チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2010年10月20日

ゲシェラの仏教講義/ダライラマ法王も中国人に対して行じられると言うトンレンの行とは?

Pocket

bd590c3b.jpg再掲/2008年5月12日と13日分

今日は月曜日と言うことで週に一度通ってるライブラリー(Library of Tibetan Works & Archives Dharamsala)の仏教講座に行ってきた。

このクラスをもう30年近く担当してるゲシェ・ソナム・リンチェン師は私の20数年来の師である。

最近このクラスに通ってる数人の日本人に勧められるまま、このクラスのレビュークラスをルンタレストランでやっている。
本当のクラスには出ずにこの時だけ現れる日本人も歓迎している。

クラスは先生がチベット語で話し、それを通訳のルースが英語に訳すというスタイル。
英語の苦手な日本人は外人に比べて理解に時間がかかる場合が多いようだ。

今日は丁度、トンレンの行についてだった。
丁度というのは最近「法王が毎日中国人に対してトンレンの行を実践している」という記事を目にしていたからだ。
この記事、4月3日付中外日報に法王の言葉として、M女史が報告しておられた。
それによると、

————————————————————————–

「この暴動が起きた当初、私は1959年に亡命を余儀なくされた時と同じ悲惨な体験をした。
毎日本土からの情報が届き、この数日は心配と不安で押しつぶされそうだった。
しかし、夜いったん眠りに就けば、そういう感情に邪魔されすことなく、眠ることができる。それには秘訣があるのだ。長年の訓練の結果である。

私は毎日朝三時半に起きて瞑想をし、祈りを捧げるのだが、その瞑想の中で<トンレン>と呼ばれる修行を毎日行う。<トンレン>とは<ギブ・アンド・テーク>の意味だが、相手の抱えている苦しみや不幸を自分が全て引き受け、その代りに自分が持っている徳や心の平和なで、すぐれたものを皆相手に与える、という感想を行うのである。

そこで中国人たちの怒りや憎しみ、不安や疑惑などすべてのネガティブなものを自分が引き受け、自分の心の平和と徳を、中国人や暴動を起こしているチベット人たちに与える、という観想をするのだ。
実際にそうなるわけではないが、私の感情面ではこれが大いにうまく働いている」

「心が怒りに満ちていれば眠ることもできない。心配や不安があると心の平和は乱され、チベット問題の解決はない。

これは個人、家庭、国際社会のレベルにおいても同じことであり、恐怖、不信、疑惑があると、それは問題解決の大きな障害となる。
真の問題解決は、互いを尊重し、信頼することから生まれる。そしてリアリティーを正しく見てアプローチすることが重要であり、心が惑わされているとリアリティーが見えない。だからすべての人達に状況を現実的に見るようにと私は言っている」

「暴動が起きてからの状況は、虎が若い小鹿をその爪に捉えているようなものだ。小鹿は虎に立ち向かえるのか?い言えば、気持ちはあってもそれは無理だ。私たちの武器は正義と真理であり、その結果が出るには時間がかかる」

————————————————–

5月13日分

ゲシェラの授業に入る。

———————————-

今日はDream Yoga(夢のヨーガ)でも始めにやろうか?
寝ながら出来るしね!
と冗談から。
(先日このクラスに来てる多くの外人が法王から無上ヨーガの潅頂を受けた。その中には夢のヨーガ等も広くは含まれるので、大そうなものだと軽くからかわれたという訳)

先週、先々週と菩提心の話をしてきた。
菩提心(ジャンジュップ・セム)に先立ち、慈悲(ニンジェ)がいる、慈悲に先立ち特別の愛(イオン・チャンバ)がいる、特別の愛に先立ち平等心(タンニョン)がいる。

平等心、チベット語のタンニョンには3種の意味がある、
一つは、禅定において対治(個別の治療手段)を使わずとも心が「有・無の中間」にほどよく留まっている状態。
二つ目には、感において快・不快を離れて中間にいる状態。
三つ目には、無量の平等心と呼ばれる、四無量心のうちの一つの心。

ここで無量と呼ばれるはその対象がすべての有情をカバーするが故に無量と名づけられる。今ここで言ってる平等心とはこの3番目の無量心のことだ。

ここまでは先週説明したし、瞑想法も教えた(目前に敵、中性の人、味方を観想し、3人に対して同様の近しい感情が沸くまで行ずる方法)。
平等心はフレスコ画を描く前に下地をでこぼこなくスムーズに均すようなものだ。
そのなめらかな下地ができて初めてその上に素晴らしい菩提心の絵が描けるというわけだ。
敵が苦しめばざまあみろでは菩提心はありえない。

チベット語でイオンチャンバ(親愛の情)と呼ばれる慈悲のもとになる愛が次に必要だ。この心は最終的にはすべての有情をあたかも自分の一人子や母親のように、親密で、愛らしい、可愛い、存在として感じる心だ。

チベット人は一般に前世来世を信じる。
これは識(心)の原因は識以外にありえず、物質から識がつくられることはないとの考えがあるからだ。それからして子宮内で生まれる新しい識の原因となるサトル(微細)な心が前世からやってくるとした。
またその始まりは無窮、始まりなしだ。終わりもない。

それからして、何万回何兆回と生死を繰り返す間には、すべての有情は一度は自分の母で会ったことがあるとの結論に至る。

さて、今日の本題のトンレンの行に入る。

この行はもともと、チベットに顕密両方をインドより伝えた11cのアティーシャの弟子達が形成したカダム派の師たちによって、主に行ぜられ伝えらてきた教えだ。
後にこのカダム派はゲールック派に吸収合併された。それでゲールック派の人たちもこの教えを大事にするのだ。

