チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2010年9月17日

烈日西藏/チベット現代美術展

Pocket

チベット現代美術展覧会ポスター北京の「宋庄美術館」で今「烈日西藏(強烈な/厳しい日射しのチベット)」と題された「チベット現代美術展」が開かれている。
会期は9月10日〜10月10日。

チベット人画家37人と漢人画家13人の作品が展示されている。

この展覧会についてウーセルさんがブログで詳しく報告されている。
主な作品も逐次掲載されているので興味のある方は是非以下にアクセスしてみてほしい。(写真はすべてウーセルさんのブログより)
http://woeser.middle-way.net/

芸術に限らず、漢民族に限らず、とかく我々外から眺めているだけの者たちにとってのチベットとは、この展示会に対するガデ氏の以下の文章の如しなのかも知れない。
「外の世界の心中には、ただ『空想されたチベット』があるだけで、生々しい現実のチベットは終始忘れられ、消されていた。チベットはこれまでいつも『描かれ』、『神秘とされ』、『芸術にされ』てきた。50年代の歌頌翻身(いわゆる解放)から80年代のチベット郷土風情、ひいては今の『シャングリラ式』の夢幻と神秘に至るまで、いつも『他者が空想した表現方法』だった。チベットを題材にしたたくさんの作品の中で、私たち自身の言葉で表現したものがどれだけあるだろう? たとえあったとしても、自我他者化の表現方式にとっくに修正されているだろう」 (訳yuntaitai)

(追記:参加アーティスト・リスト及び今回の展覧会に対するガデ氏の文章すべての英訳を以下で見ることができる。http://www.redgategallery.com/wp-content/uploads/2010/09/TIBET-Exhibition-information.pdf

栗憲庭氏この展覧会を企画したのはこの「宋庄美術館」の館長でもあり、中国現代美術の教父と崇められる美術評論家の栗憲庭氏である。
ほとんどの作品からは彼がノルツェ氏の作品を解説するときに言う「文化的アイデンティティの危機、信仰の矛盾、蝕まれた宗教、文化の混雑と破壊、環境汚染、深刻な漢化、西洋の消費主義の侵入……、これらがチベット人にもたらす身を切る痛み!」(訳yuntaitai)が感じ取られる。

この展覧会が実現されるまでには多くの経済的、政治的困難があったという。

Tsering Nyandak 2当局の審査も行われたという。
それらを乗り越えよくぞこのような展覧会が北京で開催されたものだと驚く。
チベットからは昨今、作家、歌手などに対する弾圧、逮捕のニュースが伝えられている。
彼ら画家たちも相当の圧力を感じながら作品を制作していると思われる。

以下、ウーセルさんのブログに掲載されている栗憲庭氏のチベット現代美術史概観と主な作品に対する解説を紹介する。
http://woeser.middle-way.net/2010/09/blog-post_09.html

なお、中国語からの翻訳は前半及び注をyuntaitaiさん、後半をU女史が快く引き受けて下さった。お二人に深く感謝する。

チベット現代美術アーティストたち烈日西蔵
文/栗憲庭

(原文)http://woeser.middle-way.net/2010/09/blog-post_09.html

 2000年代初頭、私は外国の展覧会の目録で初めて何人かのチベット人芸術家の作品を目にした。2007年には、紅門画廊の展覧会でより多くの若いチベット人の作品を見て深い印象を受けた。これらの作品は、私が以前に見ていたチベット芸術とまったく違っている上、私が90年代からずっと思索してきた芸術と地域文化の関係という問題に密接に関係していた。その後、チベット問題を長年研究してきた友人の紹介を通じ、私はガデ、ノルツェ、アヌ、ジャンペル、黄扎吉ら友人と知り合い
、若いチベット人芸術家に宋庄美術館で展覧会を開いてもらう機会を持とうと決心した。

