チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年5月21日
ラモ・ツォに話を聞きに行った
前のエントリーをアップしてすぐ、マクロードに上がり、いつものように路上でパンを売るラモ・ツォの下へ話を聞きに行った。
彼女は最近夏痩せなのか、、、少しやつれたように見える。
以下、会話をほぼそのまま載せる。
「タシデレ! ラモ・ツォ・ラ デモ?(アムド語の元気?)」
「デモ、デモ、、キュ・カンデン?」
「デモ、デモ、、、で、昨日の夜、ラモ・ツォたちの書いたスイスからの手紙、読んだよ」
「アレー、ありがと、あれはスイスのジャミヤン・ツルティムが作ったんだよ」
「いつ頃ドゥンドゥップがラオガイ(強制労働キャンプ、労働改造収容所)の工場に移されたと知ったの?」
「数日前にスイスから電話があって、知った」
「最初、どう思った?」
「そりゃ、、、もっと心配になった。すごく心配してる。病気の身体で重労働させられたら、どうなると思う、、
そりゃ、世界の多くの人がドゥンドゥップは無実であることを知ってくれてる。でも中国は全く聞く耳を持たない。
ドンドゥップは元気だったんだ。病気になったのは、監獄で酷い目に遭わされたからだと思う。中国の監獄の中じゃ、死にそうにならない限り病院で治療を受けることはできない。ドゥンドゥップの身体が持つかなと思い心配してる」
「手紙には、ラオガイに移動させられたということは、彼の上告はもう却下されたと考えられる、と書いてあったが、これはラモ・ツォもそう思うのか?」
「私には分からない。そうかもしれないけど、私はドンドゥップが今も無実を訴え続けていると思う。本当に無実なのだから」
「アメリカのヒラリー・クリントンが来週中国に行くけど、彼女に“中国に行ったら必ずドンドゥップ・ワンチェンのような人権活動家を解放することに尽力してほしい”という願いを伝えようとしているのか?」
「ヒラリー、、、、なんて、、、?」
「ヒラリー・クリントンと言って、アメリカの国務大臣で今、世界一強い女さ。アメリカのえらいさんが中国に行く時には、昔から何人かの人権活動家を指名して、彼らの解放を中国に要求するという慣習があるんだよ。だから、これはあり得る話しなんだよ。もっとも実際には今アメリカと中国仲いい時期じゃないから、、、微妙だけど、、、でも、希望はあるよ。やってみる意味はあるよ」
「そうかね、、、私には良く解らないけど、、、そのヒラリー、、、クリトンとかに頑張ってもらいたいね」
「大丈夫、昨日からこの家族からの手紙を機に、世界中のサポーターが一気にヒラリーに圧力掛け始めたからね」
「ありがとう」
「ま、こんなこというとなんだが、、、強制労働所に送られたということは、ドゥンドゥップは倒れて、動けない状態になってるわけじゃないということだけは確かだよ。病院に担ぎ込まれたと聞くよりはましだろう。
確かに、酷い工場だろう、セメントの塵埃がひどそうだ、でも大丈夫、きっとドゥンドゥップは生き抜くよ。
チベット人みんなのためにやったのだし、ダライ・ラマ法王を信じてるし、、、ラモ・ツォはこうして毎日マントラ沢山唱えながら頑張ってるし、、、」
「そうだね、きっと」
と言って、笑ってた。
ラモ・ツォはこの秋10月からヨーロッパ、その後アメリカへ飛び、夫ドゥンドゥップ・ワンチェンの解放を訴えるスピーチ・ツアーを行なう。
追記:チベットのラオガイについて、
http://www.tibet.to/tnd/tnd40.htmlより
「囚人労働力と地元の経済市場の結び付きは、チベット自治区以外のチベット領域でも、地元経済にとって重要な意味を持っている。青海日報の記事が、青海省刑務所労働会議について報じているところによれば、青海省の刑務所全体で1998年には65万トンの穀物と植物油を採る作物を生産した。また「国内資金を注入し、外国との合弁事業を起こす方向で、(刑務所が)積極的な役割を果して行く」とも報じている。青海省刑務所管理局は、「囚人全員の協力と勤勉」のお陰で、1998年には「総額1千万元(1200万ドル、12億6千万円)の赤字を解消することができたと、2月24日付けの記事は報じている。現在青海省にはおよそ19カ所のラオカイ(労働改造収容所)が存在し、実質的な強制労働が行われている。その内の12カ所は、西寧市近郊にあると、ジェームズ・セイマールとリチャード・アンダーソンの共著『新幽霊と古幽霊:中国の刑務所と労働改造収容所(New Ghosts, Old Ghosts:Prisons and Labor Reform Camps in China)』は伝えている。この12カ所の労働改造収容所企業グループは、木材、鋼材、プラスチック製品、衣服、皮革製品、水力発電設備まで製作している」
翻訳小林様
資料
TIN News Update, 27 October 1999
New Prison Capacity in Lhasa : Photographs Indicate Increase in Proisoners
and New Factory Inside Drapchi
チベットのラオガイで、60年初頭をピークに数へ切れないほどのチベット人が死んだ。その数は10万~20万人と言われている。
1万人の収容所の中で生き残ったのがたったの数100人というところもあったという。その地獄そのものであった労働改造所の有様は、アマ・アデさんの証言本などの中に記述されている。
多くのものは餓死した。
ラオガイと聞けば、チベット人はすぐに語り継がれた昔の凄惨を極めていたころのイメージが浮かぶ。
大袈裟と言えばそれまでだが、チベット人にとって、そこは「生きては帰れぬ地獄のようなところ。或いは五体満足で出所することははできないところ」なのだ。。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)