チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2010年7月13日

公盟法律研究中心(北京大学)による「チベット人地域の行政構造に存在する主な問題とその対策についての提案」

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趙紫陽の時代から、チベット問題を悪化、複雑化させている大きな原因として、抵抗を金儲けに利用する地方政府と公安、軍隊の体質が挙げられているが、中国の最近のまともな研究者も同様の論文を発表した。

ただ論文は地方政府に問題の責任を負わせ過ぎの感がある。
中央政府にも監督責任があることには言及されていない。

まともな論文を発表したこの研究所はその後、昨年7月17日に中国政府の家宅捜索を受け、事実上活動停止に追い込まれたという。

この論文を訳し、ブログに掲載されたのは青海省で日本語教師をされている阿部治平さんだ。

http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-1224.html

2010.07.02  東北チベットについてのある見解 
――チベット高原の一隅にて(84)――                
        
2年前、ラサを中心にチベット人地域の各地でチベット人の騒乱(3・14事件)があった。事件後、西寧の町から民族服と赤い僧服が目立って減り、チベット人に物を売らない店があったり、役所の手続きが後回しになったとかいう不満をチベット人から聞くことがあった。
チベット人地域の問題は外のものにはわかりにくいが、海外には知ってか知らずか中国政府を批判してことたれりとする「チベット通」がいる。

ここに要約を紹介する公盟法律研究中心(北京大学)による「チベット人地域の行政構造に存在する主な問題とその対策についての提案」(青海蔵族研究会雑誌「青海蔵族(2009・2)」という論文は、問題の所在を知る上で重要だと思う。足を中国共産党の民族政策に置きながら、現地調査にもとづいてチベット人地域行政の病弊について述べたものである。
<――のあとは同論文中の関係ある記述の引用、( )内は阿部の注・補充>

結論部分
市場経済進展の下、外地の人がチベット人地域で多額の富を獲得するのをチベット人側からみると、チベット人地域に対する国家からの支援よりも、搾取されているという実感のほうが強い(普通のチベット人は中央政府による多額の投資と援助を知らない)。
これと同時に伝統的な信仰も現代化の衝撃をうけ、寺院の対応も変貌をせまられている。そのためチベット人若者の多くは混乱し心の置きどころがないという困惑のなかにある。
この十数年の間に(行政の)各レベルで一群のチベット族幹部が養成されたが、彼らはその権力を利用して、国家の(多額の)援助を少数官僚の出世プロジェクトと個人の財産に変えてしまった。
彼らは大衆とも多元的な思想社会ともうまく対処できず、いつも大衆との対立を激化させ、あげくにその後始末を中央政府に頼む。
チベット人は内地の住民同様いつも地方官吏に多くの不満を感じている。
3・14事件はこうした日ごろの困惑と不満に、宗教など国外勢力(すなわち亡命チベット人)が火をつけて爆発したものである。

提案部分
1、
一般チベット人の利益を尊重、保護することを前提に、チベット人地域政策を調整し、地域の特徴に適った発展政策を制定べきである。

2、
チベット人地域の経済構造の合理的発展のために、とくにチベット人全体の福祉のために十分な機会と利益を獲得しなければならない。地元の経済主体を育て極端なアンバランスを改変し、域内の(小)都市と農牧村間格差を縮めるべきだ。
援助の範囲をチベット自治区以外のチベット族自治地方に拡大すること。資金と技術、人材の援助を結合したモデルを保持し、外資導入と地場産業の保護を図ること、また域内農牧業に対して個別の援助と保障を進めること。
――多くの人が中央政府の政策を知らないから、それと地方政府の決定の違いが分からない。中央政府はしばしば地方政府の失政の責任をかぶせられている。

3、
民族区域自治政策を実現し、地方行政に対する有効な監視を強め、民主化の進展を早めるべきだ。腐敗・行政(不公平・非能率)・汚職などの行為に対し、無原則的甘やかしをやってはならない。とくに“反分裂”に名を借りて地方で圧政をおこなう官僚は叩くべきである。さらに合理的で民主的なチベット族幹部の選抜制度を確定すること。
――我々はさる県政府が農民と水力発電所の紛争を処理するに当たって「反分裂、安定維持」事件としたのを見た。
――チベット共産党創始者プンツォク=ワンギェル先生はいう。
「政府の中に“反分裂”で飯を食っている連中がたくさんいる。うわべでは“反分裂”を叫ぶが、実際は個人の利益をここに求める。彼らは自分の(政策上の)過ちを認めず、極力“海外敵対勢力”のせいにすることで自分の地位と利益を固め、権力と(利益供給)資源を確保するのだ」と。
――チベット人地域では官僚は内地のような広範囲の異動がない。そこで地元に権力の複雑なネットワークを作るから汚職腐敗が必然的に多くなる。この十数年の間に官僚・経済界の新貴族は、復活した寺院・僧侶と一緒になって「新貴族階層」を形成した。「チベット人地域の制度の背後には(利益供給)資源の分配問題がある。(行政の)各レベルごとに集団的利益がある(西北民俗学者韋明博士談)」
――「新貴族階層」は中央認可の合法的な管制高地を制圧し、その権力は旧支配者と比べてさらに強い。彼らの中央への忠誠心はかつてないほど強力である。だが農牧民の認めた権威ではないから、農牧村では旧支配者ほどの影響力はない。国家と一般大衆が(政治的に)分岐したとき「緩衝機能」は果たせない。
――旧支配者は「地元」と「国家」の二重の力関係のなか、支配維持と人心の安定を図りバランスを求めた。いま新貴族は郷土とか集落とか宗教との間に深い亀裂がある。チベット人は新貴族を彼らのところの人間だと思わない。

