チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2010年5月28日

サカダワ・15日目のダラムサラ

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27.5.2010 Dharamsala Sakadawa写真はダラムサラ・ツクラカンの本尊であるサンゲ(シャカムニ・ブッダ)。亡命初期、60年代に造られたもの。

昨日はサカダワの中日、満月・15日目。
チベットではこの日にシャカムニ・ブッダが、生まれ(降誕)、悟り(成道)、亡くなった(涅槃)ことになっている。
これは上座部仏教系のタイ、ビルマ、スリランカその他の国々と同じだ。
これらの国々でも「古代インド暦でヴァイシャーカ月の満月の日」にウィッサカ・ブッシャー(仏誕節 )というお祭りを盛大に祝う。

チベットを含めインド起源の言い伝えを守る国は、この日に三つの目出度いことが起きたと信じる。
一方仏教が一応伝わった中国ではいつのころからか、違う話が作られた。
それを受けて、日本や韓国では釈迦様の誕生日は4月8日とされ「花まつり」として祝うしきたりが生まれたようだ。
ちなみに日本では成道会は12月8日、涅槃会は2月15日。

27.5.2010 Dharamsala Sakadawaダラムサラのサカダワは朝4時に始まる。
ツクラカンに僧侶、尼僧、俗人が集まり「テクチェン・ソジョン」が行われる。
「ソジョン」とは受戒したチベットの僧侶・尼僧であれば毎月一度、満月の日に必ず行わねばならないとされている「懺悔し、戒を修復し、善について学ぶ」機会のことだ。
「ソ」は「(戒を)修復する」で「ジョン」は「(善を)学ぶ」。

僧侶たちには毎月ある、この素晴らしい機会だが、俗人にはこの機会は形式上は年に一度だけ、この日にしかないのだ。
(本来、仏教徒は日々の行いを毎夜反省し、その日に戒を改めるべきなのだが。
戒を修復するには、再び戒を取り直すと言う手もある。ダラムサラでは、このような機会を法王が年に何度も作ってくださっている)

「テクチェン」とは「大乗」の意味。大乗教徒の俗人は、人それぞれ5戒、10戒、菩薩戒などを守ることになっているが、昨日の朝「テクチェン・ソジョン」を受けた人はその上に「午後食事をしない(一日だけ)」が足される。

27.5.2010 Dharamsala Sakadawaツクラカンで「ソジョン」が終わったころから、法王の住居とツクラカンを巡る、コルラが始まる。

ダラムサラのコルラ道の中間点、法王の住居に一番近い場所は「ラゲリ」と呼ばれる。
ここには、チベットを守るとされる「パルデン・ラモ」と「ネチュン」両護法尊がまつられ、大きな香炉が2基、仏塔が4,5塔ある。
大きなマニ車が二か所にあり、その間には小さなマニ車が続く。
法王の住居にかけて、無数のタルチョがかけられている。

ここはちょっとした広場になっていて、毎朝ここにお経好きのチベット人たちが集まり一緒に一連のお経を上げる。

この日は、議会副議長を始めとする亡命政府の役人や政府外団体の代表などもここに集まり、長いお経を上げていた。

27.5.2010 Dharamsala Sakadawaその後、いよいよ、「ソソ・タン」とか「ラギェ・タン」と呼ばれるツァンパ投げ上げ大会が行われる。
これはおそらく仏教以前のボン教時代から行われていたと思われる儀式で、神々にツァンパで象徴される供養物をさし上げるというものだ。

右手に手のひらいっぱいのツァンパを載せて、全員で声を合せて次のように叫ぶ、

「ソ~~~ ソ~~~~ ソ~~ケケ ソソ ラギャ(ェ)ロ~~~!!!!」

この最後の「ラギャロ~~~」はチベット独特の雄叫びであり、この雄叫びと同時にツァンパを勢いよく宙に放り上げる。

もちろん、その後降って来たツァンパで全身白くなる。
そうなった者同士でその様をみて笑いこけるというわけだ。

敢えてこの掛け声を訳せば「さし上げよう、さし上げよう、さし上げよう、神々よ、うけたまえ、神々よ栄えあれ(神々の勝利を)」のようなものか?