 チベットはチベット仏教の中心だ。宗教芸術を除き、私の限りある視野の中では、チベットは50年代後の新芸術からずっと、漢族地域のイデオロギーと言語によるコントロール、影響を受けてきた。かつてダライ・ラマのタンカ絵師を務め、後に西蔵美術家協会名誉主席になったアムド・チャンバさえ、毛主席とチベット新生活の絵を描いている(注1)。1954年にアムド・チャンバがダライ・ラマに付き添い北京の全人代に参加した時、この絵はダライ・ラマによって毛主席に贈られている。アムド・チャンバは北京滞在中に中央美術学院で短期間学んだ。彼の描いたパンチェン・ラマの肖像画なども含め、すべてチベットのタンカと現実主義の様式と技巧を融合させたものであった。この彼の創作スタイルと技巧は後のチベット芸術に大きな影響を与えた。1974年、中央美術学院彫塑学部はチベットに赴き、「農奴憤」(訳社注1)を制作した。「収租院」の創作スタイルを踏襲してはいるが、イデオロギーの産物で、「農奴憤」は政治の道具としての性格を除くと、芸術としては没個性でテクニックは荒削りである。「収租院」の人物や細かい動き、語境芸術(注2)などの実験性の間で比べられるものはほとんどないが、チベットでは少なからぬ社会的影響を与えた。1976年、陳丹青はチベットに行ってモチーフを集め、「泪水洒満豊収田」を制作した。翌年には援蔵(チベット支援)大学生で、南京芸術学院を卒業した黄素寧(後に陳の妻になる)とともに「進軍西蔵」を合作した。これは典型的なソビエト式社会主義リアリズムスタイルで、中国はこのスタイルを革命リアリズムと呼んでいる。

 (文革による)混乱を正常状態に戻そうとしていた1980年、陳丹青は「西蔵組画」を作った。この作品は漢族地域の美術史としては、芸術を革命リアリズムから19世紀ヨーロッパの古典的リアリズムスタイルに修正する印となった。しかしその後、余計な物を付け足すような郷土風情スタイルがチベット風情の気風を切り開くと、チベットは漢族地域の芸術家が目新しい物を探し求める場所となり、チベットにこうした芸術スタイルが持ち込まれることになった。その後、80年代中期から現在まで西蔵美術家協会主席を務める韓書力は、「邦錦美朶」で1984年の第6回全国美術作品展覧会の金賞を受賞した。チベット人芸術家のペマ・タシ(uralungta注)と合作した「彩雲図」は同時に銀賞を獲得した。「邦錦美朶」は革命リアリズムの創作スタイルと技巧を合わせたタンカのスタイルであり、「彩雲図」はチベットの宗教壁画のスタイルを採用し、人物と羊を彩雲に融合させ、イデオロギーの影響をある程度超えていた。

 1985年、米国の著名なポップアートの芸術家ロバート・ラウシェンバーグは北京での展覧会に続き、ラサで展覧会を開いた。この展覧会がチベット芸術に与えた影響は漢族地域への影響には遥かに及ばない。なぜなら、漢族地域には革命的な八五新潮(1985年前後の現代主義美術運動)が勢いよく現れていたからだ。そうではあっても援蔵芸術家への影響は計り知れない。当時、私が編集に関わった「中国美術報」は李彦平と李新建らの作品を発表していた。現代芸術の影響を受けたこれらの援蔵芸術家の小さな団体を私はチベットの芸術集団の一つの現象と見なしていた。しかも、そのうちの一部の人たちが相次いで北京で展覧会を開き、1986年4月には「西蔵五人画展」を太廟(労働人民文化宮)で開き、翟躍飛、李彦平、李知宝、齊勇、陳興祝が参加した。1987年5月には「西蔵山地芸術家作品展」も太廟で開かれ、李新建、張暁紅、蔡顕敏が参加した。これらの作品は明らかに現代芸術やラウシェンバーグの影響を受けているが、チベットの宗教芸術の影響も受けている。彼らの作品は間違いなくイデオロギーと目新しい物を求める視点を超越している。その上、作品にはチベットへの彼らの感情がにじみ出ており、長期間のチベット生活による感銘を伝えている。

