チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年9月21日
烈日西藏/チベット現代美術展 その3 /「魔女仰臥図」
今日はウーセルさんが9月19日に「チベット現代美術展、第七回」として紹介された作家たち
http://woeser.middle-way.net/2010/09/blog-post_19.html
の中からペンバ・ワンドゥ(边旺 Penba Wangdu)の3枚組作品「鎮魔図」のみを紹介する。
中国語で書かれた作家の略歴の翻訳をして下さったuralungtaさんが、この作家の作品に対し実にパンチの効いた深い解説を付け足して下さった。
そこで、今日は絵と共にuralungtaさんの解説を全面的に紹介することにした。
最初の絵は日本でも展示された「鎮魔図」のオリジナル版。
写真は九州博物館のサイトから借りた。
元URLは
http://www.kyuhaku.jp/exhibition/images/s_15/p02-2.jpg
以下uralungtaさんの解説:
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1枚目が青い背景のもの、2枚目が白、3枚目が赤い背景のもので、紹介されている通り、「鎮魔図」(西藏鎮魔図、日本では「魔女仰臥図」)として有名なタンカをモチーフにしています。
「魔女仰臥図」はチベット人の世界観をよくあらわしているとして外国の書籍にもよく引用される絵画だし、昨年の「聖地チベット展」でも“目玉”として貸し出されて、東京では展示会場に入ってすぐの展示品がこの図だったりしたので実物を見た日本人も多いはず。
[参考:以下、九州博物館の解説:
魔女仰臥図(まじょぎょうがず)
チベット・20世紀・77.5×152.5cm・ノルブリンカ
http://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s15.html
最初のチベット統一王朝を開いたソンツェンガンポ王は、中国から文成公主を、ネパールからティツン王女を迎え、中国仏教とインド仏教がチベットへもたらされる契機となった。文成公主の占いによれば、チベットの地勢は、災いをもたらす手下多数を従えた大きな魔女の姿に似ていることが分かった。魔女を無力化するため、その両手両足の関節にあたるチベット高原各地に12の寺院が建てられ、その動きを封じることに成功した。そして最後にその心臓にあたる湖を埋めて現在のラサの地にチョカン(大昭)寺を建立し、チベットは仏教国となったのである。 ]
描かれているのはソンツェンガンポ時代からの仏教退魔の観念ですが、現存する仏画は20世紀の制作です。
見た人はご存じと思いますが、表装されておらず、折り目やシミ、汚れが目立ち、汚れの位置からすると乱雑に丸めてどこかに突っ込まれている間に何かの液体をかぶった、と想像できる保存状態です。
7世紀からのチベット人の世界観を表すとともに、現代の、チベット文化が蹂躙された悪夢の時代の証言者でもある美術品といえます。
「チベット鎮魔図を見つめ直す(再看西藏鎮魔図)」
http://culture.china.com/zh_cn/shoucang/shuhua/11054110/20060914/13624395.html
によると、
「チベット自治区文物管理委員会が、前世紀90年代にノルブリンカの文化財を整理中に2幅の『西藏鎮魔図』(魔女仰臥図)が姿を現した。
2幅は大きさ、内容すべて同じで、……(後略)」
(中華網。原文は「金羊網」2006年9月14日)
とのこと。
前世紀90年代って1990年代のことだろふざけんな、
白髪三千丈だか知らんがついこの間のことをえらい昔のことみたいにぼやかして書くんじゃない、
1990年当時の出来事さえ「何年」だか特定できないんか、
だいたい「姿を現した(発現)」ってなんだよふざけてろ、
占領して壊し尽くしてぐちゃぐちゃにしたおかげで由来も絵師も何もかも分からなくなったんじゃないか、
自然に出てきたみたいに書くな、あーもう腹が立つ、
という言及ではありますが、
ラサのチベット美術館の目玉展示にもなっているこの図画が“再発見”されたのはチベットに外国人旅行者が訪れるようになった1980年代末よりも後らしいことが分かります。
第2世代の亡命チベット人と「魔女仰臥図」を見て、何人かに「知ってる?」と尋ねたところ、
「見たことも聞いたこともない」
「概念は有名な話だからもちろん知っているが絵に描かれているのを見たのは初めて」
などという答えだったのは、そういうことか、とも思いました。
「伝統」はつくれるものなんですよね。
また、“同じ2幅があった”のは、1枚は元絵だったのかもしれないし、複数の寺院やお堂に納めるために何枚も受注を受けた絵師が制作していたのかもしれない……などと想像しました。
話は戻ってペンパ・ワンドゥの3枚組作品。
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ここで、ウーセルさんが書かれた、ペンパ・ワンドゥの略歴を紹介:
ペンパ・ワンドゥ(辺旺:Penba Wangdu)
1969年シガツェ生まれ。
1991年チベット大学芸術学部卒業、現在はチベット大学芸術学院美術学部
教師。
彼の組作品は、チベット古来の伝説を描いたタンカ「鎮魔図」をモチーフに、含みのある表現でチベットの移り変わり――削減と異変を描いている。
3枚目の細かい部分(最後2枚の画像参照)まで注意して鑑賞してほしい。
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2枚目は、寺院が破壊され、僧侶が追放された文革前後のチベットをあらわしているのでしょう。
3枚目は、寺院が再建され、以前の姿に戻ったかのように見えて、よく見ると、
山にはトンネル、電波塔、谷には水力発電所、
建物のあちらこちらには赤い旗、高層ビル、
寺院境内には乗用車まで、というようなまさに「現代チベット」になっていて、あからさまな分かりやすい批判でないぶん、何とも言えないものを感じるのでした。
モチーフとなった原画(魔女仰臥図)が味わった歴史の辛酸と、その原画に重ね合わせた美術教師の心のうち、などを思ったりします。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)