チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2010年4月18日

ジェクンド大地震五日目 死者1706人 不明256人

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ae738d77.jpg新華社は死者1706人、不明256人と発表。
胡錦涛主席が片付け作業に入った現地を訪れた。

17日、ニューヨークタイムズには現地レポートとして

「地震後、チベット人は中国の救助に不信感を募らせる」

と題する記事が掲載された。

以下、その一部を訳す。
http://www.nytimes.com/2010/04/18/world/asia/18quake.html?pagewanted=1
http://www.nytimes.com/2010/04/18/world/asia/18quake.html?pagewanted=2

ジェクンド:
僧侶たちが倒壊した職業訓練学校の瓦礫の上で、つるはしと素手でコンクリートの床を動かそうと格闘していた。
突然、叫び声が上がった。
瓦礫の中から明らかに命の抜けた人の手が飛び出した。
しかし、僧侶たちがこの遺体を取りだそうとすると、それまで学校の校庭でのんびり休んでいた軍人の一団が一斉に行動を開始した。
彼らは帽子を被り、僧侶たちを押しのけた。
ビデオカメラを用意し、その前で急いで少女の遺体を取りだした。

僧侶たちは怒りを抑え、下の方に立って、死者のためのお経を口ずさんでいた。

「自分たちが働いている時、カメラなど見たことがない」と僧侶のガ・ツァイは言う。
彼はこの地震のことを知って、直ちに四川省の僧院から駆け付けた200人の内の一人だ。

「我々は命を救いたいだけだ。彼らはこの悲劇をプロパガンダのチャンスと思っている」

中略

政府メディアでは食糧やテントを支給されて感謝しているチベット人や、専門の捜査・救助班が高山病と戦いながら生存者を捜しているという話ばかり流されている。

中略

倒壊した建物から最初に人々を救い出すのはワイン色の僧衣を着た僧侶たちだ。
土曜日の日暮れ、中国の救助隊は作業を中止した。
それでも、僧侶たちは暗くなっても瓦礫の中で捜索を続けていた。

「彼らが全てだ」と57歳になるオズ・ツァイジャは車のトランクを開けた。
そこには妻の遺体があった。
若い僧侶たちがすぐに死者のための祈りを行なった。

土曜日の朝、僧侶たちは1400の遺体を僧院前の広場から街を見下ろす埃っぽい丘の上に運んだ。

そこには廃墟から運ばれた薪が敷かれた二本の長い堀がある。
僧侶たちは遺体を堀に並べ、葬儀の火を放った。

一日中燃え続ける火の丘の下には何百人もの遺族が訪れ、丘の麓で大きな声で読経を上げる僧侶たちのそばで、無言のまま座っていた。

警官や中国の役人の姿は全く見られなかった。

中略

第三小学校では僧侶たちは50人の生徒たちの遺体を壊れた教室の中から掘り出した。
その後、役人や警官が来て、「何人死んだのか?」と聞いた。
警官はその数を半分にしようと言った。

「彼らは外の人たちが大きな被害を知ることを恐れているんだと思う」と23歳のゲン・ガジャバは語った。

中略

さらにもっと強い非難を聞いた。
地震の後、数日間、僧侶たちが救助活動を行なっているところを見つけては軍隊が来て、僧侶たちの活動を妨げたというのだ。

僧ツァイレンは最初の夜、崩れ落ちたホテルを前にいかに僧侶たちが軍人たちと言い争ったかについて話した。
「我々はどうして自分たちに仕事をさせないのかと聞いた。彼らはただ無視し続けた」

その後、彼を含めて100人ほどの僧侶が職業訓練校に向かった。
そこでは、崩れた寮の瓦礫の中からまだ助けを呼ぶ女の子たちの声が聞こえていた。

軍人たちは僧侶たちが瓦礫の山に近づくのを阻止した。
しばらくして、僧院長のガ・ツァイに役人が突っかかった。
「彼は私の僧衣をつかんで道まで引きずって行った」とガ・ツァイは話す。

夜になり、軍人たちが現場を去った後、僧侶たちは現場に向かった。その夜10数体を掘り出したという。

中略

土曜日にはシャベルカーとブルドーザーが職業訓練学校の瓦礫を掻きわけていた。
ここの生徒である16歳のゴンジン・バジは、それを見ながらそばに立ちすくんでいた。

「昨日、重機が不用意にクラスメートの身体を引き裂いた」と彼女は言う。
彼女はまだ、自分の姉が瓦礫の中から生きて掘り出されるのをじっと持っているのだった。

彼女は無表情に「もっと気を付けて作業してもらえないものか、と思う」
「たぶん、自分たちはただのチベット人だから気にしないのだろう」と言った。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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