 しかし私が真のチベット芸術(或いは現代芸術)という時、それは「そこにある」文化 -特に政治・社会的文脈と密接に相関した生活感覚、生活環境に基づく芸術を指す。2010年7月12-18日、私はラサでチベットのアーティスト達に会う傍ら、近年登場したチベット本土のアーティストと、以前の芸術家達との間の基本的な違いについて思索を巡らせていた。それはもしかしたら、我々のような外の人間全てが決して実際に体得することのできない、しかし感じることだけはできるもの――文化的アイデンティティの危機、信仰の矛盾、蝕まれた宗教、文化の混雑と破壊、環境汚染、深刻な漢化、西洋の消費主義の侵入……。これらがチベット人にもたらす身を切る痛み!
Nortseたとえばノルツェの作品「字母」は鉄板の溶接でつくった巨大な30のチベット文字で、しっかり頑丈に土に埋め込まれている。どの文字も表面は黒い鉄線で囲まれ、サビがまだらになっているが、チベット人の心の象徴としていまも硬く、強い意志を持っているのだ!

シェルカワ・アヌの「無耳」シリーズ圧迫に向き合い、シェルカワ・アヌの「無耳」シリーズの絵画や写真、パフォーマンス・アートは修行の性質を持っている。怒り、わだかまっているが、見ざる聞かざる言わざるの姿勢で、神聖な鈴の音に集中して心を乱さず、心の静けさ、吉祥と和諧を追求している。(以上yuntaitaiさん訳)

 今回の展覧会では更に多くの作品に、自らの境遇に対するチベット人の感覚が表現されている。
Gadeガデの《マニ車》はチベット仏教伝統のマニ車を用いているが、その表面のレリーフは、1950年代から現代まで4代に亘る国家指導者のスローガンの”教典”だ。
マニ車を回すのはチベット人の日常的な修行行為だが、’50年代以降、イデオロギーは(本物の教典と)同様に、チベット人の”日常教典”とされた。ガデの重要な作品にはもう一つ《氷の仏》があるが、これは氷で作った仏像をラサ河の流れの中に置き、時間の経過に従い、仏像が消え失せていく、というもの。氷の仏は、チベット人の心の中の喪失感、やり切れなさ、そして如何ともし難い感覚をイメージしたものだ。同類の作品は今回の展覧会には少なくない。

例えばゴンカル・ギャツォは商標やファッション画像を貼り合わせて仏の像を作り、消費文化がチベットという宗教的聖地を浸食する様を克明に表現する。

またアン・サンの《米ドル1号》は、100ドル札を背景に、各種流行ブランドのロゴを組み合わせた仏像を配した。ケサン・ランダクの作品は、化工媒剤を用いた空っぽで穴だらけの仏像。ジャムサンの《仏》シリーズは、仏画をロボットに仕立てた作品だ。

ヤク・ツェテンとツェカルがビール瓶仏塔 イデオロギー、現代文明、消費文化、世俗化、漢化…チベット文化に対する浸食は、文化が混雑し破砕されたチベットのありさまを呈している。ヤク・ツェテンとツェカルがビール瓶を用いて制作した仏塔型のオブジェ。チャンに代わってチベットビールがチベットの宴席を占領し、ラサの通りを埋め尽くす四川料理店のように、文化的破砕は食文化を通してひっそりと始まっているのだという。

ベンパ・チュンダックの映像作品《漂う氷》は、チベット族が葬祭の時、魔除けのために自宅の門前に白粉で描く吉祥の図案を、明け方に十字路に数点描き、夜明けと共に車の往来で掻き消されていく様子をビデオカメラで撮影したもの。こうしたプロセスを映像に収めることで、ベンパ・チュンダックはチベット族の文化を、現代文明である自動車に轢かれて白粉の図形が消え失せるように、ついには水に溶かされていく”漂う氷”に喩えた。

ツェカルの《翼を広げて飛ぶ》シリーズでは、小さなラマのような子どもの漫画キャラクターが、或いは機械の翼を着け、或いはドラエモンと一緒に、滑稽な様子で空を飛び回る。これは未来のチベットの光景なのではないか。

