チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2010年10月13日

プチュン・バン=カンボジアのお盆

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空からのプノンペン左の写真はプノンペン空港に到着する前に空から撮影したもの。

左隅に2本の川が合流しているのが写ってる。
2本の内、左の川がチベット高原からはるばるここまで下って来たメコン川。
メコン川の上流はチベットでは「ザチュ」と呼ばれ、ジェクンドの西隣にあるナンチェンやカムの西の都チャムド、デチェンのジョルを経由し、ラオスを通ってここまで来て、この後南シナ海に注ぐ。

右手からメコン川に合流している川はトンレサップ川と呼ばれ、巨大な湖トンレサップ湖と結ばれている。
この川は面白くて、乾期に水は普通に上流のトンレサップ湖からここまで来てメコンとともに南に流れるが、雨季になると逆に、メコン川からの水がこの川を逆流してトンレサップ湖に入る。
このせいで湖は3倍(1万平方km)に膨れ上がるという。

プノンペンの人口は約150万人。
高層ビルはまだ数棟しかなく、全体にのんびりした雰囲気の町だ。
特に、みんなゆっくりと車を運転するので、これがのんびり感を醸し出す一因になっているようだ。

プチュン・バン(カンボジアのお盆)先週の7、8、9日、カンボジアは休日となり「プチュン・バン」と呼ばれる全国的大行事が行われた。
田舎から出稼ぎに来ている人々は、みんなそれぞれの田舎に帰るので町は閑散として静かだった。
この期間にはみんな必ず布施のために沢山の寺を巡り歩く。

私も近くにあるワット・トゥール・トンボンという大きな寺に行ってみた。

以下、この「プチュン・バン」についての説明を手元にあった「カンボジアを知るための60章」という本から引用させてもらう。

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プチュン・バン(カンボジアのお盆)雨季真っ最中に行われるプチュン・バンは、仏教徒カンボジア人にとって最も重要な祭りの一つである。
プチュン・バンという語には本来「集める」という意味がある。
かつてポル・ポト時代にいったん壊滅状態になった仏教が復興し始めた時代、何はさておいても、まさに人々の団結心を集め、プチュン・バンを復活することによって、カンボジアの人々は仏教徒共同体を再建したのであった。

プチュン・バンという行事自体は陰暦十月満月の日から十五日間に渡って寺院に布施をする一大祭日期間であり、祝日となっているのは、十五日目を挟む三日間である。
各寺院を支える世帯住民があらかじめ十五日間の担当日を割り振り、当日の布施に責任を持つ。
この十五日間住民は地元の寺院のみならず、遠くの寺院まで乗り物に乗り合わせて出かけ、布施をする。
多くの寺院と僧侶を物質的に支えることにより大きな功徳を得る機会であると同時に、楽しい物見遊山の機会でもあるのだ。

プチュン・バン(カンボジアのお盆)プチュン・バンは本来的には、日本の盆と同様の、祖先祭祀の儀礼であり、積んだ功徳を祖先に回向するという意味合いがある。
さらに期間中、夜明け前の暗いうちに、人々は寺院に出かけ、暗闇に漂っているプラエト(生前の罪のためにまだ成仏できない無数の霊)にバーイ・バン(炊いた餅米を団子状に丸めたもの)を投げ与える。
十五日目は最も多くの人々が寺院に集う。
この日にはオンソーム(バナナや豚肉を巻き込んだ俵形のちまき)やノム・コーム(三角形の蒸し菓子)なども皿に山盛りになる。

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プチュン・バン(カンボジアのお盆)仏教には本来、「祖霊」という概念はなく、日本でもここでも「お盆」と言われる民族行事は中国の影響で始まったものであろう。

