チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年5月24日
中国人との対話/ケグド地震被災者たちが抗議デモ
5月24日付 NY Daily
lcroghan@nydailynews.com
(phayul 転載分)
http://phayul.com/news/article.aspx?id=27362&article=Dalai+Lama+trashes+China+for+censorship%2c+propaganda
日曜日(5月23日)、Hunter Collegeにおけるスピーチの中で、ダライ・ラマは中国政府の検閲とプロパガンダを酷評した。
「言論の公開性と自由が不可欠だ」と、2千万人チベット仏教徒の精神的指導者ダライ・ラマは、230名の中国人とチベット人学生を集めた集会の席上、語った。
「恐怖の下で、警察の監視下で、如何にして調和が育つと言うのか? 銃口による調和、、?、、不可能だ!」
この世界的に著名な僧侶は、中国支配に対するチベット人の蜂起が失敗した1959年以来、インドで亡命生活を送っている。
彼は、超大国中国から完全に離れるのではなく、中国の枠内で「自治」を実現できると信じているという。しかし、明らかに、この考えは天高原での賛同者を得られていないように思われる。
「何人かの中国の役人は、私を悪魔と描写する、、、角が生えてる~~~(ヒヒヒ、、、)」と言いながら、坊主頭の上に左右から二本の指をさし上げる。
あるチベット人が彼に「私は亡命政府があるダラムサラに行くのが怖いのです。ダラムサラには中国のスパイが一杯いると聞いているので、、、」と言った。
「あらゆるスパイが歓迎されている」と彼、「我々に隠すことなど何もない」
「中国政府のプロパガンダのお陰で、多くの中国人の間には<チベット人は野蛮で愚かである>というイメージが創り上げられている」と、このマロン・ゴールド色の僧衣を纏ったノーベル平和賞受賞者は語る。
「中国政府は1980年代に一度、私に祖国チベットに帰るようにと言ってきた。しかし、それはお断りした」
「問題は市民の権利だ。彼らがそれを認めない限り、私の帰還のみに、何の意味もない」と75歳のダライ・ラマは言う。
中国人とチベット人の聴衆は何れも感銘を得ていた。
「彼が入場するのを見て、私は突然畏敬の念に打たれた」と、この学校の学生であるアニー・スー(22)は話す。「感傷的に聞こえるかも知れないが、、、涙が出て来た。彼は尊敬に値する人だ」
アメリカ在住の中国人とチベット人の間の相互理解を促進するために開かれたこの「橋渡し会議」を開催するために尽力した、テンジン・ゲレック(28)は以下のように語る。
「西洋の教育とは、詰まる所<客観性>だ。お互いの立場を理解し合うには、この人種の坩堝アメリカという土地で話し合うのが一番だ」
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この集会の参加者の内訳は中国人50%、チベット人40%、その他10%だったという。
法王の発案で始まった、この「橋渡し会議」は今回で二度目だ。
法王はツイッター上で中国人ネチズンたちの質問に答えたり、この集会で中国人たちと交わるなど、NYでは積極的に一般中国人に語りかけられた。
これに、見習って、我がブログ上でも同様な実のある対話を実現したい、、、、と思う(半ば夢見る)。
よって、このブログをご覧になってる、在日中国人とチベット人の方々、コメント欄を利用して建設的な意見をどしどし寄せてほしい。知り合い、お友達に中国人やチベット人がいる人は、是非このブログに意見を載せるよう勧めて見て下さい。
代筆でもいい。何人かのチベット人がアクセスしてくれてることは知ってるが、意見はまだ来ない。
(あくまで、まともな、良識に則った、コメントという話だけどね。
ブラックジョークばかりじゃ人も飽きるし、、?)
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<ケグド地震の被災者200人が援助を求めて抗議デモ>
香港のSouth China Morning Post(南華早報)によれば、
昨日5月23日、廃墟ケグドにある中国政府の事務所の前に200人ほどのチベット人が集まり、「食いもの寄こせ! 義援金はどうなった」と声を上げた。
彼らのほとんどは、カンゼなどケグド以外の土地からこの地に移住していた被災者だった。
彼らは「地震発生後一カ月たったが、政府は一切我々にテントも食糧も義援金も渡さない」と訴えた。
昼の12時ごろから14時ごろまで声を上げた後、中国の役人と話し合いが始まったという。
当局は「考慮する」と回答した。
そこで、デモは平和裡に解散した。
もっとも、彼らは「もしも約束が守られなければ、再びデモを行なう」と言ってるそうだ。
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すでに先のブログでお伝えしたが、同じ今回の地震の被災者であっても、これまで一切中国政府の援助を得られていない人たちは沢山いる。
基本的にはケグドの配給票(住民票)を持っているもの以外には援助は来ない。
被災者というか、人として認められていないということだ。
この「なにも貰えない」状況は、今回デモを行なったという、最近か或はずっと昔かに他の土地からケグドに移住してきていた人たちだけではない、多くの老人には最初からこの配給票は渡されていないという。
同様に、援助が受けられるのは、ケグドの住民だけであって、周辺の村々の人たちには今までも、これから先にも一切援助は来ないという。
これは例えば、阪神大震災が起きた後、政府が「援助の対象者は神戸市の住民票を持つものに限る」と決定したようなものだ。
周辺の市町村の被災者とか、旅行でたまたま神戸にいた者とかは言うに及ばず、住民登録をしていなかった者(チベットでは役所に行けば住民票がもらえるわけじゃない)なども被災者とは認定されないということなのだ。
政府は皆を煽り、半ば義務的に莫大な義援金を集めておきながらだ。
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ケグド当局も流石、今回はチベット人の抗議デモに対し、すぐに殴り掛かったり、逮捕したり、発砲したりはしなかったようだ。
目立ち過ぎる、大きなニュースになっちゃうとまずいと思ったようだ。
たまにはこのようにデモに対し普通に対応してみるといい。
その方がずっと問題は簡単に片付くことが学習されるであろう。
冷静になれば、チベット人はただ理不尽を正そうとする、理のある人々であることに気付くであろう。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)