チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年9月8日
アンコール遺跡群巡り その3
9月2日、朝方アンコール・ワットから東に80キロほど離れたところにある遺跡「ベンメリア」に向かった。
トゥクトゥクでは時間が掛るというのでバイクの後ろに乗って2時間ほど走った。
大体初め遺跡巡りは自分でバイクを借りて回るつもりだったのだが、この町ではレンタバイクは無いと言うので諦めて、人のバイクの後ろに乗ることになったのだ。
途中スコールに遭い、カッパを買って走り続けた。
周りの田んぼでは田植えをしていた。
今年は雨が遅くて田植えも遅くなったとのこと。
着いた遺跡は本気にジャングルの中。
全く修復はなされていないらしく、至る所に崩れた石材が積み重なっていた。
数年前やっと遺跡の中を歩ける道が整備され初めて公開されたという。
歩いていても急に道が消えたり、戻る道が分からなくなり、何度かガイド付きの団体さんが来るのを待ってその後に付いて行ったりしたものだ。
真っ暗な隧道を抜けたり、今にも崩れそうな高い壁を越えたりとワイルド遺跡巡りを満喫できる場所であった。
団体さんと言えば、とにかくこの辺りで一番多いのは中国人団体さんだ。
次が日本人か韓国人である。
所謂外人さんは団体ではなくほとんどが個人だった。
中国人団体さんの特徴はとにかく至る所でポーズをとって記念写真することだ。
それも柵をわざわざ越えて撮影するのがその流儀であるらしかった。
「ベンメリア」とは「花束の池」という意味。
創建年代はアンコール・ワット創建前の11世紀末~12世紀初頭。
ヒンドゥー教寺院であったと思われている。
平面構成や建築様式はアンコール・ワットに近いとガイドブックに書いてあるが、崩壊が激しく全体の構成は歩いただけでは全く掴めない。
自分が初めて見つけた遺跡という雰囲気が味わえる場所だ。
大体、今は世界遺産ともなり世界中で知らない人はいないぐらいに有名なアンコール・ワットも今から約140年前にはその存在を知る人すらいなかったという。
スランス人考古学者のアンリ・ムオが再発見するまでは密林の奥ふかくに眠り続けていたのだという。
遺跡の入り口にはしばしばこのようなローカルの楽隊がいる。
この人たちは全員障害者だ。
前の立て札には「我々はポルポト時代の迫害又は地雷による被害者たちである」と英語で書かれている。
私は彼らを見つけると必ずしばらくその音楽に耳傾け、少しばかりの心付けを置くことにしていた。
団体さんは(どこの国の人たちも)必ず彼らを無視して通り過ぎて行った。
シェムリアップへの帰り道、ロリュオス遺跡群を見て回った。
王都がアンコール地域に移される前には東に13キロ離れたロリュオスという場所に王都が築かれていた。
ここには8世紀に建造された三つの遺跡が残されている。
写真はその一つのバコン遺跡。
ヒンドゥー教シヴァ派の寺院。
だから中央に祭ってあるのはヨーニ(女陰)から生えるリンガ(男根)。
中央尖塔の内部は体内空間を暗示し、ここに入る人々に死と再生を求めるというわけだ。
平面構成は完全なマンダラ・ピラミッド。
このような遺跡を見ると、今チベットなどで潅頂の儀式や瞑想に使われるマンダラの原型がこのような寺院、神殿であったということが理解される。
潅頂も瞑想も趣旨は死と再生であることは同様。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)