チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2010年9月26日

烈日西藏/チベット現代美術展・最終回/ウーセルさんの解説

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「烈日西蔵」ポスターシリーズ最終回である今日は、ウーセルさんがこの展示会について解説された文章、及び彼女がブログで第7回分として紹介された絵を紹介する。

さらに補足として、チベット現代美術を知るために参考となると思われる資料もお伝えする。

今日も前回に引き続きuralungtaさんに中国語からの翻訳をして頂き、様々な教示も授かった。
さらにウーセルさんの解説に対する詳しい補足論考を書き下ろして下さった。

まず、そのウーセルさんの解説から:
(訳uralungtaさん)
原文:http://woeser.middle-way.net/2010/09/blog-post_21.html

烈日西藏―灼熱のチベット
ツェリン・ウーセル

 2年前、北京798芸術区で、チベット現代アートを集めた初めての展示会が開かれた。7人のチベット人アーティストが、「発生発声(生まれ出よ、声を上げよ)」をテーマに、芸術活動を通じて現在のチベットが置かれた状況をあらわに記録すること、芸術的表現を用いて現在のチベット人の生の声を表に出すことへの渇望を表現した。

 それから2年が経ち、北京宋荘芸術祭で再度、チベット現代アートをテーマとした絵画展が実現し、50人ものアーティストの作品が一堂に会した。50人のうちカムやアムド、また欧米在住を含むチベット人作家が約8割に及んだほか、それ以外の漢人アーティストも、かつてラサで生活した経験があったり現在もラサに拠点を置くなど、チベットと密接なつながりを持つ。チベット現代アートとしてこれほど大規模な企画展示は過去に例のないことはもちろん、この芸術活動が草の根から湧き起こったものであること、国家主導の官製芸術ではない表現活動であることに大きな意義があるといえよう。

 今回の絵画展のテーマは「烈日西蔵(直訳:灼熱の太陽の下のチベット)」。「生まれ出て声を上げた」2年前から「夏の苛烈な日差しに照りつけられる」に至って、表現は表面的な技術から内面の精神性の発露に及び、込められる意味は奥深く含蓄に富み、内容は豊富かつ多様になった。受け止める言葉を探して立ち止まる間にも、目をそらすことができず、ある種の生理的感覚を刺激され続けた。まさに、主宰の栗憲庭氏がいう「皮膚感覚」を体験したのだった。

 同時に、数年前に見た、旧ソ連を描いた映画「The Exodus Burnt by the Sun(太陽に灼かれて)」(*1)が脳裏に蘇った。繰り返し何度も見た映画だ。あの強烈な日差しに全身を焼かれる苦痛は、ソ連のような国家でだけ受けるものではなく、権力を一部が独占する専制社会はすべて人民に同じ苦痛を与えていて、私たちは同じ感覚を皮膚で共有したのだ。

 著名なフリーランスのアートディレクターで美術評論家の栗憲庭氏は、チベット本土のアーティストがチベットをテーマとして描いた作品と、チベット以外のアーティストの作品との間には「基本的な限界線」が存在する、と鋭く指摘する。なぜなら「我々外部の人間はすべて、本当にそのものになりきることはできず、ただ想像が及ぶだけだ。――文化の尊厳の危機、信条の対立、浸食される宗教、民族文化の混沌と粉砕、環境の汚染、深刻な中国化、西洋の大量消費主義の浸透……それによりチベット人が抱いている肌身を切られるような痛み!」。

 また、今回の絵画展のもう1人のディレクターでチベット本土のアーティスト、ガディ(�峡�)ははっきりと述べる。現在のような時代にあって「チベット人一人ひとりが、かつてない精神的動揺と信仰のゆらぎに直面している。すべては、まぎれもなく、私たち自身だけが体験し、表現できるものだ」。

 ガディのもう一つの発言も、非常に重みのあるものだった。「チベットを題材にした作品が1千万枚あったとして、我々自身の母語で表現されたものがどれだけあるだろうか。もしあったとしても、既にある種の『自己の中の他者の視線を通じた』表現方法に修正されているのではないだろうか」