チベット生まれの漢族のアーティスト・盧宗徳の《チベット日記》は、風刺に満ちたチベット風俗画。コミカルな色彩と世俗化に溢れた日常の景観は、中国内地の人間が想像する、宗教的雰囲気溢れるチベット像とは大きな隔たりがある。

湖南省籍のチベット人女性アーティスト・張苹の《黒いデザート》は、仏教の彫像とファッショナブルな少女を混合させたイメージ。第6幅では、千手観音のような少女がそれぞれの手に各種のファッショナブルなハンドバッグを持ち、ファッションのアイコン化を表している。

ガデガデがタンカ風に描いたシリーズ絵画は、ファッション、政治、歴史などを表す様々な記号やイメージを混在させたもので、特に仔細な観賞に値する。

 文化的アイデンティティの矛盾、傷、憂いなどの心理的感覚を表現した作品も、今回の展覧会の核心部分である。
ツェリン・ナムダックの《少年》シリーズツェリン・ナムダックの《少年》シリーズは、作者自身の不安な内心のイメージであり、全ての作品の画面には、間もなく災いが訪れるかの如き情景が描かれている。
破れたルンタ(及びタルチョ)を体に纏った少年の救いの無い表情は、作者の眼差しに常に宿る憂鬱さを思い起こさせる。

ペンパペンパのオブジェ《扉》は、典型的なチベット風建築の扉。一見したところ自由に出入りできるようだが、透明なガラス板が仕込んであり、目に見えない拒絶と隔膜感を自然に生じさせる、微妙且つ精密な作品だ。彼の《五妙欲》シリーズの絵画は同様に、文化的変遷に伴う心理的矛盾を叫ぶ。憂いの表情を湛え典型的なチベット族の姿をした鏡の中の裸の自画像《五妙欲2》では鏡の前面に背面の自画像が描かれているが、流行の服を着ており、その人物をアイデンティファイすることはできない。

ゴンカル・ギャツォの写真群《私の特性》は、異なる時期に異なる場所で異なる内容の絵を撮ることにより、作者自身の異なる政治的立場・文化的アイデンティティ間の転変を表現している。1枚目ではチベット族の装束を纏った作者がタンカを描いており、2枚目では紅衛兵の身なりをした作者が毛主席像を描いており、3枚目では典型的な難民用のトタン小屋の中で、チベット族の装束に身を包んだ作者がダライ・ラマの肖像を描いており、4枚目では英国に移住した作者が抽象画を描いている。

ツェドルの《方向》は、異なる色で異なる方向を向いた矢印が同一のイメージに配されたモチーフを通し、文化的抑圧と政治的矛盾が作者の内心に与える傷を表現している。《方向1》は両目を固く閉じ煩悶と拒絶の表情を浮かべた自画像。頭上にはそれぞれ左、右、上を指す黄色・赤・白の3つの矢印が描かれている。

プツェの《平和の祈り》は七つの鉄の骨組みからなる逆立ちした塔の形のオブジェに鉄鎖が掛かり、どのオブジェの上にもバターランプがいっぱいに置かれ、祈りの宗教的な雰囲気とともに、今にも崩れ落ちそうな危うさにも満ちている。

プルブ・ギェルポの《巣》は一つのオブジェからなる作品。金網のような巣の中に新聞紙でできた卵が置かれ、本来は温かみを意味する巣は、金網という材質のために危険な状態を生じさせ、巣の中の卵は各種の情報でくるまれている。

タシ・ノルブの《常ならざる現状》の画面には不安定な斜角の構図が用いられ、一方には仏像が、また一方にはチベット人の肖像が配せられ、2組のイメージの間にはある種の関係の空間が形成され、この空間を1体の紙飛行機が横切り、脆弱で不安定なイメージとなっている。

