チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2010年9月7日

アンコール遺跡群 その2

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アンコール・ワット 今月1日から3日間、カンボジアの古都シェムリアップ周辺の遺跡20カ所ほどを巡った。
クメール王国ともカンボジア王国とも言われるクメール人による王国は、6世紀ごろからフランスの植民地となる1863年まで千年以上の歴史を持つ。
その最盛期とされるアンコール時代(802~1431年)だけでも600年以上の歴史がある。

アンコールカンボジアは近年1975~79年にかけての共産勢力クメール・ルージュ、ポルポト派による200万人に及ぶ大虐殺により有名となったが、毛沢東主義の影響を受ける前には実は比較的平和な時代が長く続いた国だったのだ。
カンボジアの人々は一般的に、大虐殺のイメージとは程遠い、温和で優しく常に微笑みをたたえる明るい人々なのだ。
こんな温和な人たちがどうしてあれほどまでの残忍な虐殺を行なうことができたのかと不思議に思えて仕方がない。
このことについてはまた、後ほど書くことにして今日はアンコール遺跡を中心に紹介する。

アンコール・ワット 12世紀前半に建造されたアンコール・ワットが特に有名であるが、アンコール時代には古都シェムリアップを中心に数百の宗教施設が造られたという。
そのほとんどは今もジャングルに埋もれたままである。
国内にはまだ地雷地帯も残り、修復の手が加えられている遺跡はその内ほんの数十に過ぎない。

アンコール・ワット アンコール・ワットの修復には日本の早稲田大学の中川研究室が最初から深く関わっていた。この中川先生は私がチベット関係の卒論を提出した先生であり、そのころ「カンボジアに行かないか?」という話があった。しかし、私は「チベットに行きます」と言って断ったのだ、今思えば、これが私の人生での一つの別れ道であったなあ、、、と遺跡を見ながら思い出したりした。

アンコール・ワット アンコール遺跡群もそうだが、広くインドシナ半島南部にはインド文化の影響が色濃く残る。インドシナ半島という名前からして「インド」と「シナ=中国」を足した名前だ。
一般に半島南西部はインドの影響が強く、北東部は中国の影響が強い。
紀元前後からインド人商人がモンスーン風を利用してこの半島の東に来航し、交易活動を行なっていたという。
それ以来言語、宗教、文化の面でインドの影響はこの半島全域に大きな影響を及ぼしている。宗教的には12,3世紀まではヒンドゥー教のシバ派とビシュヌ派の影響が強い。その後大乗仏教とヒンドゥー教が競合する時代がアンコール時代終わりまで続いた。

アンコール・ワット 1431年、シャムのアユタヤ王朝にアンコールを攻撃され、王都アンコールは陥落した。その後アンコール王国の流浪と苦難の時代が始まったという。
それ以後、宗教的にはシャム(タイ)経由の上座部仏教がカンボジアに広まり、現在までその伝統が続いている。
もっとも、チベットとも似ているが、ポルポト時代多くの僧侶が虐殺され、僧院が破壊されたが、今は再び僧侶も増え僧院も再興されている。

アンコール・ワット アンコール・ワットはヒンドゥー教三大神の内、ビシュヌ神に捧げられた寺院であると同時にスーリアヴァルマン二世を埋葬した墳墓でもあった。これは死後に王と神が一体化するというデーヴァ・ラジャ(神王)思想に基づくもので、寺院は信仰の対象物である以上に、王が死後に住むための地上の楽園を意味していたのである。
寺院の中心を構成する5基の尖塔はインド思想により宇宙の中心とされるメール山(須弥山)を象徴している。
中央祠堂にはビシュヌ神が降臨し、王と神がそこで一体化すると考えられていた。
同様にアンコール地域に残された多くの宗教遺跡は、天界(宇宙)との交信場所だったのだ。
この辺りは、エジプトやギリシャ、マヤの遺跡等とも共通部分があると言えよう。

アンコール・ワット 長い回廊部分にはこれでもかと言うほどに美しいレリーフが彫られている。
題材はインドの古代叙事詩「マハーバーラタ」や古代叙情詩「ラーマーヤナ」。

アンコール・ワット 

アンコール・ワット 遺跡の壁面の腰の部分にはいたる所に「デバター」或は「アプサラ」と呼ばれる「天女」が彫られている。元は当時の女官の姿を模したものであろうがそのほとんど気品ある微笑みをたたえており「東洋のモナリザ」とも呼ばれている。
一体ごとに薄衣も模様や装飾品、顔の表情が微妙に違っている。ヘヤスタイルや髪飾り、サロン(腰巻)の飾り、アクセサリーなども違っており中々見飽きない。
神々の世界への案内人とされているが、もちろん元はインドの女官や女神であろう。
敦煌の壁画にも沢山描かれている。
インドの密教時代を通じ、これがチベットに入るとダキニーとかになり自己催眠修行の助けに利用されたりするようになった、、?のかもしれない。

アンコール・トム/バイヨンアンコール・ワットの次に有名なのはすぐ北側にあるアンコール・トムだ。
こちらはジャヤヴァルマン七世が建設した王都であり、規模はアンコール・ワットよりよほど大きい。
またこの王は大乗仏教に深く帰依していたとされ、寺院も仏教特に、観音菩薩を本尊とするものばかりだ。
一般にアンコール・ワットの設計テーマは「天空の楽園」を創造することであったされるが、こちらは「王国の救済」がテーマであったという。
その中心寺院であるバイヨンは須弥山世界を象徴し、各尖塔の四面には巨大な観音菩薩の顔が彫られている。

アンコール・トム/バイヨンここのレリーフはその彫りの深さとリアルな描写で有名。
写真は王がチャンバ(ベトナム中部にあった王国)に攻め入ったときの戦闘場面を描いたレリーフ。

アンコール・トム王都の入り口は凱旋門でもあった。
ここにも観音菩薩の大きな顔がある。

アンコール・トム/王のテラス王宮前広場には「像のテラス」「ライ王のテラス」と呼ばれる美しい石像で埋め尽くされたテラスが続く。

タ・ブローム1日目にアンコール・ワットとアンコール・トムを巡り最後にタ・ブロームというスポアン(穃樹)と呼ばれる巨大な木に浸食されたジャングルの中の遺跡を訪れた。
この遺跡は最初1186年アンコール・トムを建造したジャヤバヴァルマン七世が母のために仏教僧院として創建されたが、後にヒンドゥー教寺院として使われたという。

タ・ブロームそのために多くの仏教的レリーフが削り取られた跡が随所に見られる。
文献によれば、創建当時ここには5000人余りの僧侶と615人の踊り子が居たという。
遺跡は迷路のように入り込み、いたるところにスポアン樹により食いちぎられていくような一角があり、遺跡情緒満点の場所だ。

タ・ブロームアンジェリーナ・ジョリー主演の「トゥームレーダー」の一場面に使われたのはここであろうと思われる。
謎の世界の入り口を探す彼女が迷い込んだ遺跡の一角。
少女と美しい蝶が舞う場所。
まさに、遺跡の中を歩いていると土産物を売ろうとする少女が現れ、美しい蝶が舞う。

タ・ブローム

タ・ブローム続く。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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