27.5.2010 Dharamsala Sakadawaこの日、コルラの沿道にはびっしりインドの乞食が張り付く。

写真は前の日の夕方、コルラのそばで夕食の準備をする自称乞食たち。
家族総出で遠くからこの日のために駆け付けたのだ。
夕食後、そのままそこで寝る。

遠くからわざわざここまで来る甲斐が十分あるのだ。

チベット人たちはこの日に正しい動機のもとに為した善業は何十万倍にもなると信じているので、普段乞食に金を上げない人もこの日には大判振る舞いをする。

27.5.2010 Dharamsala Sakadawa相手を選んで金をやる、と言う人もいるであろうが、普通この日にはすべての乞食に平等に配るという人が断然多い。
だから、数がものをいうので乞食は家族総出で押し掛ける。
一人1ルピー(2.4円)づつ配る人が多いが、中には一人5ルピーとか10ルピー配る人もいる。僧院等がこれをやる。

ラモ・ツォも朝パンを売った後、チュバに着替えてコルラを始めた。
一人1ルピーづつ配っていた。
最後に「何人に配った?」と聞くと、「1500人ぐらいだ」とのこと。

一人10ルピーづつ配った人は15000ルピーの出費だ!
これが、数十万倍されるとすれば、、、、??

27.5.2010 Dharamsala Sakadawa中には、子供が多いということで、アメを配ってる女性もいた。

この人は、子供にやった金は親に横取りされるであろうと思い、直接子供を少しでも喜ばせたかったのであろう。

27.5.2010 Dharamsala Sakadawa

27.5.2010 Dharamsala Sakadawa一人1ルピーづつ配るには両替しないといけない。
両替は乞食の許で簡単にできる。

27.5.2010 Dharamsala Sakadawaこの日にはコルラを五体投地しながら回る人も見かけられる。
人によりその回数はまちまちのようだが、夜中から初めて10回以上回る人もいると言う。

一人の若い尼僧がこれを行っていた。

27.5.2010 Dharamsala Sakadawa

27.5.2010 Dharamsala Sakadawa

27.5.2010 Dharamsala Sakadawa写真に写ってるタルチョ(の一種)は2008年の夏「東中野のポレポレ座」で一カ月半に渡り続けられた「チベットを知る夏イベント」(ルンタ・プロジェクト主催)の開催中に、有志たちにより作成された「フリー・チベット・タルチョ」の一部だ。

何十枚となく描かれた、これらの「フリー・チベット・タルチョ」は今、TCV等の学校やルンタ・レストランに飾られている。

27.5.2010 Dharamsala Sakadawaこの一枚のタルチョは、イベントの実行委員でもあり、最初から終りまで一生懸命に働いて下さった、イラストレーター・絵本作家沢田としき君が描いて下さったものだ。

彼の描いたこのタルチョにはその時の会場の様子が描かれている。
壁には沢山の「チベットの子供たちが描いた絵」が貼り出されている。
これを見るとあの時のことがありありと思い出される。
そして、沢田としき君という、今はもういない、とてもとても優しかった男を思い出す。

27.5.2010 Dharamsala Sakadawa彼は若くして、白血病と戦う長く苦しい闘病生活の末、4月27日帰らぬ人となった。

こんなにいい人が何でこんな目に会わねばならないのか、、、と誰でも思わずにはいられないほど心の清い人だった。

彼はこれまでアフリカの子供たちを助ける活動を中心に行っていた。
でも、2008年からはチベットの子供たちにもやさしい目を向けてくれていた。

このブログをご覧の方は、是非、以下のサイトにアクセスし、としき君の作品や文章を読んで彼のあたたかい世界を味わって見てください。

http://blog.livedoor.jp/pintor_toshiki/

27.5.2010 Dharamsala Sakadawaラモ・ツォもラゲリで五体投地を行った。
パン作りで肩が鍛えられているのか、やたら動きが素早かった。

27.5.2010 Dharamsala Sakadawa最後におまけ?
(チベット・インド美人コンテスト?)

この日、ツクラカンからマクロードの街に帰ると、路上に人が群がっていた。
何だかな?と思い中を覗くと、そこではインド映画の撮影が行われていた。
と言っても、その時は、ただ何度も女優と思えるインド女性が道を行ったり来たりするだけだった。

写真に写ってるのは映画のヒロインらしいインドの女優さん。
私はボリウッド映画に詳しくないので彼女の名前はわかりません。
誰か詳しい人がいれば教えてください。

ダライ・ラマ法王はアメリカ訪問を終えられ、インドのデリーに一昨日到着された。
昨日はビハール州・州知事の招待を受けデリーからパトナに飛ばれた。
そこで大きな仏塔のある「ブッダ公園」の開園式に臨まれた。

その後、ダラムサラまで飛ばれ、午後4時ごろダラムサラにお帰りになった。

アメリカ帰りの時差ぼけの上に、50度近い猛暑のパトナで式典に参加されるとは、ちょっと普通の人には真似できないでしょう。
法王の随行員もほんとたいへんよね。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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