仏教がインドから直接伝えられたチベットには「祖霊」という概念はまったくなくて、死者は遅くとも49日の後には六道のどこかに生まれ変わっていると考えられている。

それでも、仏教行事として中国から伝えられた「盂蘭盆会」について調べるて見ると中々面白い話がでてくる。
以下、ウィキペディアより。

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プチュン・バン(カンボジアのお盆)盂蘭盆会(うらぼんえ、ullambana、????????)とは、安居(あんご)の最後の日、7月15日 (旧暦)を盂蘭盆(ullambana)とよんで、父母や祖霊を供養し、倒懸(とうけん)の苦を救うという行事である。これは『盂蘭盆経 』(西晋、竺法護訳)『報恩奉盆経 』(東晋、失訳)などに説かれる目連尊者の餓鬼道に堕ちた亡母への供養の伝説による。

盂蘭盆は、サンスクリット語の「ウランバナ」の音写語で、古くは「烏藍婆拏」「烏藍婆那」と音写された。「ウランバナ」は「ウド、ランブ」(ud-lamb)の意味があると言われ、これは倒懸(さかさにかかる)という意味である。亡くなった魂は中空に逆さにつり下げられたような苦しい状況にいると考えられていたのである。
近年、古代イランの言葉で「霊魂」を意味する「ウルヴァン」(urvan)が語源だとする説が出ている。サンスクリット語の起源から考えると可能性が高い。古代イランでは、祖先のフラワシ(Frava���i、ゾロアスター教における聖霊・下級神。この世の森羅万象に宿り、あらゆる自然現象を起こす霊的存在。この「フラワシ」は人間にも宿っており、人間に宿る魂のうち、最も神聖な部分が「フラワシ」なのだと言う。ここから、フラワシ信仰が祖霊信仰と結びついた。)すなわち「祖霊」を迎え入れて祀る宗教行事が行われていた。一説によると、これがインドに伝えられて盂蘭盆の起源になったと言われている。

プチュン・バン(カンボジアのお盆)目連伝説
一般にはこの「盂蘭盆会」を、「盆会」「お盆」「精霊会」(しょうりょうえ)「魂祭」(たままつり)「歓喜会」などとよんで、今日も広く行なわれている。
この行事は本来インドのものではなく、仏教が中国に伝播する間に起こってきたものであろう。現在、この「盂蘭盆会」のよりどころとしている『盂蘭盆経 』は、『父母恩重経』や『善悪因果経』などと共に、中国で成立した偽経であると考えられている。したがって、本来的には安居の終った日に人々が衆僧に飲食などの供養をした行事が転じて、祖先の霊を供養し、さらに餓鬼に施す行法(施餓鬼)となっていき、それに、儒教の孝の倫理の影響を受けて成立した、目連尊者の亡母の救いのための衆僧供養という伝説が付加されたのであろう。
盂蘭盆経に説いているのは次のような話である。

プチュン・バン(カンボジアのお盆)安居の最中、神通第一の目連尊者が亡くなった母親の姿を探すと、餓鬼道に堕ちているのを見つけた。喉を枯らし飢えていたので、水や食べ物を差し出したが、ことごとく口に入る直前に炎となって、母親の口には入らなかった。
哀れに思って、釈尊に実情を話して方法を問うと、「安居の最後の日にすべての比丘に食べ物を施せば、母親にもその施しの一端が口に入るだろう」と答えた。その通りに実行して、比丘のすべてに布施を行い、比丘たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜びをした。すると、その喜びが餓鬼道に堕ちている者たちにも伝わり、母親の口にも入った。

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プチュン・バン(カンボジアのお盆)日本でもそうだが、カンボジアの寺にとってはこの日はみんなからの布施が一気に入る、かきいれ時である。

人々は朝から、気合いを入れてごちそうを用意し、寺を回りながら僧侶や尼僧に振舞う。
また、もちろんお金も沢山布施する。

で、私の行った寺は遠目には大きくて立派なのだが、近づくとその階段が壊れたままだったり、あちこちがいたんだまま修復されていないという状態だった。
僧侶の数も、タイやビルマ、チベットなどに比べると意外に少なく、それも若い僧侶が中心だった。
どうも、ポル・ポト・ショックから十分立ち直っていない感じだった。
あるいは、伝統が十分回復される前に物質文明に浸食され、僧侶のなり手が案外少ないのかも知れないと思った。

プチュン・バン(カンボジアのお盆)本堂の壁画。苦行中の仏陀。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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