 その通り、長きにわたり、チベットはその特殊な環境と不利な状況と境遇のために、権力者の勢力争いばかりが表に立ち、チベット自身は沈黙を守り、自ら声を発しなかった。話すことができなかったのではなく、その声は勇猛な人たちによって故意にあるいは意図せず覆い隠され、そこに存在するように見えるまでになったが、本質は決してそこには存在しなかった。いずれにしても、「チベット」に関する真の言及は、チベット人自身の口で表現されるべきである。チベット人自らがチベットを語らなければならないのだ。

 その際には、どの立場から語るかが問われることになる。チベット人であるということは確かにチベットを語る際の一種のよりどころとなるが、そこに自立した考え方と批判精神がなければ、チベットを語ったところで、他人の受け売りの意見を繰り返すオウムにすぎない。

 「灼熱の太陽の下」で、チベットはようやく真の姿を現した。「灼熱の太陽」に正面から向き合い、皮膚は焼けただれ、心の中まで傷を負うことさえあったとしても、芸術による表現こそが傷の痛みを癒やす良薬となる。企画展「烈日西蔵(灼熱の太陽の下のチベット)」では、私たちは、チベット本土のアーティスト一人ひとりが表現したそれぞれの「灼熱の太陽」の下のストーリーを見ることができる。

 あるものには涙を誘われ、あるものは悪ふざけでからかっているように見え、あるものは見るからに衝撃的で痛ましい。それはまさに、ノルツェの鉄の棺に縛られた30のチベット基母字であり、ヤク・ツェテンとツェカルが2000本以上の瓶ビールを飲み空けてストゥーパ(仏塔)のように積み上げた「酒塔」であり、表面に本来あるはずの仏教の経文ではなく私たちの日常生活を日々刻々侵食し続ける政治スローガンが刻まれたガディのマニコロ(マニ車)だ。身を置く誰もが直接に拷問を受け続け、チベット人の魂がその責め苦から逃れるすべはない。また私が一層忘れ難いのは、ニャムダの連作油絵に登場する、性別も判然とせず、顔だちは世の中の激しい変化を味わった老人のようにもあどけない童子のようにも見える子どもだ。救いがないようでいて、決して弱みを見せていない。

2010/9/14,北京
(初出:RFA[ラジオフリーアジア]チベット語放送専門番組)

訳注:[*1]「The Exodus Burnt by the Sun(太陽に灼かれて)」1994年、ニキータ・ミハルコフ監督。秘密警察の監視や密告、裏切り、拷問、処刑や暗殺などで社会全体が抑圧されたスターリンによる大粛正時代のソ連を描く。

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以下uralungtaさんによる<補足>

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 補足です。
 暗喩に富む含蓄あるコラムなので、説明しちゃうとかえって野暮というか、言わずもがなのことも多いわけですが、もしまったく知らない人がいたら参考になるかな、と思い一応補足です。訳注にすると興がそがれると思い、別稿にさせていただきました。

  ◇

 展示会のテーマ「烈日(激しく照りつける太陽)」、またその日差しに照りつけられるチベット、という表現が、象徴的な言い回しとして繰り返し言及されています。

 日、つまり太陽といわれて、中国なら誰もが思い浮かべるのは「紅太陽」すなわち中国共産党。文中ではロシア映画「太陽に灼かれて」も引用されていましたが、太陽を共産党になぞらえるのは共産圏共通のものなのでしょう。「毛主席就是金色的太陽」(北京的金山上)「共産党、像太陽」(東方紅)「心中的太陽是毛沢東」(天上太陽紅�収�収)などの革命歌(プロパガンダ唱歌)を引くまでもなく、太陽といえば共産党のメタファーであり、その日差しが激しくチベットに照りつける、と聞けば、共産党の圧政や理不尽で過酷な施策によって緑が失われ、湖は干上がってじりじり焦げつき大地がひび割れる満身創痍のチベットが脳裏に浮かびます。ウーセルさんは「(灼熱で)やけどを負う」「やけどの痛みに苦しむ」とまで表現していて、もうそこまでいくと、弾圧や拘束、軟禁、拷問、強制労働など、チベットが置かれた苦境を直接的に思い起こさせて胸が苦しくなります。