ジャンペル 展覧会に出品された殆どのアーティストの作品は、私に一連の物語や事件を連想させる。ジャンペルが高原の山や川いっぱいに描く工業用パイプラインは、エネルギー開発のもたらす環境破壊に対する作者の憂慮を思わせるし、

ツェリン・ドルマの《生死シリーズ》に見られる敬虔な宗教観念は、若くして夫と子どもを失った彼女が、芸術を一種の修行の道と目する敬虔な心理状態を感じさせる。

タシ・ノルブの《映像に撮られて》や、陳丹青を模倣したツェワン・タシの連作は、今日のチベットの光景を見せつけ、漢族の地におけるチベット芸術の作品群に内在する見られ方、描かれ方、珍しいもの見たさの傍観者的視点を深く反省すべきであることを思い起こさせる。この角度から言えば、劉卓泉が38のカメラを使いバルコルを24時間撮影した《西遊記》や、彼がノルツェと合作したパフォーマンス《対話》に見られるような、平等と相互尊重の姿勢を私は好む。

 今回の作品群で用いられた言語モデルで、西洋或いは漢族地域の現代、当代芸術の影響以外に最も称賛に値するのはこれらのアーティスト達の創造性であり、チベット当地の文化、芸術、習俗、日常生活の中から汲み取ることのできる言語、材質、方式における栄養は、今後深い研究が必要となる課題であって、この短文だけでは展開することのできない部分である。

 チベットで迎えたある晩、私はポタラ宮前広場をうろついていた。’50年代以来、中国の殆ど全ての広場はイデオロギーの産物となり、天安門広場を模倣したこの広場にも、同じように高くそびえる記念碑があり、多くの都市で熱心に作られている音楽噴水があった。音楽に合わせて噴水が狂ったように噴き出し乱舞し、高音スピーカーから流れる流行歌が耳をつんざき、ラサの夜空に響き渡る。見回せば広場の上に飾り提灯が光り輝き、遊覧客がはしゃいでいる…,ふと振り向くと、雄大で神秘的なポタラ宮が、この騒がしい俗世を傲然と見守っているのが目に入り、突然、一種言いようのない悲憤とやるせなさが心に押し寄せてくるのだった。 (以上後半、訳U女史)

—————————————–

(注1)金の額縁の「毛主席タンカ像」。高さ103.5センチ、幅74センチ。縁はエンボス加工の金箔で、上部にチベット仏教の「吉祥八宝」と鳩、鶴、鹿、象などの装飾があり、毛主席の健康と長寿、「幸福が四方に及ぶように」との意味が込められている。周囲の9枚の画面はそれぞれ、「部隊長が貧しい僧侶にお布施を与えた」「医療スタッフがチベット同胞を看病した」「解放軍戦士が農作物の収穫を手伝った」「解放軍とチベット同胞がともに道路を造り堤防を直した」「工作人員がチベット同胞のために学校を開いた」「チベット同胞に無利子でお金を貸した」「民族商店を開き経済貿易が発展した」といった、人民解放軍と工作人員のチベットでの良い行いを紹介している。画面下では、解放軍とチベット同胞が肩を並べて戦い、国境地帯を守る雄大な場面を描いている。西蔵大学のツェワン・タシ?副教授の研究によるとアムド・チャンバの作品の立体効果テクニックは、若いころラブランで僧侶をしていた時、パンチェン・ラマ9世の白黒写真を見たところから始まった。アムド・チャンバは生涯、仏像を描き、写生する習慣を持っていたと言われており、彼が中央美術学院の写生クラスで学んだことと関係があると考えている。

(yuntaitai注)百聞は一見に如かずで、写真はここにあり。
http://cn.cl2000.com/history/wenge/ziliao/18.shtml
補足のつもりで少し訳すと……
「農奴憤」は106体の等身大の塑像を組み合わせた作品で、全体は「最も悲惨な人
間地獄―封建領主の荘園」「最も暗い人食い魔窟―寺院」「最も反動的な統治機
構―カシャク」「農奴は戦い、解放を見る」の四部構成。階級闘争をテーマに、
旧チベットの反動地方政府や寺院、貴族の三大領主による農奴への残酷な圧迫を
暴き出している。百万農奴の反抗闘争をたたえ、人民が修正主義に反対し、無産
階級独裁の革命継続を徹底させものだ。

