしようと思い参加されている。
だから、これを心より評価する。

まず、最初に言いたい事はーーいつも言っている事だがーーチベットを支援してくれる人たちの内、ある人たちはチベット問題というと、それは単に人権の問題だ、と思うことについてだ。
もちろんこれもチベット問題の一部だ。
しかし、他の側面もある。

いま一つの側面は環境だ。
中国人を含めた何人かのエコロジストは「チベット高原は(地球の)第三極だ」と言っている。
それは、温暖化に関する影響という点で北極、南極と同じぐらいに、チベット高原は重要だと言う意味だ。
だから、第三極と呼ばれる。
地球温暖化に大きく関係しているのだ。

また、10億人もの人々に関わると思われる大河の問題もある。
これらの(アジアの)大河はチベット地域を源流とする。
パキスタンから中国まで、主な大河はチベットから流れ出る。
私の思うに、10億人以上の人々の生活が、これらの大河に依存している。
特に、このインド。プラマプトラ等の大河はチベットから来ている。
源流は他の国にあるが、その主な利用者は数百万のインド人だ。
だから、あなた方はチベットの環境に対して発言する権利がある。
その源がチベットにあるのだから。
これが(環境という)一つの側面だ。
実際、これは政治とは何の関係もない。

幸いヂュー・ロンチー(朱 鎔基?)の時代になって、初めて森林保全の重要性について認識されるようになった。
その前には環境について共産党は考えもしなかった。
ヂュー・ロンチーの時代に、ある地域でそれ以上の森林伐採を禁止することが決定された。
でも、汚職がゆえに、森林伐採は今も行われている。

だから、例えば、最近ゴロ地域で洪水が起こり、被害が出た。
これに対し、ある中国人はこの洪水は自然災害ではなく人災だという記事を発表した。
この地域は数十年前まで深い森に囲まれていた。
しかし、この森林は伐採により完全に消え去った。
だから、彼はこの災害は本質的に人災だと結論づけたのだ。
チベットの環境保全は結局多くの中国人を守る事に繋がっているのだ。
これもチベット問題の一つの側面なのだ。

もう一つの側面はチベットの文化に関するものだ。
仏教が伝えられた後にチベット文化は大いに進展した。
ある時モラルジー氏がインドの首相になった時(77年)就任祝いの手紙を送ったが、その返事の中に彼は
「インド文明とチベット文明は1本の菩提樹の2つの枝である」と書いて寄こした。
何れにせよ、インドは私のグル(師)だと常に言ってる。
「グルジ~(お師匠様)」と言ってる。ハアハアハハハハ・・・

例えば、一人の仏教学者であり行者でもあるチベット人が、次のように表現し、書き残している
「インドの光がチベットに届くまで、雪の国はーー雪は普通には白く輝いているものだがーー暗いままだった」と。
インドのチェラ(弟子)だと言っている。
自分はインドの古代から続く思想のメッセンジャーだとも言っている。
「アヒンサ」。
これはインドからもたらされた。
インドの思想だ。

アヒンサは行動だ。
行動はすべて動機に依存する。
正しいアヒンサの行動を起こすための鍵は慈悲の心だ。
慈悲を宣揚する私の努力は、結局アヒンサの宣揚でもあるのだ。
これも、インドのメッセージだ。

そして、「宗教間の調和」。
すべての主要な宗教が混在しているのはインドだけだ。
(アドバニ氏を指差しながら)あなたとかつて論じたことがあるが、、、あなたはチャルバーカ(古代インドの無神論者:無神論者も古代インドでは弾圧されず思想家として尊敬されていたという話)について話された。
多くのことを学ぶ事ができる、とても有益な対話だった。
ヘヘへ・・・

(数秒YouTubeの音が消えている)
もちろん、中には悪いやつがいる。これはいつでもあり得る。理解できる。
しかし、一般的にはすべての主な宗教が2000年前から共存している。
これは他の国の良い見本となりえる。

昔はそれぞれがある程度隔離されていただろう。
でも今はすべてが緊密に依存し合って存在している。
多くの社会が、複合文化、複合宗教の社会となっている。
だから、もちろん問題も起こり得る。
インドを見るべきだ、インドから学ぶことは多いと思う。
だから、自分はインドの古代思想のメッセンジャーだと言っているのだ。

2年前に中国のグループと会った時。
ある人が質問した「あなたは『私はインド人だ』と発言したそうだが?」と。
私はそれに対し「私の頭脳の一つひとつの細胞はナーランダ思想に染まっている。また、この身体は、この50年間インドのダル(豆)とインドの米によって維持されて来た。だから自分はインド人のようなものだ」と答えた。
彼はそれで、分かったみたいで、もうそれ以上質問して来なかった。ハハハ・・・

何れにせよ、チベットの文化的伝統はインドの宗教間調和の精神、相互に尊敬し合う精神に影響されていると言える。

この明らかな証拠として、次のような話がある。
今から3、4世紀前にイスラム教徒の一群が商人としてラダック方面からラサに来て、その内、住み着いた。
ダライ・ラマ5世は彼等にモスクを建てるための土地を与えた。
私が子供の頃、ある縁起のいい日に、数人のイスラム教徒たちがポタラにやって来た。
私は「どうして彼等がこの日にポタラに来るのだ?」と(側近に)訪ねた。
「彼等はこの日に役所から貰える縁起が良いとされるプレゼントを貰いに来ているのです」という。
これは、他の宗教も尊重していた証拠だと思う。
もちろん、イスラム教徒は別だという人もいるだろう。
確かにそうだが、尊重し合うことが大事だ。

また、仏教はインドから、それも主にナーランダ(僧院)から来たのだから、その主要なメッセージは教義としての「縁起(相互依存)」にあると思うべきだ。
これは量子物理学の理論に似る。
相対性理論だ。
この考え方は非常に有益なものだ。
今日の世界にも通用する考え方だ。

行動(行)の面では慈悲、無量の慈悲。
この故にチベットの社会は、、、一般的にベジタリアンではないが、、、その生活は慈悲の精神に裏付けされている。
だから、私はチベットの文化は「平和の文化」だと言うことができる。
「慈悲の文化」だと。

中国人を含めて多くの考える力のある人たちが一度でもチベットを訪問するならば、チベット人たちがより明るく、より平和的で、より慎み深いことに気づく。
それに比べ、中国人はどこでも、近づけばゾーラ(走了)、ゾーラ、ゾーラ、あっちへ行け、あっちへ行け、、、ハハハ、そんなじゃないか、ハハハ・・・
人は気づくのだ。

多くの中国人たち、、、2年前に中国の学者、作家に会った時の事を思い出す。
その中の何人かは本土から来ていた。
彼等が言うには、中国本土では、数千年間守られ続けて来た、人間的価値、道徳観が意図的に破壊されてしまったと。
その結果、汚職に満ち、不正に満ち、社会全体は非常に不幸な状態に陥っていると。
金の事しか考えないと、マニー、マニー、マニー、それだけだと。
彼等は目に涙を浮かべながら、独裁政権は遅かれ早かれ何れ変化すると言った。
このまま残る事はできないと。

しかし、この数千年守られて来たが失われてしまった道徳観を、再び生き返らせる事は非常に難しいと。
この方が時間が掛かると。
この分野で、彼等はチベットに期待しているのだと。
チベット人が助けることができると。
慈悲深い道徳観を取り戻すために。
中国の知識人たちから、このことを聞いた時、私は更なる責任を感じた。

続く。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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