チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2010年9月30日

中国人作家・廖亦武氏

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中国で服役中の民主活動家、劉暁波氏(54)にノーベル平和賞を授与するようとの働きかけが世界中で行われている。
http://www.47news.jp/CN/201009/CN2010092801000047.html

一方、中国政府はノーベル賞委員会とノルウェー政府に対し、彼に平和賞を与えないようにと圧力をかけている。
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100928/erp1009282008006-n1.htm

これで彼の受賞の可能性は益々高まったと思われる。

で、今日は興味深い1人の中国人作家を紹介する。

廖亦武氏も1989年に反体制派として逮捕されている。
外国渡航申請15回の後やっと今回ドイツへの渡航が許可されたという。
その彼のドイツ滞在記の記事を個人のブログに訳されていたのを見つけたので、それを転載させて頂く。

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http://www.digi-hound.com/takeuchi/category_5/item_33.html#more
元記事: http://www.canyu.org/n20191c6.aspx

廖亦武(中国の作家 liao yi wu ・リャオ・イウ)ベルリンに。

この一週間、ベルリンとハンブルグに滞在していた 廖亦武に、人々は好意のこもった好奇の眼差しを向けた。まず衣装が人目を引く。浅黄色の詰め襟の上着、革のリック、中には簫の笛と托鉢の鉢。そして剃りあ げた頭。とある中国の女の子は「和尚さんの恰好ね」と言った。彼の作品を読み、その境遇を知っている人は放浪者の恰好をしたヒッピーか、無頼のバガボンド と思うだろう。一見この伝奇作家はちょっと内気な仏像のように厳かな顔におもえるが、一緒に数日過ごすと心の中は悲しみに満ちた、だが原則は決して譲らな い人物だとわかる。

廖亦武は15回もの渡航申請の据え、ようやく9月15日にベルリン文学祭の招請でドイツに来ることが叶った。ベルリンのブライプトロイホテルの文学空間プ ロジェクトを受け、作家として6週間の滞在だ。というのは彼の「中国底辺訪問記」が英語とドイツ語に翻訳され(Corpse Walker,黄文译)和德文(Fraeulein Hallo und der Bauenkaiser)、ドイツ社会に大きな反響をまきおこし多くの読者がうまれたからである。来年には「証言」がドイツ語に、「極東の羊飼い」が英語 に翻訳される予定だ。 それに加えて、ドイツの政治家は彼の「出国の権利」についても重大な関心をもっていた。だから廖亦武がベルリンに来ることは、文化界のホットニュースなの だ。記者会見では質問は政治方面に集中しそっちのほうばかり聞きだそうとして、廖亦武が詩人で文学者で音楽芸人だという点はどうでもいい、みたいだった。 「どうして今回出国できたのか?」「帰国は大丈夫なのか?」「改革開放以来、言論の自由は広がったか?」「あなたが出たことによって追随者があらわれると おもうか?」「出国について当局と取引は?」。こうした質問に廖亦武は丁寧にこう答えた。「私の作品は中国の土壌にねざしたもので、自分は出国の権利を粘 り強く堅持したように帰国の権利もそうする、作家は内心の自由がなければならず、それがなければどだい作品など生み出せない」。

廖亦武にとって1989年 が自身の生活と作風に大きな変化が生まれた転換点で、獄中の体験が彼に底辺を知るきっかけになった。作家としてはこれは無尽蔵の宝の山だった。政治的な問 題については廖亦武は「それは審美眼の問題。何が美しく、なにが醜いかは私と役人達では違うみかたをするんだ」と答えた。 ハンブルグ滞在中、廖亦武は文学祭主催者の報道界の人々や、評論家、ノーベル賞受賞者のグラス、芸術家達、社会活動家、あるいは貴族やお姫様とまであって 話を交わし、その印象は彼の頭の中をかけめぐっているだろう。中国最底辺の人々と過ごしてきた廖亦武にとってドイツの上流人士との落差をどう感じたろう か。しかし、そうはいっても人間であることは同じだ。さまざまな人々の精神と暮らしを観察する作家の目には言語や文化、習慣の違いは邪魔にはならない。無 数の握手や抱擁、賛美、集会、食時間、公演、問答を通じて、廖亦武に最も深い印象を残したのはWolf Biermannだった。Biermann氏はかって東ドイツ政府の弾圧をうけ、最後には国から追放されてた。帰国を許されなかった歌手・作家として廖亦 武の境遇と心情を同じくしている。最初の日に友にベルリンで歓談し、翌日もハンブルグで17日夜に開かれた朗読演奏会に出席した。

