チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年7月7日
ダラムサラ、ダライ・ラマ法王、75歳のお誕生日会
昨日はダライ・ラマ法王の75歳のお誕生日だった。
世界中のチベット人やサポーターが祝い、法王の長寿と健康を祈った。
ここダラムサラでは、雨にも関わらず、朝からツクラカンに数千人の人が集まった。
この「めでたい日に雨が降る」と、チベット人はかえって良い印と取ることは前にも話たが、昨日は横にいた、政府のスポークスマン、サンペル氏にこの事を質して見た。
別に政治的なことでないから、彼の答えが正式な話にはならないが、、、
彼曰く「そうだよ、チベットでは祝いの日に雨が降れば、それは雨でなく<花・華>が降ってると言うのだ。ほら、今日はこんなに華が降ってる。
綺麗じゃないか!
例えば、チベットでは旅の最中、どこかの町に入る前に雨が降ると、これも、天が歓迎して華を降らせているとして、吉祥の印と見なすんだよ」
とのことだった。
法王がご自身の誕生日会に出席するということは、これまでにダラムサラでは一度もなかったことだと思う。
毎年、ツクラカンで盛大な祝賀会は行われていたが、法王は恥ずかしいからか?一度もお出ましになったことはなかった。
法王は案外シャイなのだ。
しかし、今回は75歳という節目とも言える年だからか、みんなに引っ張り出されたという格好で、お出でになられた。
チベット、インド、ネパールの各団体からのプレゼント贈呈式や誰それへの表彰状付与とかのあと、
首相と議会議長が挨拶。
そして、法王の短いスピーチがあった。
法王がご自分の誕生日に話をされるのは初めてと思われる。
短かったが、いつものように内容は感じさせるものもあり良かった。
特に、法王が目の前に張り出された、自身の子供のころからの写真を眺められながら自分の人生を回顧し、「無駄な人生ではなかったと思う」とおっしゃったところなど感動的でさえあった。
法王はアムドのタクツェル村で1935年7月6日にお生まれになった。
法王がこの世に生まれ、自分が同時代人として、この菩薩を間近に眺め、接することができ、言葉を聞くことができることを非常な幸運と感じる。
世界の道徳的権威、希望の星として、これからも世の中に愛と慈悲の心を増やし、社会正義、宗教間対話、環境保護、普遍的責任等を促進するために末永くご活躍されることを願う。
今日は、自分が75歳になる日を(周りの者たちが)少し大げさにやりたいということで、こうして皆も集まってくれた。
チベット人は不動の信と決意を持ち続けてくれている。そのようなラマとトゥルク(転生者)たち、政府のみんなもそうだ。
みんなこうして今日集ってくれて、ありがとう。
また、地区の友人、顔見知りのインド人とか、宗教関係の人とかが集まり、先ほど私のために祈祷を上げて下さった。
どうもありがとう。
同じく、私の誕生日を祝うためにわざわざ(オーストラリアから)来て下さった、中国の友人たちには特別に、ありがとうと言いたい。
(中国人たちに拍手)
最も気がかりなのは、チベットに残っているチベット人たちだが、今日は私の誕生日ということで、心の中には強い思いが湧いているかもしれない。
だからと言って、それを外には現すことができないという状況下にある。
そのような中でも、心の中に変わらぬ信と決意を持ち続けてくれている人たち、そのようなみんなに、ありがとうと言いたい。
(拍手)
我々、自由な国にいる者たちは、インドを中心に各地のセトルメントで祝いを行なってくれていると聞く。そのような人たちみんなにも、ありがとう。
私から、今日特に言うことはない。
自分の誕生日に自分をほめても意味ないだろうし、ハハハハハ、、かといって、けなしてもなんだし、、、ハハハ、、、
だから、今日は言うことは何もない。
(前に張り出されている写真をご覧になりながら)
写真を見れば、ほんとにまだ自分が幼かったころ、まだクンブンにいた頃のから、ラサに着いたばかりの頃の写真、、、
それから、次々に、ずう~~と見て行くと、、、ひとつ、自分は人生を無駄にしては来なかったなあ、と思うのだ。
