チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年6月7日
2010年 ミス・チベット最終選考会
昨夜、ダラムサラのドラマスクール校庭で行われたミス・チベット最終選考会。
写真中央に写っているのが、イベント屋のロプサン・ワンギェル。
今年の応募者は4人。
さて、この中で誰が今年のミス・チベットに選ばれたのでしょうか?
私的には意外な結果でした。
ロプサンは最初の演説で、このミス・チベットの政治的役割について言及し、さらにこのイベントのあがりからケグド地震被害者たちへ寄付が送られると威張って宣伝してた。
それから、突然、ケグドの犠牲者へ捧げる、オマニペメフンをみんなで数珠一回り唱えようと提案、彼は舞台上で、白い数珠を取り出し、唱え始めた。
彼が数珠など持ってるとこ見たのはこれが始めてだった、、、
みんな、あまりに突然で、場違いなこの提案に、続くものもなく、彼だけ一人で壇上で唱えてた。
屋外会場は一杯。
おそらく2000人近くの観客がいた。
インド人も多かった。
結局なんだかんだ言いながら、一般のイベントとしてはこのミス・チベットがダラムサラでは一番人気のイベントのようだ。
プレスも50人はいた。
このヤンチェン・ペマを我々は応援していた。この子だけはサンジョルと呼ばれる最近本土から亡命してきた子だ。
出身はアムドのアバ(ガバ)。2008年に亡命している。
最初スジャスクールに行ったが、最近はダラムサラにいる。
ダラムサラのルンタ・レストランのすぐ下の方にあるルンタで嘗て働いていた男が始めた英語教室に通っている。
ルンタ・レストランで今ボランティアをしてくれてるミス・ルンタのアヤちゃんの友人でもある。
と言った、親近感により、ルンタの周りのサンジョルたちはみんな彼女を応援していた。
第一、普通だれが見ても消去法的にも彼女しかいないじゃん、との前評が一般だった。
舞台に一人一人上がって、踊ったりするときにも彼女への拍手・声援が一番多かった。
ところが、優勝したのは23歳のテンジン・ノルゾンというベナレスのサンスクリット大学を卒業した子だった。
生まれは南インドのセトルメント。
彼女は優勝した後のインタビューの中で「4人の内の誰かかが優勝して喜ぶのだから、それが私でなくても同じように嬉しいだろうと思っていた」
「一番大事なことは、このタイトルを使ってチベット問題を多くの人たちに知らせることだ」
「今からまだ、大学で勉強を続けるつもりだ」と話していた。
ううう、どうもアムドのヤンチェンには教育と言葉のハンディーがあったのじゃないかな、、、
アムドから来たばかりで英語はまだ頼りない。
チベット語のほうも訛りが強いので普通のチベット人には解りずらい。
昨日のイベントでも、一人づつ聴衆の質問に答えるという審査場面があったが、彼女は通訳付きで答え、それも答えが短かすぎた。
チベットでは一般に美人を「ゼマ」と呼ぶが、もうひとつ「ザンマ」という呼び方がある。
これはもちろん美人であるが、美人であるだけでなく、智慧を備え、品行方正、仏教をよく理解し、慈悲深い、、、など8つの特徴を備えている女性のことを指す言い方とか。
実はこのミス・チベットが始まるときに、この「ゼマVSザンマ」論争が湧きおこったという。
このミス・チベット・コンテストのチベット語は「プォーキ・ザンメー・デンドゥル」となっている。
結局「ザンマ」を使うことになったのだ。
よって、歌や踊りができるだけでなく、ちょっと知的な能力を試される試験もあるのだ。
それにしても、なんでチベット人が英語ができないからと言って落ちたりするのか?
とみんなが愚痴をいってた。
今回は珍しくキングフィッシャーというインドの大企業がスポンサーについたから、運営はほとんどキングフィッシャーがやっていた。
今回の審査員にはインド人が多くいて、インド人にはチベット語が判らないので彼女は落ちたに違いない、、、なんて、かってな噂が飛び交ってる。
サンジョルは彼女だけだった、他はみなインド生まれでインドの大学を出ているか在学中だった。
彼女はアムドで中学二年生まで行っただけだ。チベット語より中国語の方が得意という。
サンジョルに勝って貰いたかった!
スポンサーが用意したインドの可愛い女の子たちの踊り。
今年のミス・チベット
テンジン・ノルゾン 23歳
ちなみに賞金10万ルピー(24万円)
追記:ロプサンがスピーチの中で話してたことを思い出した。
「そうだ、この機会に一つ言っとかないといけないことがある。
ここに集まってる大方は町の若いチベット人たちだ。
俺はみんなも承知のように品行方正な男じゃない。だから俺が言うことじゃないかもしれない。
しかし、みんな悪いことをしちゃいけない。最近町で泥棒が増えてると言う。喧嘩もある。
世界中の人たちは法王のお陰で、チベット人はいい人だ、やさしい善人ばかりだと思ってる。
よく考えて、チベット人として恥ずかしいことはしないように気を気を付けるべきだ」
準ミスの ヤンチェン・メト 19歳
賞金5万ルピー
以下 ヤンチェン・メトの写真ばかり。
チベット王女の気品ありだね。
と最後まで、ひいき目、大袈裟。
追加:おまけの一枚。
ショウが始まって、会場にロックミュージックが炸裂すると、そのあまりの音量に青くなって耳を覆う岩佐監督。
監督は今回の選考は正しかったといい、私と争った。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)