チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年10月14日
刑務所での拷問により精神に異常を来した尼僧、家族に引き渡される
10月12日付けTCHRD(チベット人権民主センター)プレスリリース
http://www.tchrd.org/press/2010/pr20101012.html
当センターが入手した情報によれば、カンゼ・チベット族自治州、カンゼ地区ロバ郷、プルナ尼僧院が行った平和的抗議に参加した尼僧ソナム・チュドゥン(36)は、度重なる拷問の末哀れな姿に成り果てたという。
銃の台尻で何度も殴られた結果、正気を失ってしまった。
それ故、刑務所を出され、彼女は家族に引き渡された。
現在も彼女は精神的に不安定で、泣き止まず、常に介護が必要な状態にあるという。
2008年5月14日、カンゼでプルナ尼僧院とヤンテン尼僧院の尼僧約200人が中国政府に対し平和的抗議を行った。
その場で公安と武装警官は多くの尼僧を逮捕した。
その後、この2つの尼僧院の院長であるトゥルク(転生ラマ)・プルブ・ツェリン・リンポチェも逮捕された。
そして、2009年9月22日、カンゼ中級人民法院はリンポチェに8年半の懲役刑を求刑した。
現在、彼は四川地方のメヤン刑務所に収監されている。
リンポチェは非常に衰弱していると伝えられている。
デモに参加し、逮捕された尼僧の内、プルナ尼僧院のソナム・ラツォには刑期10年、ブモに9年、ソカとヤンチェン・カンドに3年、タシ・ラモに2年の刑がそれぞれ言い渡された。
他のほとんどの尼僧は開放されたが、尼僧院に戻ることは許されず、それぞれの出身地に送り返された。
尼僧ソナム・チュドゥンは銃の台尻で殴られ頭部に深い傷を負った。
その衝撃から彼女は正気を失い、気がふれてしまった。
警察は2008年9月15日、彼女を家族の元に返した。
それ以来、彼女は常に泣き叫ぶことをやめず、一日中介護が必要な状態に陥っているという。
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この記事を読んで、私は1人の元尼僧ナムドル・テンジンのことを思い出した。
彼女に会ったことが、元良心の囚人を主に援助するルンタ・プロジェクトを立ち上げる契機になったのだった。
ある日、私は家の近くで女性が泣き叫ぶ声を聞いた。
その泣き声が余りに大きいので、私は外に出て声の聞こえる方へ歩いていった。
そこには、暴れながら泣き叫ぶ1人の若い女性がいて、そのそばで2人の僧侶が彼女をなだめようとしていた。
彼女の様子は普通ではなかった。
僧侶に「どうしたのか?」と聞くと「この子は元尼僧で、名前はナムドル・テンジンだ。デモの後監獄で酷い拷問をうけた。その後から正気を失ったのだ。出獄した後、こうして亡命することができたのだが、こんなになることが度々ある。一度、こうなると中々治まらない。酷い時は何日も泣き続ける。寺の周りを回りながら叫ぶこともよくある。思い出すとこうなるようだ、、、」という
その僧侶はイシェ・トクデンと名乗り、「9-10-3の会」の会長だといった。
私はそのころ、この会の名前ぐらいは聞いたことがあったが、実際にはどんな会なのか詳しくは知らなかった。
よく聞くと、会は作ったがまだ事務所もなく、本当に貧しく、これと行ったスポンサーもない会であると分かった。
彼はその気がふれてしまった彼女のことを根気よくなだめ、優しく声をかけ続けていた。
その日、私は「絶対に、この人たちを助ける」と誓った。
次の日から、私はお金を持ってそうな友達に連絡したり、ダラムサラに来る日本人に寄付を募ることを始めた。
運良く、大きなスポンサーが付き、浜田省吾くんが資金集めのコンサートを開いてくれたことも手伝って、元政治犯80人を収容する、職業訓練所+学校を建てることができた。立派な事務所もできた。
ナムドル・テンジンはその後やさしい元政治犯と結婚し、次第に落ち着いて来た。今は子供も生まれ、ベルギーに移住している。
ナムドル・テンジンの証言:http://www.lung-ta.org/testimony/namdol.html
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)