チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年6月12日
獄中のテンジン・デレック・リンポチェに姉妹が面会
6月11日付 RFA英語版
http://www.rfa.org/english/news/tibet/monk-visit-06112010105841.html
ホンコン:チベットの高僧テンジン・デレック・リンポチェは、世界中からの解放要求の声にも関わらず、中国の監獄に囚われたままである。
今年4月末、リンポチェの2人の姉妹が逮捕後初めて、四川省の某刑務所にて彼との面会を許された。
四川省にある彼の出身地では度々彼を擁護するためのデモが起こっている。
カム、リタンからの情報によれば「2人の姉妹は2010年4月27日、テンジン・デレック・リンポチェと面会した」
「姉妹は長年リンポチェとの面会を懇願し続けていた」
「2人の姉妹は許可が下りたという連絡を面会日の2日前に受け、急いで面会場所に向かわされた」
その面会は「四川省の州都成都から200マイル(320キロメートル)ほど離れた特定できない場所」で行なわれたという。
別の情報元からもこの面会に関わる情報が寄せられた。
第二の情報によれば「2010年4月25日、テンジン・デレック・リンポチェの姉妹であるソナム・デキとドルカの家に突然リタン県の県知事と司法長官(または副知事と検事長 the deputy governor and the head prosecutor in Lithang county)が現れ、彼女たちにリンポチェとの面会が許可されたことを伝えた」
(後記、注:リタン県の人口は5万人。日本の「郡」を思うとちょうどかも)
この2人の情報提供者は共に、姉妹が刑務所当局から「リンポチェは健康を損なっている」と通知されたという。
「面会当日の4月27日、姉妹は刑務所の所長と医者から、リンポチェが骨と心臓と血圧に関わる疾患を負っているという話を聞いた」とまた別のチベット人は書面で報告している。
彼はさらに「複数の刑務所監視役人によれば、リンポチェは最近、病気で倒れた(a fall 衰弱した?)」という。
<死刑から終身刑へ>
当初テンジン・デレック・リンポチェには死刑が言い渡された。しかし、2005年1月26日、四川人民法院はこれを終身刑へと減刑した。
リンポチェは、成都で起った爆発事件に関係したとして逮捕されたが、終始無罪を主張している。
リンポチェは遊牧民を中心としたリタンのチベット人からの篤い信仰を集めており、解放のために彼らは積極的な抗議活動を行なった。このことが、今回の姉妹の面会に繋がったと思われている。
チベット側の情報によれば、姉妹は一人の兄(または弟)に対し、自分たちが北京の中央政府にもリンポチェの無罪を訴えたと語ったという。
兄は姉妹にその訴えを続けるように勧めた。彼自身もすでに26の省庁に無実を訴える手紙を送ったという。
複数の情報源が、リンポチェの衰弱した現状に対し、歪められた情報が流されていると報告している。
例えば、「面会した姉妹がリンポチェはそこそこ健康であるように見えた、と発言した」と言った類のものだ。
あるリタン出身者(デブン僧院、亡命者)は「2009年、リタンとナチュカで行なわれた、地元チベット人たちによる大規模なリンポチェ解放要求デモの際、当局が約束したことに基づいて、今回、姉妹の面会が実現されたのであろう」とコメントした。
中略
NYの人権ウォッチHuman Rights Watchは、国際基準に則った再審が行なわれるまで、テンジン・デレック・リンポチェを即時解放するよう要求している。
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このテンジン・デレック・リンポチェの健康悪化のニュースを知って、ITSNでは緊急アクションとして、今まで行なわれてきた拇印署名活動を強化するとともに、今月16日、中国大使館のある国のNGOに対し、中国大使館に直接ファックス等によって集められた署名を提出するという行動呼びかけを行なっている。
日本ではSFT―JさんがITSN-Jと共に16日にこれを実行される予定のようだ。
そこで、まだ拇印書名をおこなっておられない方は以下にアクセスし、書名をお願いする。
現在約35000人が署名している。
http://www.freetibetanheroes.org/home.php/profiles/tenzin-delek-rinpoche/petition.
次に
http://freetibet.holy.jp/wp-content/uploads/TDR_ThumbPetition_JPNE.pdfから日本語の署名用紙をプリントアウトし、署名後、ITSN-Jにファックス等でコピーをお送りください。
ITSN-JさんのFax No. 03-3981-8313
参照:http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/2010-05.html?p=2#20100519
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)