チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年4月25日
パンチェン・ラマ11世、21歳の誕生日/ニマ少年の今の顔は?
左の写真は、21歳になったパンチェン・ラマ11世、ゲンドゥン・チュキ・ニマ(少年)の今の顔を想像して描かれたもの。
今日、ダラムサラでは朝からツクラカンに人々が集まり、ニマ少年の21歳の誕生日を祝うと共に、彼の一日も早い解放を願う、という集会が行われた。
ニマ少年は1989年4月25日、ナクチュのラリという小さな村で遊牧民の子として生まれた。
1995年5月14日、彼はダライ・ラマ法王により公式にパンチェン・ラマ11世として認められた。
その3日後の5月17日、ニマ少年は両親ともども共産党により拉致された。
その後、現在まで彼らは行方不明のままだ。
詳しくは以下へ、
http://www.tibethouse.jp/panchen_lama/gc_nyima.html
生きているのか、もうとっくに殺されてしまったのか、、、
生きているなら、どうしてこれほど全く情報が入らないのか?
生きていても、完全に隔離されていると考えられる。
最近、チベット自治区の誰だったかの役人は、ニマ少年の消息を尋ねた外人記者に対し
「ニマくんはチベットのどこかの大学で勉強している。本人はほっといてほしいと言ってる」と答えたという。
ニマ少年を拉致したことは認めているわけだ。
その上で、このような「拉致して何が悪い」の開き直りで、しゃあしゃあと本人の意思を代弁しているとでも言わんばかりに、得意のでっち上げを披露する。
チベットの人たちはまずは彼の無事を知りたいのだ。
証拠を待っているのだ。
チベットではダライ・ラマとパンチェン・ラマは人々を日夜照らし出す、太陽と月に譬えられる。
沢山の歌の中で、この譬えが使われている。
人々の太陽を追い出し、月を拉致した中国共産党をどうやって好きになれと言うのか?
被災地に1000億円を投じても、感謝され、信頼されることはないであろう。
今日は集会とともにチベット女性協会の主催で「21歳のパンチェン・リンポチェを
想像して絵を描き、詩を綴る」というイベントが行われた。
ニマ少年の写真は、今までたった一枚あるだけだ。
それは彼が6歳の時の写真。拉致される前の顔写真だ。
それから、生死も知れず15年が立った。
もしも、今彼がみんなの前に現れたら、どんな顔になっているだろうか?
という企画だった。
20数人のチベットの若者たちが、一時間ほどの間にそれぞれ思い浮かべる、彼の今の顔を描いた。
すべての絵を見たい方は以下へ、撮影はわたしで掲載したのは女性協会。
http://picasaweb.google.com/106494767716125150093/PanchenLamaS21stBirthday#
もう一つのグループは21歳になられたパンチェン・ラマに贈る詩を書くという人たち。
尼僧が多かった。
考え込みながらも、みんな丁寧な字で綴っていた。
チベット人は詩を書くことが好きなのだ。
学校でも、僧院でもみんな詩を書く練習をさせられる。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)