チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年6月4日
ケグドの被災者たちが、土地取り上げに反対し抗議デモ
左の絵はウーセルさんのブログに掲載されていた。
北京画家刘毅,绘画《一九八九》
12枚の内の一枚。全部見たい人は以下へ。
http://woeser.middle-way.net/
法王は先のアメリカ訪問中に中国人を前に、この天安門事件に言及し、「1989年、天安門では何千人もの人たちが殺された。残された家族がいる今も大勢いる。小さな事件の訳がない。こんな大事件について中国政府はあたかも何にも無かったかのように反省もなく、事を隠し続けている。中国人はこのこと政府に追及すべきだ」というような感じのことを話された。
政府の態度には今年も全く変わっていない。
中国外務省の姜瑜報道官は3日の記者会見で「天安門事件については、すでに明確な結論に達している。その後の発展を見れば、中国が歩んできた道のりが国民の利益になったことは明らかだ」と述べ、中国政府としては、事件が一部の学生らによる暴乱だったとする、これまでの評価を見直す考えがないことを強調したそうだ。
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<ケグド・被災者たちが政府の強制土地取り上げに反対し抗議デモを行なう>
6月3日付RFA英語版(ホンコン):
http://www.rfa.org/english/news/tibet/land-06032010112635.html
地震に襲われた被災者たちは政府の計画により強制的に土地を取り上げられることに、怒り、計画を拒否した。
現地からの報告によれば、政府は被災地を再建し、学校や事務所を建設するために、勝手に好きな敷地を選択し、全く住民の意思を無視して、計画を推し進めようとしているという。
立ち退きを命令された住民の中には、自分たちの家が地震にも耐え、ちゃんとそのまま使われている家もあるという。
あるケグドの住民は「地区政府は強制的に住民を家から追い出している。役人たちは“事務所や学校、公園などを造るために一帯を整地しないといけないから”という。我々の家や畑を奪うつもりなのだ」と話す。
彼はさらに「このことは被災者たちを狼狽させた。彼らは、何世代にも渡り土地は自分たちのものだった、と反論した。そして、この数日間、100人を超えるチベット人が地方政府事務所に押し掛けているが、政府側は今のところ全く相手にしていない」という。
他の住民は、友人が「4~500人」のチベット人が抗議に参加しているのを見たと報告している。
また、俗人か僧侶かは確かでないが、警察に連れて行かれた者もいる、という。
しかし「住民たちはこのことについては警戒し、外部の人には中々話しをしないであろう」とも言う。
土地を没収されるチベット人たちには代わりに一家に付き80平方メートルの住宅を用意すると政府は発表した。
しかし、チベット人たちはその補償を受けるつもりはないという。
「我々チベット人は常に大家族で暮らしてきた。だから80平方メートルじゃ狭過ぎるのだ」とある住民はいう。
RFAが現地の警察幹部に電話を入れると、事件のあったことは認めたが、「あんたに伝える明らかな情報は何もない」と答えた。
一方、あるケグド県の役人は電話インタビューに対し「1000人以上のチベット人が数日、庁舎の前に集結し、土地問題の解決を要求している」と答えた。
匿名希望のある女性によれば、政府の役人は抗議する人々との話合いを始めたという。
「(請願者たちは)何人かの役人との話合いを要求し、実際話しをすることができた。でも習近平にではなかった。問題はまだ解決されていない。彼らは政府により取り上げられた家や土地を返してくれといっている。
彼らは毎日請願している。でも今日はちょっと少ないみたいだ」と彼女は伝える。
役人はこの件での逮捕者はいないという。
6月2日に習近平が現地を視察に訪れたが、この時彼に近づこうとした抗議者たちは警官隊により阻止された、と他の住民が報告する。
アメリカ在住のケグド出身者によれば、「現地に残っている自分の家族が訴えるには、地方政府は新庁舎、学校、公園の建設予定地に町で一番の土地を選択した」
「公務員であるチベット人たちは政府の命令に従おうとしている。でも、他の者たちは決定を覆そうとしている。
役人たちに“自分たちはこの土地に10年や20年そこら住んでただけじゃない”と訴え、自分たちの土地を離れる気はない、と主張している」
「文化大革命の間に、多くのチベット人が愛する者たちを失ったが、それでも先祖から受け継いだ土地を死守した」
同じく家族が現地にいるNY在住のチベット人は「中国政府は、ケグドから遠く離れた場所に、これら強制移住させられる人々のアパートを建設中だ。そこは現地のチベット人の生活スタイルには全くふさわしくない場所だ」
「現地のチベット人たちはその小さなアパート群の建設を阻止しようとしている。彼らはむしろ国際的慈善組織の援助を受けたがっている。それが不可能でも、政府の用意する小さなアパートではなく、自分たちで少しづつ自分たちの家を建てたいと思っているのだ」と現地の人々の願いを伝えた。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)