チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年7月2日
ラサ、ジョカン僧侶へのインタビュー
渡辺一枝さんが、確か去年暮れに下北沢で行ったイベントの中で以下のようにおっしゃっていた。
「やるな、と言われた事はまだましです。みんな知恵があるからたとえばこっそり法王様の写真を隠し持っていたり、こっそりお祈りしたり。でもやりたくない事をやらされる、言いたくない事を言わされる、これが人権侵害、人権蹂躙です」と。
以下、最近行われたラサの取材ツアーに参加したNYタイムズの記者の記事(パユル掲載分)を翻訳する。
日本の時事さんの記事も悪くはなかったが、とにかく短過ぎ、中には誤解する人もいると思われたので補足の意味だ。
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<一度は前面に出たチベット僧侶も再教育の後、大人しくなった>
7月1日付The New York Times by Edward Wong
http://phayul.com/news/article.aspx?id=27644&article=Upstart+Tibet+Monk+More+Placid+After+Chinese+Re-education
Lhasa,Tibet:
若い僧侶たちは再びマイクとテレビカメラの前に立つこととなった。
その光景はかつて2008年3月28日、中国政府の役人に囲まれた外国人ジャーナリストがいるお堂に、僧ノルゲをはじめとする十数人の僧侶たちが突然現れた時と、同じようであった。
そして、その時、僧侶たちは「チベットに自由はない!」と泣き叫んだ。
今回、火曜日に、僧ノルゲは異なったメッセージを発した。
彼は罰せられ、愛国再教育を施されたのだ。
そして、彼は悔い改めた。
「私は殴られたり、拷問を受けたりはしていません」と彼は言う。
「私たちはもっと(中国の)法律について学ばねばなりません。法律を学ぶことにより、私たちが嘗て行なったことは悪いことであり、(中国の)法律に違反することであったと解りました」
他の多くのチベット人のように、名前一つで呼ばれる29歳のノルゲはこの話を、チベット仏教でもっとも聖なる寺院とされるラサ・ジョカン寺の中で、そのまたもっとも聖なる内院と見なされる場所で語ったのだ。
10分間のインタビューの間、彼は北京とラサの政府関係者たちに注意深く監視され、さらにこの寺院の管理事務所長であるラバと呼ばれる年配の僧侶にも、すぐそばで見張られていた。
この政府関係者たちは、普段は外国人ジャーナリストに閉ざされているチベット自治区への、5日間の綿密に計画されたこの官製ツアーのエスコート役を務めているのだった。
このインタビューがいかに監視されているかを観察すれば—例えばラバはノルゲの話を何度も遮った—チベットに関し中国政府が発表する公式見解に反する意見が出ることを、いかに当局が警戒しているかが窺われる。
ノルゲへのインタビューは最初から、このツアーの予定表に組み込まれていた訳ではない。
記者団側が2008年3月28日に抗議を行なった僧侶に会うことを執拗に要求したので、仕方なくラバがノルゲを連れだして来たのだった。
かつての抗議は、3月14日ラサのまさにパルコル、ジョカン広場前で始まり、直ちにチベット全土に広がった決死の民族闘争の揚げくに行なわれたものだった。
「私はあの時、何も知らなかった」とノルゲは3月28日の抗議についてコメントする。
彼は、あの時抗議したのは、3月14日のデモの時、保安部隊が私たちをジョカンの中に閉じ込めたからだ、
「当局は僧侶全員を寺の中に閉じ込めた」
「外に出たかっただけだ」と語る。
2008年3月の時、一人の僧侶はジャーナリストに対し、3月10日から117人の僧侶が閉じ込められたままだと語っていた。
3月10日は、チベットの精神的指導者ダライ・ラマが、亡命を余儀なくされたラサ蜂起の49年目の記念日であった。その日、ラサ郊外にある僧院の僧侶たちはこれを記念する行進を行なった。
この平和的行進が4日後に始まる騒乱へと繋がった。
その後、ジャーナリスト・ツアーが行なわれ、ジョカン寺の中で突然現れた30人ほどの僧侶たちにより衝撃的な証言が行なわれたのだった。
「政府は嘘をついている。すべて嘘なのだ」、そして「彼らは多くの人々を殺した」と僧侶たちは話した(AP伝)。
ノルゲのように3月蜂起に加わった多くの僧侶たちには、その後、延々と続く中国の法律と共産主義思想を学ぶ愛国再教育が科せられた。
そこで僧侶たちはダライ・ラマを非難するよう求められる。
当局は反抗的な僧院を閉鎖し、中にはインドに逃れる僧侶もいた。
火曜日、記者たちに「チベット人には宗教の自由があるか?」と尋ねられ、ノルゲは「はい」と小さな声で答え、顔をうつむけた。
中国政府はインドに住んでいるダライ・ラマに対するいかなる礼拝も禁止している。
ダライ・ラマの写真を保持することも禁止されている。
ノルゲは「ダライ・ラマに対する礼拝の自由はあるのか?」と聞かれた。
「信じるか信じないかは個人の自由だ」と彼は答えた。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)