チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年4月25日
ダライ・ラマ法王は地震で家族を失った子供たちを招き慰められた。
中国当局は24日、救助活動を終了すると発表した。
http://sankei.jp.msn.com/world/china/100424/chn1004242146007-n1.htm
地震から10日しかたっていない。
今も家族の誰かが、ガレキの下に埋もれていると分かってる人たちの気持ちを考えると早すぎはしないか?
昨日のRFAによれば、
http://www.rfa.org/tibetan/otherprograms/stringer/emergency-aid-did-not-reach-in-some-area-in-kyegudo-04232010121526.html
ジェクンド市内をすこし離れた村の住人は電話で、「まだ1張りのテントも届けられず、みんな寒さと強風に苦しめられている」と話し「村人が200人ほど亡くなったが中国の役人はだれも調べにも来ない」と続けた。
また、「被災地に支援物資を運ぼうとしても幹線道路を行けば、途中の検問で当局に取り上げられるというので、
親戚などを助けに行こうとする人たちは、わざわざ山を徒歩で越えて行くというものが増えている」という報告もあった。
「これまでこの街では、ダライ・ラマ法王の写真を飾っていても逮捕されるということはなかったが、この地震の後、当局は法王の写真を持つことを厳しく取り締まるようになった」という。
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ところで、亡命チベット人の中にはジェクンド出身者が意外と多い。
全体の数は分からないが、このダラムサラだけでも学生を除いても数百人はいるらしい。
例えば、ダラムサラから2時間ほど離れたビールという所にある、TCVスジャ・スクールだけでも生徒の内66人がジェクンド出身者という。
彼らの家族・親戚で亡くなった者の数はこれまで判っているだけでも196人に上るという。
RFAで彼らの内3人が話していた。
彼らは14日の朝、学校が始まって最初の授業が終わったころ、ジェクンドで大きな地震があったらしいということを知った。
みんな家族がジェクンドや周辺にいる者たちは、一斉に現地に電話をかけ始めた。
回線は繋がりにくく、繋がってもすぐに切れる。それでも、みんな何度も掛け続ける。
次々にみんな親や兄弟が亡くなったという知らせを受ける。
中には家族全員を失ったと知り、茫然とするもの、泣き崩れるものもいたという。
ほとんどの者が現地の者から最初に聞かされた言葉は「すべて終わったよ、、、(ツァンマ・ツァーソン)」という言葉だったという。
こうして、集計された数が、この学校だけで196人だ。
法王は19日、家族を今回の地震で失った学校の生徒たちをパレスに招いた。
写真はその時のもの(dalailama.comより)。
法王は、家族が亡くなっても、病院に収容されていても、帰ることもできない子どもたちを前に、再びカルマの話をされ、「これで今までの悪業の果が尽きたと思いなさい。
人の世の苦しみについて考え、黒い力を慈悲の心で白い力に変えなさい。勉強に集中しなさい」と話された。
ギャワ・カルマパもスジャ・スクールを訪れ生徒たちを慰められた。
法王様にお会いすることができたという話を、電話で子どもたちはすぐに現地に伝えたという。
それを聞いて現地の生き残った親戚は「なんてお前は幸運な子であることか。インドに逃げてて地震にも遭わずに済んだ。法王にもお会いできたんだから、それはすごい幸運だ。法王が自分たちのために祈っていて下さるということは聞いている。本当に有難いことだ。うれしいことだ。ここのみんなも法王にいらして頂きたいと思ってるけどね、、、」とある生徒に話したという。
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筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)