チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年10月25日
バリ島、舞踏編
先週バリ島に行き、帰りに半日クアラルンプールに寄って21日の夜またカンボジアに帰って来た。
バリ・マラソンに参加するはずだったが、練習中に肉離れ。
残念ながら走ることはできなかった。
結局、マラソンに参加したあるグループの写真班兼ツアコンに成り下がりながら観光旅行に勤しむこととなった。
パソコンも持って行かず、旅行中は全くネットにアクセスしなかった。
帰ってきて、初めてチベットの学生デモのことを知るはめになり、ドルマさんからも「トンバニさんはデモのことをご存じない」なんて揶揄されるはめに、ハハハ・・・
チベットでは世界でも稀な子供たちによる必死のデモが続いているというときに、少々不謹慎のようではあるが、とりあえず旅の写真などをアップさせてもらう。
バリはご存知のようにイスラム教国の中でヒンズー教を信じる人々が集まる島。
インドネシアは中国のように他民族国家だが、バリには宗教弾圧も同化政策も無く人々は平和で豊かな文化を享受している。
ただ、私は25年前にバリを訪れた後今回までご無沙汰していたので、その変わりようには驚くばかり。観光開発もここまで来ると、独特の文化も希薄化が顕著に感じられ寂しくもあった。
ではあるが、まずはバリらしい写真から。
バリといえば、ケチャ・ダンス。
ウブドに行けば、毎日どこかでやっている。
(写真はクリック)
バリ島はなぜ、今のような芸術・文化の栄える島になったのか?
その始まりは16C。それまで東ジャワには13C末に始まった大国マジャパヒト王朝が繁栄していた。
この国の人々はヒンドゥー教と大乗仏教を信仰していた。
16Cに入るとイスラム勢力が台頭し、王朝は崩壊する。この時大勢の貴族、僧侶、芸術家、音楽家、職人たちが大挙してバリに亡命し、新たに王朝を作り、それまでの芸術、文化を守り続けた。
また、ヒンドゥー教は元々バリに根付いていたアニミズムと集合することで独特の多神教世界を作り上げた。
俗にバリは「神々の島」と呼ばれるが、確かに人々は朝夕必ず、寺院や街角に花などの供養物を供えることを欠かさないし、やたらと祭りをおこなう。
もっとも、これだけでは現代人が特に賞賛するバリ芸術は生まれなかった。
実は今のバリの演劇や絵画の創造には1人のドイツ人芸術家が深く関わっているのだ。
その人は1930年代にバリに移住したWalter Spies(ウォルター・シュピース)。
彼はアンリ・ルソーやシャガールの影響を受けたドイツ新即物主義の画家であった。
絵画以外にも色んな分野で活躍し、例えば、元々は悪魔払いの儀式で使われていた男性合唱をラーマーヤナ物語と融合させることで新しいスタイルを創造し、芸術の粋にまで高めた。
バリ芸術を開花させたのは、実は西洋人のシュピースであったと言われている。
バリ人の宗教観や世界観を軸に、西洋のオリエンタリズムが民間芸能を芸術へと昇華させた、と言うわけだ。
(ケチャ・ダンスの絵)
上半身裸の男が50~100人火の周りに輪になって、中で踊るラーマーヤナの登場人物たちを「チャックチャック、チャックチャックチャック、ポーンポーン」と囃子続けるこのケチャ・ダンス。
一度見ると忘れられない迫力がある。
思い出せば、私はかつて友人の結婚式の時、その頃世話になっていた建築事務所の男ども10人ぐらいを上半身裸にさせ、新郎・新婦にラーマ王子とシータ姫を演じさせて、このケチャを演出したことがあった。
結婚式の一週間前から毎日、私が小太鼓を叩きながらみんなに練習させたものだ。
ケチャは案外簡単にできるのだ。
もっともバリの舞踏は何でも最後はトランス状態に入ってこそ完成するといわれているが、このトランスは素人にはちょっと難しい!
ケチャの最後にそのトランスダンスが行われた。その夜見たものは、、、
多量のヤシの実をしっかり焼いて熾火状態にしたものを地面に広げる。
その上を藁と竹で作った馬を担いだ1人の若者が熾火を蹴上げながら何度も行き来する。
火渡りという見せ物はどこでもあるが、普通は一度走り抜けるだけだ。
それをこの男は裸足で10回、20回と繰り返す。
普通の足の裏と感覚(意識)であろうとは思えない。
見ている方がはらはらするという見せ物だった。
この男は完全にトランス状態にあるという想定である。
この絵は悪魔と戦う猿たちを描いたもの。
もともとケチャで火を囲む男たちは悪霊を追い払う猿を象徴している。
バリの絵にはこの手のリアルな地獄絵が多い。
ちょうど旅行中に読んでいた、芥川の「地獄変」の世界を思い出させた。
もう一つバリ島で有名な舞踏劇は「バロンとランダの戦い」。
左の写真がバロン。
中には2人の人が入っており獅子舞のような動きをする。
バロンは世界の善を象徴し、男性であり、太陽、光である。
それに対し、次の写真のランダは女性、暗闇の象徴であり、死をもたらす魔術師ということになっている。
これも悪魔払いの儀式の一つが劇のルーツだという。その儀式をベースにこちらはインドの叙事詩「マハーバーラタ」を取り込み、一時間ものの舞踏劇として編成し直された。
世界は善と悪のバランスの上に成立し、表裏一体であるというバリ人の世界観を表しているそうだ。
左は、バロンを助けるために現れた若者たちが、結局ランダの魔力により自分の胸に短剣を刺すという場面。
実はバリでは、この胸に短剣を刺して自決するという場面が、実際に集団で行われたことがあるのだ。
1906年、バリ島にオランダ人が攻め入って来た。
この時、大勢のバリ人の僧侶や兵士、庶民たちが儀式用の正装に身を包み抗議の行進を行った。王の合図で、彼らは短剣で自分の胸を刺し、集団で自決した。
ブプタン(自決の行進)と呼ばれるこの集団自殺は、オランダによる侵略とバリの神々への冒涜に対する命をかけた強烈な抗議であったという。
(続く)
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)