写真は
http://blog.sina.com.cn/s/blog_4939b1cd01000ao9.htmlで見られる。

(uralungta注)
ペマ・タシの作品は
http://yisulang.com/artists/bamazaxi-%E5%B7%B4%E7%8E%9B%E6%89%8E%E8%A5%BF/

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

ちべろぐ

Archives

  • 2018年3月 (3)
  • 2017年12月 (2)
  • 2017年11月 (1)
  • 2017年7月 (2)
  • 2017年5月 (4)
  • 2017年4月 (1)
  • 2017年3月 (1)
  • 2016年12月 (2)
  • 2016年7月 (1)
  • 2016年6月 (1)
  • 2016年5月 (9)
  • 2016年3月 (1)
  • 2015年11月 (1)
  • 2015年10月 (2)
  • 2015年9月 (4)
  • 2015年8月 (2)
  • 2015年7月 (14)
  • 2015年6月 (2)
  • 2015年5月 (4)
  • 2015年4月 (5)
  • 2015年3月 (5)
  • 2015年2月 (2)
  • 2015年1月 (2)
  • 2014年12月 (12)
  • 2014年11月 (5)
  • 2014年10月 (10)
  • 2014年9月 (10)
  • 2014年8月 (3)
  • 2014年7月 (9)
  • 2014年6月 (11)
  • 2014年5月 (7)
  • 2014年4月 (21)
  • 2014年3月 (21)
  • 2014年2月 (18)
  • 2014年1月 (18)
  • 2013年12月 (20)
  • 2013年11月 (18)
  • 2013年10月 (26)
  • 2013年9月 (20)
  • 2013年8月 (17)
  • 2013年7月 (29)
  • 2013年6月 (29)
  • 2013年5月 (29)
  • 2013年4月 (29)
  • 2013年3月 (33)
  • 2013年2月 (30)
  • 2013年1月 (28)
  • 2012年12月 (37)
  • 2012年11月 (48)
  • 2012年10月 (32)
  • 2012年9月 (30)
  • 2012年8月 (38)
  • 2012年7月 (26)
  • 2012年6月 (27)
  • 2012年5月 (18)
  • 2012年4月 (28)
  • 2012年3月 (40)
  • 2012年2月 (35)
  • 2012年1月 (34)
  • 2011年12月 (24)
  • 2011年11月 (34)
  • 2011年10月 (32)
  • 2011年9月 (30)
  • 2011年8月 (31)
  • 2011年7月 (22)
  • 2011年6月 (28)
  • 2011年5月 (30)
  • 2011年4月 (27)
  • 2011年3月 (31)
  • 2011年2月 (29)
  • 2011年1月 (27)
  • 2010年12月 (26)
  • 2010年11月 (22)
  • 2010年10月 (37)
  • 2010年9月 (21)
  • 2010年8月 (23)
  • 2010年7月 (27)
  • 2010年6月 (24)
  • 2010年5月 (44)
  • 2010年4月 (34)
  • 2010年3月 (25)
  • 2010年2月 (5)
  • 2010年1月 (20)
  • 2009年12月 (25)
  • 2009年11月 (23)
  • 2009年10月 (35)
  • 2009年9月 (32)
  • 2009年8月 (26)
  • 2009年7月 (26)
  • 2009年6月 (19)
  • 2009年5月 (54)
  • 2009年4月 (52)
  • 2009年3月 (42)
  • 2009年2月 (14)
  • 2009年1月 (26)
  • 2008年12月 (33)
  • 2008年11月 (31)
  • 2008年10月 (25)
  • 2008年9月 (24)
  • 2008年8月 (24)
  • 2008年7月 (36)
  • 2008年6月 (59)
  • 2008年5月 (77)
  • 2008年4月 (59)
  • 2008年3月 (12)