4、
チベット人地域教育(省略)。

5、
チベット人の宗教信仰の自由を十分に尊重保護する。正常な宗教生活と活動の回復と支持。宗教的生活の重要性を認識し宗教権威者の役割に注意する。正常な法会・巡礼修行・求法・僧侶の昇級試験などの宗教活動を回復すること。

――(3・14事件後)寺院と僧侶に対する措置は寺の威信を傷つけた。僧侶を検査し、寺院を閉鎖し、外地の遊行僧を寺から追出し、寺院内で「社会主義・愛国主義教育」をやった。これは専心修行中の僧にとっては干渉であり、政治的なプラスは少しもなかった。
――チベット仏教の伝統制度と文化を現代化の阻止勢力と見るべきではなく、むしろチベット現代化の上での役割調整をしてから、それに依拠すべき「資源」と見るべきである。
――国家の政治上の文言には、宗教政策上の硬直性と立ち遅れがある。また理論と実践上の不一致がある。地方官僚は国民と信者との関係を明確に認識できない(チベット仏教徒と国民が両立しないと考えるのか?)。そのため愛国主義教育のやり方で半強制的に僧侶を還俗させるといったことが生まれている。
――(市場経済の浸透・道路網の発達とともに)僧侶は俗人化し、寺院も管理方式がかわり、信者の観念も変わってきた。宗教内部の権威(と教育)、寺院内の組織も改変しなければならない。寺院の教権と地方権力の問題、寺院と僧侶の管理をどうするか。いま国家にはその準備と行動が欠けている(寺院にも)。

6、
チベット人地域の問題を解決しようとすれば考え方を変え、もっと知恵のある方法をとるべきである。突発事件を処理する時でも強圧的態度を改め、地元の積極的な勢力(例えば僧侶)を動かして解決すること。

――3・14事件の原因は(経済)発展が造成した格差、経済面での不満、移住問題、国外の影響、宗教上の感情、事件現場の「集団心理」などで、単純に「暴力分裂主張」に帰することはできない。
我々は事件の迅速な鎮圧と矛盾の解消、人心の安定、汚職官僚の処置、民族間の更なる団結と和睦を主張したが、政府の強引な宣伝と軽率な処理はマイナス効果を生んでいる。
――(事件後の)宣伝は「対暴力」に傾きすぎた。暴力を10数時間もテレビとインターネットを通して全国・全世界に伝え、事件の起因を「海外勢力」だけとしたから、実態を知らない漢族はチベット人全体に対する強い民族的反感をもった。
――各地政府は事件後チベット人を厳重に統制し、普通のチベット人に「政治上の関所」(を通すかどうかの検査をして)、多大の不満を生み人心を離反させた。(現場官僚に)過度の猜疑心や排斥、不公平な扱いが生まれ、官僚ですらホテルや空港でチベット族はゆきすぎた検査を強いられた。

7、
チベット人地域の法治をもっとすすめること。チベット自治区と他の自治地方の条例は公布されているが、下位の法規が欠けている。そのカギ的部分は資源の所有権・措置権などの規定だ。これについてチベット人地域各方面の専門家が参加する討論と提言を奨励すること。

――チベット人地域では「安定(何ごとも起らない)」は最重要のこととなった。一方チベット族官僚は硬直した考えかたをするうえに、中央からは巨大な権限を与えられている。ところが(誰も)官僚を有効に監督することができない。「国外勢力とチベット独立」(が犯人だ)といういいかたは地方官僚の失政の「隠蓑」、圧制による社会不満を隠す「イチジクの葉」となっている。
――甘南(甘粛省夏河県曲奥)では農牧民から治安がひどく乱れているという話があった。「牛羊が盗まれ、犯人はつかまったが、2日で釈放された。家畜は返らず、売り飛ばされてカネは(どろぼうと)公安局が山分けした」

8、
民族団結を呼びかけるとき、改革開放によってあげた成果を宣伝して過去の農奴制が過酷だったという宣伝はやめるべきだ。(市場経済)発展の活力を取上げ、同時にチベット人地域社会が直面する問題を率直に述べ、分裂と民族仇敵視の民族主義の暗礁を警戒すべきである。

9、
危機処理のとき、中央政府は「仲裁者」として、できる限り地方官僚の不法行為とは違った立場を保持すること。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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