この会場はガラス屋根造りのハングルグ歴史博物館の大ホールで開かれ、多くの骨董的な彫刻や石碑が置かれているが、みな古いハンブルグの建築から持ってき て保存されている。黄昏時の光がガラスの天井から満員の200席以上の椅子を照らし、黄昏の光が弱まるとスポットライトが舞台を照らし、司会者の紹介で中 国式の服を着た廖亦武が木槌で鉢の縁を摩擦して出す音色が空間を貫き、続いて彼の甲高い歌声が突然会場に響いた。♪黄海の水はまさに尽きようとし、母親達 の乳房も枯れようとしている・・・。歌声は重厚で時に低く、高く響く。これは歌であると同時に彼の叫びだ。続いて女優が彼の「死刑囚が死を語る」を朗読し た。 〜略〜(詩はムズカシすぎて手に負えませぬ(^^;))

つづいて廖亦武は笙を吹いた。これは音楽だが大自然の音ではなく、人間の情感ーやりきれなさ、屈辱、悲しみ、いきどおり、有為転変、しみ通るような優し さ、理解となぐさめが万華鏡のようにつまっている。ホールの聴衆は黙って聞いていたが、突然、雷雨が降ってきてガラスの屋根のドームにビュービュー当たっ て跳ね返り、まるで笙に伴奏するかのよう。会が始まるまでは冗談ばかり飛ばしていたBiermann氏もこのときは真剣な顔でノートを取っていた。女優が 低い声で「遺体化粧師」を朗読。これは廖亦武が命がけで大酒飲みの親方と7度酒を飲んで七転八倒して書き上げた物語だ。

プログラムが終わると会場は一切を打ち消す大拍手に包まれ、廖亦武は舞台上で両手で顔を覆った。是まで受けた一切の屈辱や鬱屈、抑圧、悲しみがきれいさっ ぱり洗い流され、彼の音楽と文学は文化や言語を越えて、人々の心を動かしたのだ。人々は拍手で彼を抱き、慰め、Biermann氏は舞台に走り寄り、しっ かり廖亦武を抱きしめ、涙を流した顔で見つめ泣いたのだった。Biermann氏の顔は涙でいっぱいで、廖亦武は必死に涙をこらえていた。74歳になって も腕白小僧のようなBiermann氏がこのように心情を吐露するのはまことに心打つものであった。

この二人の芸術家は年齢が20歳も違い、会話は通訳を 介してなのだが、互いの精神は直に結ばれ演奏中も互いに対話できるのだった。このあと10月にも共同の音楽会おw開催するがきっと成功することだろう。 会が終わると、聴衆は長蛇の列をつくって7,80人がサインを我慢強く待っていた。一年前に出版された「底辺」を読んでいなかった人々は争うように買い求 め、作者のサインを求めていた。 ベルリンでの朗読・演奏会は大成功で、廖亦武は聴衆の心を捉えただけでなく、中国の昔からの友達と再会し、あらたな華僑の友達と知り合えた。

ベルリンの人 々はこれから数週間、彼が街を散歩して、サインの求めに応じたりする姿をみることだろうし、本を読んだ人は彼が中国からやってきた心と精神の医者であり、 義侠の士で、著作のために監獄にほうりこまれ、殴られ、飢えさせられ、残酷な刑罰に処せられたことを知るだろう。足もパスポートもあるのに出国できるかど うかわからず、中国人なのに祖国や同胞と一瞬にして失うという可能性に何十年も脅かされつづけたことを。だが、廖亦武は個人の利害損得にこだわることな く、心をけがすことなく生き抜いてきたのだ。 作家としてあなたの夢はなんですか?という質問に答え「中国人に自分たちの審美力を取り戻させることです」というのが廖亦武の答だった。 9月15日、ドイツにきて共にすごし19日に分かれるとき、廖亦武は突然「こんなに多くの外国人をみたのは初めてだよ」と言った。英雄の本領は、まさに子 供のような廖亦武氏であった。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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