チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2010年8月9日

続・ドゥクチュ(舟曲)死者337人、行方不明1148人/セルタ(色達)でチベット人4人に実刑

Pocket

Dhukuchu
(後記:9日22時に開かれた、記者会見の席上、甘南蔵族自治州委員会書記陳建華は、9日14時時点で、舟曲の土石流による死亡者数は337人、行方不明1148人と発表。)

ドゥクチュ(舟曲)の状況は危険な状況が続いているようだ。
日本のメディアから映像なども流されているようだが、映像はすべて国営のCCTVのものばかり。
政府は今回も報道規制を引き、CCTV以外のメディアを現場に近づけないようにしている。

ヘリを使って早速、「中国一の俳優(同名の本は発禁となった)」と讃えられる温家宝氏が現地に飛び「じっとしてて、今すぐ助けに行くから、、、」と死にそうな被災者に温かい声を掛けるシーンを撮影して、素早く飛び去って行った、というニュースが繰り返し中国のテレビで流されている。

村ごと消えてしまったとされる343人の集落の名は中国名で「月円」村というそうだ。
この名前は如何にもチベット的だ。
元のチベット語は「ダワ(月)・ゴゴ(円)=満月」村ではないかと想像する。
おそらくチベット人の村であろう。

25b8cc55.jpgウーセルさんは盛んに葬儀の事を気に掛けておられる。
ウーセルさんのツイッターに以下のような報告が上がっている(翻訳U女史)。

「degewa RT @PKUbuzheteng(章聞韶):
北京のnadieによれば: 今のところドゥクチュでは、(住民は)主として、自助
を余儀なくされています。私の家では現在10人が罹災し、昨日4人が遺体で見
付かりました。親戚はその処理を誰に相談して良いのか分からないうえ漢語
も使えず、現地の気温が非常に高かったため、その晩武都(甘粛省隴南市武都
区)まで背負って行き火葬に付しました。火葬料は1体当たり1800元でしたが経
済的理由により支払えず、県の政府からお金を借りてくれる人を待っていると
ころです。」

さらに、ウーセルさんは周辺にあったであろう僧院はどうなったのか?
火葬するための油や薪はあるのだろうか?と心配されている。

ウーセルさんは3つの原因:1、水力発電建設 2、鉱山開発 3、森林伐採
を上げ人災の面を強調している。

これに対抗するかのように、政府は今回の災害の原因を4つ:
1、地盤が緩み、岩石の風化がひどいこと。
2、現場は四川大地震被災地の一つで、地震により周辺の山の岩石が脆くなったこと。
3、去年第四半期から今年上半期まで続いた旱魃で岩石にひびが入り、雨水が容易に浸透すること。
4、7日夜東北部で突然豪雨が降ったこと。
を上げ、単なる自然災害だと主張している。
http://japanese.cri.cn/881/2010/08/09/181s162070.htm

新華社は「9日未明、船に乗った蘭州軍区の17名の兵士たちは、この堰き止め湖に辿り着き、8時15分に堰き止め湖の堆積物を爆発しました」と発表しているが、
http://japanese.cri.cn/881/2010/08/09/181s162079.htm
続いて「再び行く」と言ってるところを見ると、実際にはそう簡単に水が抜けた訳ではなさそうだ。

現地には水も電気もなく、通信も遮断されている。
明日、明後日再び上流地域に豪雨の予報が出ており、さらに被害が広がることが危惧される。

——————————————————————

規制にも関わらず現地に入ったのか?現地に入れず、避難してきた人々にインタビューしただけか?産経の現地報告:

http://sankei.jp.msn.com/world/china/100809/chn1008092302004-n1.htm

—————————————————————————–

<カム、セルタ(色達)で「耕作拒否運動」に参加したチベット人農民等に実刑>

phayul経由VOTによれば:
http://bit.ly/b9Ywmt

2008年のチベット弾圧に抗議するために、カムの農民の間に広まった「耕作拒否運動」。
7月30日、この運動に参加し、去年10月に他6人と共に逮捕されたチベット人農民2人にセルタ(色達)人民法院は、刑期1年半と1年を求刑。