以下、カダム派の著名な行者ゲシェ・ポトワの教え。

まず正座して、目前に今生での自分の母親を観想する。あたかも目の当たりに本当にそこにいるように感ずるように。(どうしても私は母親に対してそんな感情にはなれないと思う人は、誰でもよいから自分が一番恩を感じる人を思えばよい)

その母を老いて元気のない病気がちであるように観想するのがよい。
今にも消え入りそうで誰かの助けがなければ一人では危うい様に思う方がよい。

その母親の苦しみと苦しみの原因をよく分析しそれらすべてを黒い煙、あるいは黒い光と観想し、長めの息と共に両鼻孔より吸い込む。
その黒い光の流れを、自分の胸にあらかじめ観想しておく、自分の利己心を象徴する黒い塊に衝突させる。

と、その黒い母親の苦しみの光が自分の利己心の黒い塊を一瞬にして破壊する。
同時にそこから白い光がまぶしいほどに輝き出る。

その輝く白い光は鼻から吐く息とともに今度は前にいる母親の鼻から母親の胸に到り、すべての幸せと幸せの原因(菩提心、空の理解等)を母親は受取り、微笑み輝くと観想する。

これを実際に自分の心が恩返しの心、慈悲の心に満たされるまで続けることだ。

このようにしてまずは一人の近しい対象に対してこの苦しみを吸い取る行ができたならば、じょじょに対象を広げ、敵味方なく、最終的にはすべての苦しむ有情で廻りの空間を一杯にして、これを行えるようにすることだ。
慣れて来たら、対象も多くなるので、すべての毛孔を使って光を出し入れしてもよい。

いづれにせよ、心を変えようと思うなら実際にこれらを実践してみることだ。
ただ話を聞いてだけでは何も変わらない。

これらは実際に苦しむ有情に出会ったとき、すぐに助けたいと思い、行動することができるように心を訓練するやり方だ。
実際に目の前に苦しむ有情がいるのに呼吸ばかりしていてはいけない、、ハハハ。

実際今のチベットの状況のように遠くにいて助けたくとも助けられない状況もあるだろう。
このような時にこのトンレンの行を行うのは非常に良いことだと思う。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

ちべろぐ

Archives

  • 2018年3月 (3)
  • 2017年12月 (2)
  • 2017年11月 (1)
  • 2017年7月 (2)
  • 2017年5月 (4)
  • 2017年4月 (1)
  • 2017年3月 (1)
  • 2016年12月 (2)
  • 2016年7月 (1)
  • 2016年6月 (1)
  • 2016年5月 (9)
  • 2016年3月 (1)
  • 2015年11月 (1)
  • 2015年10月 (2)
  • 2015年9月 (4)
  • 2015年8月 (2)
  • 2015年7月 (14)
  • 2015年6月 (2)
  • 2015年5月 (4)
  • 2015年4月 (5)
  • 2015年3月 (5)
  • 2015年2月 (2)
  • 2015年1月 (2)
  • 2014年12月 (12)
  • 2014年11月 (5)
  • 2014年10月 (10)
  • 2014年9月 (10)
  • 2014年8月 (3)
  • 2014年7月 (9)
  • 2014年6月 (11)
  • 2014年5月 (7)
  • 2014年4月 (21)
  • 2014年3月 (21)
  • 2014年2月 (18)
  • 2014年1月 (18)
  • 2013年12月 (20)
  • 2013年11月 (18)
  • 2013年10月 (26)
  • 2013年9月 (20)
  • 2013年8月 (17)
  • 2013年7月 (29)
  • 2013年6月 (29)
  • 2013年5月 (29)
  • 2013年4月 (29)
  • 2013年3月 (33)
  • 2013年2月 (30)
  • 2013年1月 (28)
  • 2012年12月 (37)
  • 2012年11月 (48)
  • 2012年10月 (32)
  • 2012年9月 (30)
  • 2012年8月 (38)
  • 2012年7月 (26)
  • 2012年6月 (27)
  • 2012年5月 (18)
  • 2012年4月 (28)
  • 2012年3月 (40)
  • 2012年2月 (35)
  • 2012年1月 (34)
  • 2011年12月 (24)
  • 2011年11月 (34)
  • 2011年10月 (32)
  • 2011年9月 (30)
  • 2011年8月 (31)
  • 2011年7月 (22)
  • 2011年6月 (28)
  • 2011年5月 (30)
  • 2011年4月 (27)
  • 2011年3月 (31)
  • 2011年2月 (29)
  • 2011年1月 (27)
  • 2010年12月 (26)
  • 2010年11月 (22)
  • 2010年10月 (37)
  • 2010年9月 (21)
  • 2010年8月 (23)
  • 2010年7月 (27)
  • 2010年6月 (24)
  • 2010年5月 (44)
  • 2010年4月 (34)
  • 2010年3月 (25)
  • 2010年2月 (5)
  • 2010年1月 (20)
  • 2009年12月 (25)
  • 2009年11月 (23)
  • 2009年10月 (35)
  • 2009年9月 (32)
  • 2009年8月 (26)
  • 2009年7月 (26)
  • 2009年6月 (19)
  • 2009年5月 (54)
  • 2009年4月 (52)
  • 2009年3月 (42)
  • 2009年2月 (14)
  • 2009年1月 (26)
  • 2008年12月 (33)
  • 2008年11月 (31)
  • 2008年10月 (25)
  • 2008年9月 (24)
  • 2008年8月 (24)
  • 2008年7月 (36)
  • 2008年6月 (59)
  • 2008年5月 (77)
  • 2008年4月 (59)
  • 2008年3月 (12)