 「烈日(れつじつ)」は、日本語としては四字熟語「秋霜烈日」以外あまり馴染みのない表現なので、「灼熱の」「厳しい日差し」「激しく照りつける」などに言い換えましたが、そもそもの成語「秋霜烈日」は、刑罰や権威などが(草木を枯らしてしまうほど)激しく厳しいことの例え。(蛇足ですが日本の検察官バッジの呼称はここから)

 「太陽」は共産党の暗喩、「烈日」は秋霜烈日を重ね合わせた表現、と思うと、テーマを企画した段階から、この展示会の主宰者や参加アーティストたちが周到に内包させた怒りや批判精神、鬱積が伝わってくるのではないでしょうか。

  ◇

展示会の様子は、VOA(ボイスオブアメリカ)チベット語放送でも紹介されました

Tibetan Arts Exhibition in Beijing
http://www.facebook.com/video/video.php?v=1566702338435&ref=mf

また、以下のニュースサイトや個人ブログでもたくさんの写真とともに紹介されています。

楊孝文的博客
http://blog.sina.com.cn/s/blog_593e34060100lb3l.html
ビジネスマン知識層らしい中国人のブログ。
「芸術は分からないけど近いし面白そうなので行ってみた」人。「現代美術は、歴史が浅く芸術が存在しなかったアメリカが、世界の芸術の中心を欧州から奪取するために作り上げた陰謀的価値観だ、という説がある」という面白い持論を唱え、「陰謀にしろそうでないにしろ、我が国にたくさんの現代アーティストが出現したのは事実だが、彼らは一様に「美化」して現状肯定的であり、現代社会に合わせた味付けをして人の気を惹きつけようとするものばかりで、『烈日西藏』の作品も一様に同じ特徴を持っていた。こういう作品に価値があるかどうか、読者のみなさん、見ていただけますか?」だそうです。これも一つの受け止め方でしょう。見えているものの違いに、ニヤリとしてしまいます。

中国西藏网:新聞
http://www.tibet.cn/news/index/xzyw/201009/t20100910_627171_1.htm
中国政府系サイトのチベット関連情報を集めたニュース。
作品紹介よりも、開幕前にお経をあげてオープニングの式典をしたとか、「チベット人が北京で正当に評価されていますよ」という点を端的に伝えています。

新 网: 北京
http://www.bj.xinhuanet.com/bjpd_tpk/2010-09/11/content_20876116.htm
中国政府系の通信社。「民族特色的芸術作品在 里参展(民族情緒豊かな芸術作品がここで鑑賞できる)」とだけ説明されていて、内に込められたものまではまったく気づいていないようです。写真を見ると、チベットのお坊さんらしき人が見に来ているのが映っています。

  ◇

 コラム後半では、チベット人自身が声を上げる意味、「内なる他者」の存在、代弁者などについて触れられています。抽象的な、何通りもの受け止め方ができる書かれ方をしていて、おそらくそのどれもが正解ではあるのでしょう。

 「 期以来,西藏因其特殊的 境、 境和境遇,被 力者的�異多 力争相表述着,而西藏本身却�縄寂无声,不是不会 ,而是它被 悍的 力有意无意地共同遮蔽,以至于它看似在 , 却并不在 。」(長きにわたり、チベットはその特殊な環境と不利な状況と境遇のために、権力者の勢力争いばかりが表に立ち、チベット自身は沈黙を守り、自ら声を発しなかった。話すことができなかったのではなく、その声は勇猛な人たちによって故意にあるいは意図せず覆い隠され、そこに存在するように見えるまでになったが、本質は決してそこには存在しなかった)

