チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年9月22日
チベットの「歌う尼僧」、2度目の挑戦でインド亡命を果たす
9月21日付けphayulより。
http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=28176&article=Tibet’s+%22singing+nun%22+escapes+to+India+on+second+attempt
ダラムサラ:ワシントンに本部を置くICT(International Campaign for Tibet)によれば、刑務所内で「愛国歌」を録音し、それを外部に持ち出すことで「歌う尼僧たち」として有名となった14人のチベット人尼僧の内の1人がインドへの亡命に成功した。
http://www.savetibet.org/media-center/ict-news-reports/tibetan-singing-nun-arrives-exile-after-second-period-imprisonment
9月1日、インドに到着したペルデン・チュドゥン(དཔལ་ལྡན་ཆོས་སྒྲོན་)はダプチ(ダシ)刑務所(གྲ་བཞི་བཙོན་ཁང་)での8年の刑期を終えた後、一度亡命を試みたが、途中で捕らえられ、さらに3年間の「労働改造所」送りとなった。
パルデンは亡命に成功した8人目の「歌う尼僧」である。
彼女は1973年ラサ近郊のニェモ(སྙེ་མོ)で農家の子として生まれた。
14歳のとき出家し、ラサのシュクセェプ尼僧院(ཤུགས་གསེབ་བཙུན་མགོན་)に所属した。
1990年、彼女はラサのパルコルで平和的デモに参加し、最初3年の刑を言い渡された。
この3年の刑期が終わろうとしていた1993年、彼女は他の13人の尼僧たちと共に刑務所の監房の中で愛国的な歌をテープに吹き込んだ。彼女たちの歌った歌はダライ・ラマ法王やチベットを称えるものであり、それらは外にいる家族や友人へ、ダプチ刑務所の中で酷い仕打ちを受けながらも自分たちの心は少しも挫けたりしていない、ということを伝えようとするものだった。
このことが発覚した後、彼女たちは全員激しい拷問を受けることとなった。そして、その拷問の結果彼女たちの内の1人ガワン・ロチュは命を失ってしまった。
彼女の刑期はさらに5年延長され、1998年に刑期を終えることができた。
「刑期を終えた後、再び元の尼僧院に戻ることは許されなかった。当局は尼僧院に来て私が居ないかどうかをチェックしていた。だから私は尼僧院に迷惑が掛からないようにそこに近づくこともしなかった」とダラムサラでICTに彼女は語った。
14人の内最後に解放されたのは15年の刑期を終え34歳になっていたプンツォック・ニドゥンであった。彼女は今スイスで勉強している。
合計21年の刑期を受けていたガワン・サンドルは11年目に解放され今はニューヨークに住んでいる。
14人の内の5人、テンジン・ツプテン、ガワン・チュキ、ジグメ・ヤンチェン、ガワン・チュゾム及びガワン・ツァムドルはチベットに残っている。その他8人は亡命した。
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彼女たちが獄中で作詞・作曲し歌った歌の一つを紹介する。
<ダプチ刑務所から見上げる空>
ダプチ刑務所から見えるのは空ばかり
空に浮かぶ雲
私たちにはそれが父や母に見える
私たち囚人はノルブリンカに咲く花
霜や雹に打たれても
繋がれた私たちの手が離されることはない
東から来た白い雲(中国)は
縫い付けられた継ぎ当てではない
時は至り、雲から太陽が昇る
そして燦々と輝く
私たちの心は悲しまない
なぜ悲しまねばならないのか?
昼間に太陽(ダライ・ラマ)が輝かなくとも
夜になれば月(パンチェン・ラマ)が昇る
昼間に太陽が輝かなくとも
夜になれば月が昇る」
私が今ダラムサラにいるなら、すぐに彼女に会いにいき直接詳しい話を聞くであろうが、遠く離れているのでそれも叶わない。
取りあえず、「歌う尼僧たち」についての過去のブログなどを補足として紹介する。
彼女たちの内一番有名な12歳で逮捕されたガワン・サンドルさんについては:
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51198296.html
彼女の旦那さんは最近までルンタ・レストランで働いていたが、先月彼女に合流するためアメリカに渡った。
彼女の自伝「囚われのチベットの少女」は日本語にも翻訳されている:
http://www.amazon.co.jp/囚われのチベットの少女-フィリップ-ブルサール/dp/4901510061
彼女は上野の森美術館で開催された「チベットの秘宝展」に対しメッセージを送られたこともある:
http://www.youtube.com/watch?v=ZVQQjbwFWKU
14人の尼僧たちの内2人は最近までルンタ・ハウス内の学校に通っていた。
その内の1人リンジン・チュキに私がインタビューし、T女史が起こして下さった記事は:
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51101231.html
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)