同じセルタの(中級)人民法院は同日、今年5月16日に「チベットの自由とダライ・ラマ法王の帰還を訴えるリーフレットを街で配った]として逮捕された、2人のチベット人にそれぞれ2年半の刑を言い渡した。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

ちべろぐ

Archives

  • 2018年3月 (3)
  • 2017年12月 (2)
  • 2017年11月 (1)
  • 2017年7月 (2)
  • 2017年5月 (4)
  • 2017年4月 (1)
  • 2017年3月 (1)
  • 2016年12月 (2)
  • 2016年7月 (1)
  • 2016年6月 (1)
  • 2016年5月 (9)
  • 2016年3月 (1)
  • 2015年11月 (1)
  • 2015年10月 (2)
  • 2015年9月 (4)
  • 2015年8月 (2)
  • 2015年7月 (14)
  • 2015年6月 (2)
  • 2015年5月 (4)
  • 2015年4月 (5)
  • 2015年3月 (5)
  • 2015年2月 (2)
  • 2015年1月 (2)
  • 2014年12月 (12)
  • 2014年11月 (5)
  • 2014年10月 (10)
  • 2014年9月 (10)
  • 2014年8月 (3)
  • 2014年7月 (9)
  • 2014年6月 (11)
  • 2014年5月 (7)
  • 2014年4月 (21)
  • 2014年3月 (21)
  • 2014年2月 (18)
  • 2014年1月 (18)
  • 2013年12月 (20)
  • 2013年11月 (18)
  • 2013年10月 (26)
  • 2013年9月 (20)
  • 2013年8月 (17)
  • 2013年7月 (29)
  • 2013年6月 (29)
  • 2013年5月 (29)
  • 2013年4月 (29)
  • 2013年3月 (33)
  • 2013年2月 (30)
  • 2013年1月 (28)
  • 2012年12月 (37)
  • 2012年11月 (48)
  • 2012年10月 (32)
  • 2012年9月 (30)
  • 2012年8月 (38)
  • 2012年7月 (26)
  • 2012年6月 (27)
  • 2012年5月 (18)
  • 2012年4月 (28)
  • 2012年3月 (40)
  • 2012年2月 (35)
  • 2012年1月 (34)
  • 2011年12月 (24)
  • 2011年11月 (34)
  • 2011年10月 (32)
  • 2011年9月 (30)
  • 2011年8月 (31)
  • 2011年7月 (22)
  • 2011年6月 (28)
  • 2011年5月 (30)
  • 2011年4月 (27)
  • 2011年3月 (31)
  • 2011年2月 (29)
  • 2011年1月 (27)
  • 2010年12月 (26)
  • 2010年11月 (22)
  • 2010年10月 (37)
  • 2010年9月 (21)
  • 2010年8月 (23)
  • 2010年7月 (27)
  • 2010年6月 (24)
  • 2010年5月 (44)
  • 2010年4月 (34)
  • 2010年3月 (25)
  • 2010年2月 (5)
  • 2010年1月 (20)
  • 2009年12月 (25)
  • 2009年11月 (23)
  • 2009年10月 (35)
  • 2009年9月 (32)
  • 2009年8月 (26)
  • 2009年7月 (26)
  • 2009年6月 (19)
  • 2009年5月 (54)
  • 2009年4月 (52)
  • 2009年3月 (42)
  • 2009年2月 (14)
  • 2009年1月 (26)
  • 2008年12月 (33)
  • 2008年11月 (31)
  • 2008年10月 (25)
  • 2008年9月 (24)
  • 2008年8月 (24)
  • 2008年7月 (36)
  • 2008年6月 (59)
  • 2008年5月 (77)
  • 2008年4月 (59)
  • 2008年3月 (12)