 ――いまチベット人が幸せか。チベット人は何を望んでいるのか。チベットはどうあるべきか。

 この大きな問いに対して、古くはイギリスと中国が対立し、日本は手をつっこもうとして失敗し、現代はアメリカと中国の交渉の場で、もしくはインドと中国の間で、チベットは「取引材料」であり「人権カード」であり「道具」として、頭越しのやり取りを続けられてきたことを言っているのかもしれません。あるいはもっと直接的に、中国政府とチベット亡命政府のやりとりを暗示しているのかもしれません。中国当局が「チベット独立分子は…」と述べる時、それは内部に存在してはならない「外部」の存在であり、やはり、ウ・ツァン、カム、アムドのチベット本土は頭越しにされていたと言えると思います。

 もう一つ、チベットの頭越しに勢力争いをしていた「権力者」とは別に、「 悍的 力(勇猛果敢な・怖れを知らない人たち)」にも言及されています。故意かもしれないし無意識かもしれないけれど、結果的にチベットの内側からの声を覆い隠し、チベットの声がまるでそこにあるかのようにふるまっている」のは、もしかしたら、VOT(ボイス・オブ・チベット)やICT(インターナショナルキャンペーンフォーチベット)など海外在住のチベット人たちの「代弁者」を指すのかもしれません。あるいは、中国当局の考え方におもねって当局に都合のいい意見を述べるチベット人を指しているのかもしれません。

 「まるでそこにあるように見えて、実は本質はそこにはない」。解釈によっては、現在のチベットそのものをいい表しているのかもしれず、それがあまりにもぴったりくるようで、背筋が寒くなる悲しさを覚える表現です。

—————————————————————–

以下ウーセルさんが「第七回目」として紹介された作家の絵と略歴。
http://woeser.middle-way.net/2010/09/blog-post_19.html
栗憲庭氏の解説がある作品についてはその解説も付す。

扎西诺布:(Tashi Norbu)タシ・ノルブ(扎西諾布:Tashi Norbu) 
1981年シガツェ生まれ、チベット大学芸術学部卒業。
現在はチベット自治区群衆芸術館(ラサ市)勤務。
作品に「被写体」(原題「被影像」)など。

栗憲庭氏の解説:
「タシ・ノルブの《常ならざる現状》の画面には不安定な斜角の構図が用いられ、一方には仏像が、また一方にはチベット人の肖像が配せられ、2組のイメージの間にはある種の関係の空間が形成され、この空間を1体の紙飛行機が横切り、脆弱で不安定なイメージとなっている」

�峡�峡21カカ21(KaKa21) 
1971年ラサ生まれ。
1997年から2000年までチベット大学芸術学部デザイン学科で学び、2001年から2005年までチベット大学芸術学部美術学科で学んだ。

边巴(美隆):(Penpa)ペンパ(美術グループ「メロン現代アートスペース」
メンバー)(辺巴:Penpa)

1972年シガツェ地区パナム(白朗県)生まれ。
チベット大学、河北師範大学卒業。
現在はチベット文学芸術連合の美術協会に勤務。

補足:メロン現代アートスペース(美隆芸術庫:Me long Contemporary Art Space)
http://blog.sina.com.cn/xizangmeilongyishuku
2007年7月正式創設の、理念を共有するアーティストの相互扶助的制作集団。
「メロン(美隆)」はチベット語の音訳で、直訳すれば「曇りのない鏡」の意味。
チベットの伝統的な文化と思想の中から映し出される自分たち自身を見つめ直そう、という意味を込めて名付けられた。
(抜粋:鳳凰網文化2010年9月6日)
http://book.ifeng.com/culture/huodong/special/2010songzhuang/qunluo/detail_2010_09/06/2445565_1.shtml

ウェブサイトによると、現在のメンバーはペンパ、チュニ・ジャンペル、タンセ・ダワ(四清月)ら7人。

ジャムサンジャムサン(強桑:Jhamsang) 
1971年ラサ生まれ。
これまでに首都師範学院(現首都師範大学:北京市)、
チベット大学芸術学部で学んだ。
ラサ市民族宗教事務局を経て、現在はチベット大学チベット伝統美術修士課程に在籍。