自分は夢の中であろうと、「私は僧侶なのだ」という自覚を持って暮らしている。
家を捨て僧侶になった時から、仏の教え一般と、特にナーランダ僧院の法統を学んできた。
チベットには実に沢山の論書が翻訳されている。
私はいつも言ってる、自分たちは生徒だと。
自分もこれらの論書を学び、常に参照しながらここまで来た。
今、私は75歳だが、時間がある時にはいつも、これらの論書を見ている。
非常に利がある。
自分の行動を正すために、心の目を研ぎ澄ませるために。
それらが条件となり、心楽しむ。
心楽しむから、身も健やかだ。
みんなも経験的に知っている。みんな人として友人だと。
人種、身分、宗教に関わりなく、誰であろうと、人としては一緒だ。
幸せを求めるのも一緒だ。
苦しみを避けたいのも一緒だ。
苦しみを避け、幸せを求める権利があることも一緒だ。
でも、多くの人は、その幸福になる手段として、物質的に豊かになったら、権力を持つなら、それで幸せになるような気になっている。
でも、そうなっているようには見えない。
権力を持ち、金も持っていても、心に苦しみを抱え悩んでいる人を、私は沢山見て来た。
それに引き換え、心が静かで満たされているならば、外に物が無くても、心の底から、リラックスでき、朗らかでいられる。
自分がリラックスし、楽しげであるだけでなく、そのような人は地球上で他人に問題を作るということはない。
お金や権力を持つ者たちは、沢山問題を作り出しているじゃないか?、、フフフ、、
だから、心が静かで幸せであるならば、自分も楽しく、周りの人たちも楽しくすることができる。
今生で幸せ、究極的な楽もやってくるというわけだ。
だから、この齢まで、できる限り、仏の教え全般と特にナーランダ僧院の師、ナーガルジュナ父子等の教えは自分の人生の糧のようなものだ。
この教えにより、人に幾らかでも利を与えることができた。
こうして、死ぬまで、仏の一人の弟子として、できる限り他の人を利すことができたらな、、、と思っている。
「地などの四大や
虚空のように、つねに
無数の有情のために
様々な方法で(彼らの)生きる糧となろう」
(シャーンティデーヴァ入菩薩行論 第三章・菩提心の受持より。中原訳)
と特にナーガルジュナの「宝行王正論」の中にある、
「地、水、火、風、
薬草および樹木を用いるように、
つねに生きとし生けるものが
すべて欲するままに妨げなく(われを)用いる者となりますように。
生きとし生けるものを(自己の)生命のように愛し、
さらに、自己よりも彼らをより以上に愛しますように。
自らに彼らが悪を結果づけても、自らの善はあますところなく、
彼らに報われますように。」
(瓜生津隆真訳)
という節を常に思い出している。
他には言うことはない。
今日は雨が沢山降っている。
今日はみんな、気を付けないと、風邪をひいてしまうぞ。
分かったか、気をつけるんだよ。
それだけだ、タシデレ、トゥクジェチェ!
(拍手、了)
昨日は何と30組もの歌と踊りのグループが出演した。
法王は最初の10グループほどまでご覧になり、その後退席された。
最初はインド人やネパール人グループが多かった。
昼食がみんなに配られ、午後も延々、歌と、踊りのショーが続けられた。
ソガ・ロプタ(トランジット・スクール)の舞踏は迫力満点で評価が高い。
そういえば、ネパールでは昨日カトマンドゥで法王の誕生日を祝うために集まろうとしたチベット人100人が一時拘束されたという。
政府は中国政府の圧力により、法王の誕生日を祝うことを禁止したのだ。
今日は七夕だが、ダラムサラは華が降り止まない。
夜のために空を洗ってくれているのであろう。
追加のおまけ写真。
法王のお誕生日に合せ、チベットテレビでは1989年、法王がノーベル平和賞を受賞された時の映像が流されている。
法王は授賞式が終わった後、ノルウェーの北へ旅されたようだ。
写真はその時トナカイの橇に乗って白夜の雪の原を走っておられる法王。
(テレビ画面を写真に撮ったので、写真は雰囲気だけだ)
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)