チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年7月15日
BBCのラサレポート/ジョカン寺の茶番/初転法輪の日/バイクのラクパさん
昨日のBBCで、最近行なわれたラサ・ジャーナリスト・ツアーのレポートが流された。
「BBC given rare tour of Tibet 」のタイトルで以下にアクセスすれば、見ることができるはずだか、
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia+pacific-10639713
なぜか、私がやるとCMに移行するだけで、見ることができない。
ま、とにかく、非常に面白かった。
ラサの街角撮影では武装警官がどれほど至る所にいるかが見せられた。
道を走れば、すれ違う何十台もの軍隊のトラック。
2008年3月の映像も流された。
その後、街角インタビューの様子が映された。
外人のインタビューを避ける人々、中にはかろうじて「危険過ぎて話せない」と話した人もいた。
一番笑えたのは、BBC特派員が西蔵大学の中に入り、学生にインタビューを試みる場面。
特派員のすぐ横には黒いサングラスを掛けた大きくていかにも怖そうな監視員が立っている。
特派員は構わず学生に近づき話しかける。
監視員はすかさず学生との間に割り込もうとする。
学生も顔を隠して逃げる。
再び、トライするも同じように監視員の顔をみて学生は逃げる。
次に、例のジョカンでの、かつて抗議の声をメディアの前で上げた、僧ノルゲへのインタビューのシーンが流される。
「ダライ・ラマを信仰するか?」という質問に対し、僧ノルゲは「イエス」と答えたにも関わらず、通訳はそれを「ノー」と訳した。
コメントに「まるで子供じみた茶番劇だった」と。
これはこれは、ここまでやっても大丈夫なのかな?とちょっと心配するほどによくできていた。
NHKさんも入ってたら比べることができて、もっと面白く見れたかもしれない。
日本の時事さんとかThe New York Timesさん はチベット語が解らなかったのか?通訳の英語しか聞いていないように書かれていた。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2010-07.html#20100702
BBCからのこの辺の状況を詳しく書かれた記事も出た。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=27742&article=No+room+to+talk+in+’stable’+Tibet
——————————————————————-
<ラサ、ジョカン寺での中国の茶番劇>
ラサのジョカンと言えば、最近、偽パンチェン・ラマ11世がジョカンで第5世ドジュブ・リンポチェの選定儀式に参加したというニュースがあった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100706-00000070-scn-cn
この先代ドジョブ・リンポチェから尼僧になる儀式を受けたという尼さんが偶然内に一人いた。
彼女によれば、このリンポチェは早くから中国側に寝返ったリンポチェとして有名だったという。
で、選定は「伝統に則った金壺方式」で行なわれた、と中国はいう。
この金壺方式は、確かに清の時代にパンチェン・ラマ9世の選定時他、数回行なわれているが、チベットの伝統的やり方では決してない。
第一、 相手が清と中国共産党では民族も国も違う。
その話を置くにしても、
清とチベットとの関係は「チュ・ユン(寺と檀家)」関係であったと普通の歴史家は言う。
「チュ・ユン」関係の本質は皇帝などが僧侶に保護を与える動機が自分への忠誠への見返りではなく、仏の教えと恵みに対する見返りだという点である。
そしてその関係は皇帝などは上師(ラマ)の弟子であり、上師(ラマ)への帰依者なのだ。
歴代の清の皇帝や家族はチベットの高僧から潅頂も受けているというチベット仏教徒だった。
中国共産党は宗教を否定する唯物論者のはずだ。
実際、60年代、70年代を通じて中国共産党は徹底的にチベット仏教を破壊し尽くそうと試みた。
だが、結局頑強なチベット人の信仰心を無くすことはどうしてもできなかった。
そこで、今度は政策を変更しチベット人を統治するために仏教を利用しようと試み始めたのだ。
そうでなければ、何で科学的共産党が生まれ変わりの仏教的聖人を探す必要があるのか???
ところで、この偽パンチェン・ラマ11世と呼ばれることになった、ノルブ少年も20年近く前に同じく金壺のくじ引きにより選ばれたのだが、その時ジョカンの現場に居合わせたリンポチェがいる。
1998年アメリカに亡命されたアルジャ・リンポチェArjia Rinpocheである。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51448899.html
今年5月にダライ・ラマ法王をインディアナに招待した時、VAのインタビューに答え、このノルブ少年選出の現場の状況について詳しく話されていた。
リンポチェによれば、この時、金壺の中には三本の棒状の籤が入れられていたという。
その内一本はダライ・ラマ法王が公認したニマ少年だった。
籤を引く前に、籤を引く係りとされたリンポチェに「一本長くしてあるから、必ずそれを引くように」と中国の役人が行ったという。アルジャ・リンポチェはすぐ近くでこれを聞いていた。
結果は計画通り、共産党幹部の息子であるノルブ少年と決まった。
その時、その場にいたノルブの母親は大いに喜び、はしゃいだという。
「そんなにはしゃいだりしてはいけない!」と母親は役人に叱られたとか。
中国共産党の茶番劇は昔も今も変わらない。
これらすべての茶番劇がチベットでもっとも聖なる仏像と言われているジョオ・シャカムニ仏の目の前で行われているというのがまた何ともいえない。
—————————————————————————
今日はチベット社会の休日。
今日は「初転法輪」の日と言われる、シャカムニ・ブッダがブッダガヤで完全な悟りを開かれた後、サルナートの鹿野苑
で昔の修行仲間5人に初めて仏教の教義を説いたとされる日なのだ。
そこで、ダラムサラのツクラカンには朝から僧尼、俗人信者が集まり、夕方まで法要が行なわれている。
写真のように今日は五体倒地に励むお年寄りが目立った。
以下ウィキペディアの「初転法輪」の説明:
釈迦は当初、仏法の説明は甚だ難しく、衆生に教えを説いても理解されず徒労に終わるだろうと、教えを説くことをためらったとされる。
『マハー・ワッガ』をはじめとする初期仏典には、沈黙を決した釈尊を索訶主梵天(brahmaa sahaMpati)が説得したという伝説(梵天勧請)が記されている。
梵天の懇請を容れた釈迦は、世間には心の汚れの少ないもの、智慧の発達した者、善行為を喜ぶものもいることを観察した上で、最終的に法を説くことを決意した。(「甘露の門は開かれたり 耳ある者は聞け」に始まる有名な偈はこの時説かれたとされる。)
このとき説かれた教えは、中道とその実践法たる八正道、苦集滅道の四諦、四諦の完成にいたる三転十二行相、であったとされる。
尼たちの話によれば:
嘗てラサでは、この日、大勢の僧尼や俗人がラサ周辺のゴンパ回りピクニックを行っていたという。
ルートはまず朝早く遠くて高い所にあるンガリ・ゴンパに向かい、その後パボンカ・ゴンパ、そしてチュプサン・ゴンパを巡って、夕方ラサに帰る。
この時期、山にはシンドゥンと呼ばれる赤い実が沢山あるそうだ。
その実は食べることもできるが、女性や尼僧はその赤い実を糸に通し、これを首飾りにする。
道すがら、歌を歌い合い、ふざけ合う。
山の高いところにはチュロと呼ばれる、大きな葉がありこの茎は酸っぱいが食べられる。昼食時にはこれを集めツァンパと一緒に食べる。
アニラたちの楽しかった思い出の一つだという。
———————————————————————–
最後になったがフリーチベット・ワールドツアーのラクパさんの日本での様子がYoutubeにアップされたそうだ。
今日はネットの状態が非常に悪く、朝からこれを見ようとするが、何時間たってもダウンロードできず、私はまだ見ていない。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)