チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2010年6月26日

今日はチベットの祝日「地球環境デー(ザムリン・チサン)」

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チベッタン・アンテローペ今日はチベットに昔からある「地球環境デー(ザムリン・チサン)」
周りのチベット人は、みんな今日は肉を食わないと言ってる。

チベットは世界でおそらく初めて、環境保護条例を制定した国である。

この辺の事をまとめたよくできたサイトがある。

「チベットの環境破壊」について亡命政府の資料を基にし、写真を多用し、うまくまとめられている。
http://tibet.turigane.com/tibetenvironment.html#
チベットの絶滅危惧種の写真等が載ってて参考になる。

その初めだけコピーする。

チベットの絶滅危惧種 オグロヅル■ 自然と共生してきたチベット人

 チベット人は伝統的に自然を崇まい、関心を抱き続けてきた。チベットに多様な動物と、高原植物が残っていたのはそのためである。この伝統は、宗教的な信念に基づいている。これは、国の政策にも現れている。1944年、チベットの摂政は、伝統的な法令を更新している。

村の長、チベット全域の官吏、為政者は、ハイエナと狼を除くすべての動物の殺生を阻止するように命じる。水に棲む魚類、かわうそ、丘や森の動物、空の鳥たち、生命を与えられたすべての動物たち、大きいものも小さなものも、保護され守られなくてはならない。
如何なる者も、己戌(1896年)に公布された、狩猟5原則と環境保全の法律に従わなければならない。

 チベット人は、常に自然と共に生き、自然から学び、理解しようとしてきた。チベット人は常に、この世界の相互依存性を理解してきた。チベットの多様な動植物、原始林、そして何よりもチベットを源にする多くの大河が、チベットの何倍も大きな地域の安全と生命の源であることを知っていた。自然との共生には、2、3世紀にチベットにもたらされた仏教も重要な役割を果たした。そのため、効果的に自然界の均衡を持続させる原則が、チベット人の日常生活に組み込まれている。
 1642年、ダライ・ラマ5世がチベットの精神的かつ政治的な指導者となった。この日から、毎年10月に、ダライ・ラマの名のもとに「動物と環境保護の法令」が発布された。ダライ・ラマ13世の発布した法令には、次のようにうたわれている。

元旦から、7月30日まで、如何なる者も虎、豹、熊、ハイエナ、鼠、rishu を除いては、様々な空の鳥、丘や森の動物、水に棲む魚やカワウソを、殺すことはもとより傷つけてもいけない。
要するに、貴賎を問わず、誰も、陸の、水の、空の、大小に関わりなく如何なる動物にも、危害を加え傷つけてはならない。

 こうしたやり方がうまく機能している証拠を、チベットを訪問した多くの西洋の旅行者の記録に見いだすことができる。例えば、英国の探検家キングダム・ワルドは、第1次世界大戦の前に次のように記している。

私はこれまで、一つの場所で、これほど多くの種類の鳥たちを見たことがない。まるで大きな動物園のようだ。

ターキン 1940年代には、レナード・クラークは、次のように報告している。

2、3分せぬうちに、次々と我々は、熊、狩猟狼、じゃこう鹿、キャン(野生ロバ)、ガゼル、大角羊、狐を認めたものだ。ここは損なわれていない最後の大きな狩猟の楽園であるに違いない。

 1940年代に、ラサにすごしたヒュー・リチャードソンは記している。

憎しみ、羨み、悪意、無慈悲...といったものの形跡を、これほどまでに見られない所はなかった。人々の大多数は、自然に対抗するのではなく、できる限り自然と共に生きようと努力していた(Richardson 1984)

 チベット人の生き方は、いかなる有情の殺生をも制限している。子供たちは生まれたときから、すべての生命は貴いと教えられる。古典となった「チベットの7年」の中で、ハインリッヒ・ハラーは、今日まで首都ラサを洪水から守ってきた、堤防作りに働くチベット人たちにいらいらを募らせている。

何度も作業が中断した。誰かが、鍬に1匹の虫を見つけるたびに悲鳴をあげるのだ。そのたびに仕事を中断し、虫を安全な場所に逃がすのだ。(Harrer 1984)

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チベットの鉱山開発しかし、こうして心やさしいチベット人たちにより千年以上も守り続けられてきた自然環境も、全く正反対の性格をもつ中国人により、今では取り返しがつかないほどにチベットの自然は破壊された。

中国は、特に西部大開発計画以降、チベットの鉱山開発を至る所で大々的に行っている。
でこでも、地域住民の利害は全く顧みられない。

公害等に堪りかねた住民が抗議を行うと、当局は武装警官隊を送りつけ、暴力的に解散させる。発砲されることもよくある。
これまでに多くのチベット人が武装警官隊の水平発砲により死傷している。
逮捕者も多数でている。

以下はシガツェ地区で今年の5月終わりに起こった、そのような衝突の一つだ。

6月21日付 RFA 英語版
http://www.rfa.org/english/news/tibet/mining-protesters-held-06212010121717.html

<抗議の後逮捕:現地住民の証言が、中国の公安職員のブログで確認される>

以下、抄訳:
カトマンドゥ:現地からの報告によれば、チベット自治区の僻地で、鉱山開発に抗議した住民と保安部隊が衝突し、30人のチベット人が逮捕された。

事件は、5月21日、自治区シガツェ地区のナムリン(南木林)県ウユック・ソチェン(シガツェの北北東約100km)で起った。
この地区では今年4月より名称不明のある会社が鉱山開発を始めた。

この地区の鉱山開発は5.6年前から始められているが、この新しい採掘現場は伝統的にチベット人が牧草地として利用してきた土地であり、また、採掘により普段の飲み水に影響が及んでいるという。

「地元のチベット人たちは何度も鉱山開発を中止するよう当局に要請し、抗議したが、当局は話合いに応ずるどころか、彼らを黙らすために武装警官隊を送り込んだのだ」と住民は伝える。

チベットの武装警官隊現場に10台の武装警官隊を満載したトラックが到着した。
「チベット人たちは追い詰められ、トラックに石を投げた。それに対し、武装警官隊は空に向け銃を撃ち、何人かを逮捕した。大勢がひどく殴られた」

「山に逃げて隠れている者もいる。30人が逮捕され、今シガツェの拘置所にいる。その内の2人はどこかに移され行方が分からなくなった」と目撃者はRFAとの電話で話していた。

次の日の22日には、一軒一軒警官が警告のためにチベット人の家を回った。
現在も現地には武装警官隊が大勢駐屯し、道路は閉鎖されているという。

この事件について、シガツェ公安の役人Wu Chengjianが当日、sina.comの自身のブログ上で報告している。以下そのブログの一部。

「事件は今に始まったことじゃない。人生は退屈になりだした、、、朝、我々が仕事場に着くなり緊急通知があり、建物の前に集まれという。政府の鉱山開発に抗議する村人たちが、村の政府土地委員会の建物を包囲しているという。公安と武装警官が彼らを鎮圧するために集められたというわけだ」

チベットの鉱山開発「おっかない衝突の間、村人たちは自分たちに石を投げ続けた。つばを吐きかけた。沢山けが人が出た」

「全てが終わった時、騒動を扇動した50人の村人が逮捕された。自分たちは疲れていたが、それでも、それから20時間に渡り尋問を続けた。この地区でこのような大きな衝突が起こったのは初めてではない。毎年起こっている。毎年、我々は交渉を行なっている。政府が弱腰になることはできない。こちらは抑えぎみだったが、最後はリアルな戦いとなった」

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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