「ジャムサンの《仏》シリーズは、仏画をロボットに仕立てた作品だ」

格次:(Kaltse)カルツェ(格次:Kaltse) 1971年ラサ生まれ。
1988年上海戯劇学院舞台デザイン学科卒業、
現在はチベット歌劇団の舞台芸術家。

扎西平措:(Tashi Phuntsok)タシ・プンツォク(扎西平措:Tashi Phuntsok) 
1977年ラサ生まれ。
2003年中央民族大学美術学院油絵専攻科卒業、
現在はラサ第3小学校に勤務。

<アン・サンアン・サン(昂桑:Ang Sang)
1962年ラサ生まれ。
1988年チベット大学卒業。
専攻は美術。

「アン・サンの《米ドル1号》は、100ドル札を背景に、各種流行ブランドのロゴを組み合わせた仏像を配した」

次仁卓玛:(Tsering Dolma),女ツェリン・ドルマ(次仁卓 :Tsering Dolma) 女性、
1966年ラサ生まれ。
1991年チベット大学芸術学部卒業、
現在は中国美術協会チベット分会の会員。

「ツェリン・ドルマの《生死シリーズ》に見られる敬虔な宗教観念は、若くして夫と子どもを失った彼女が、芸術を一種の修行の道と目する敬虔な心理状態を感じさせる」

索曼尼索曼尼(ソマンニ) 
1971年ラサ生まれ、
1994年チベット大学芸術学部卒業。
チベット展覧館に勤務。
祖父母にチベット人と回人(イスラム教徒)、片親は漢人で、チベット人としてはクオーター。

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初回に紹介したア・ヌーや、ツェリン・ニャムダの略歴に出てくる作家集団について。
uralungta さんの補足:

ゲンドゥン・チュンペル・アートスペース(西藏更堆群培芸術空間)

2003年8月、ゲンドゥン・チュンペル師生誕100年を記念して正式設立。
発足当初はパルコル北街にあり、2009年にラサ郊外の仙足島に移転した。
チベット初の、チベット本土芸術家の自己資金による文化協会的な性質を持つ画廊であり、チベット現代美術のアーティストが自由に交流する場所をつくる趣旨で設立された。

スペースでは不定期に各種の展示会や芸術活動、学術講座が催され、チベットで最も活気のある芸術の場となっているといえる。
チベット現代アートの創作環境の向上に大きく寄与し、若いチベット人アーティストには自分の作品を発表する機会となり、現代チベット社会の多様な豊かさを体現する場所の一つであると同時に、チベット現代アートとは何か、チベットのアーティストが何をしているかを多くの人に知らしめた。

スペースの収益は大部分がアーティストに還元され、創作活動の資金源となっている。
一部は、チベットの貧しい芸術家への支援にも充てられている。

(鳳凰網文化2010年9月6日)
http://book.ifeng.com/culture/huodong/special/2010songzhuang/qunluo/detail_2010_09/06/2445565_0.shtml

さらに:「 苹の芸術空間」
という芸術家のブログでも、活動の様子やたくさんの作品が紹介されています。
http://blog.artintern.net/blogs/articleinfo/zhangping/65758
げっ、この中で「蒋勇作品」とあるやつ↓
http://blog.artintern.net/uploads/weblogs/1837/200910/1255333301114.jpg
私(uralungta)、北京の「パタ・ドゥンカル」ってチベット料理レストランの壁に飾ってあるのを見たよ!!!
あそこ(流行ってない店だったけど)オーナーはチベット関係の芸術家のパトロンでもあったのか。。。

現在ニューヨークでも「チベット現代美術展」が行われている。
http://youngtibet.com/2010/06/first-exhibition-of-contemporary-tibetan-art-in-a-new-york-city-museum/

2006年にアメリカで行われた「チベット現代美術展・ターコイズ湖に打ち寄せる波たち」については、
(日本語)http://www.geocities.jp/norbucreate/news-art.html

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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