チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2010年4月16日

ジェクンド大地震三日目

Pocket

ジェクンド大地震 14.4.2010現地にはようやく(高山病に苦しみながら)外国メディアが次々到着したようだ。

現地報告の中、日本以外を読むと、
例えばパユルに掲載されたロイターの中に次のような話が載っていた。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=27125&article=Tibetans+mourn+dead+as+China+quake+toll+hits+760

「ケグドの大きな僧院(おそらくジェグ・ゴンパ)がある丘の麓に僧侶が集まり、死体の山を前に真言を唱えていた。
僧侶の一群は、数百体はある死体の山の中を、身寄りを探しに来た人を助けて死体を動かしていた。

“あなたが目の前にしているのは家族がもういないか、まだ家族が捜しに来ていない遺体です。だから、これらの遺体を大事に扱うのは我々の仕事なのです”あずき色の僧衣を着たロプは話した。

“我々はすでに1000体か、それ以上の遺体をここに集めた。
遺体は自分たちで集めたのもある、ここに送られて来たのもある”

ある現地のチベット人は、“政府が発表している犠牲者数760人は信じられない。政府が数えていないだけで、他に多くの人が死んでいる”と語った。

“もうすでに多くの遺体が家族により引き取られていった”とロぺは言う。」

————————

ジェクンド大地震 14.4.2010 BBCのネット版には現地と連絡が取れたチベット人の話が沢山紹介されている。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/8621565.stm

例えば現在イギリス在住のジェクンド出身のドルマは携帯で現地の家族と話しをすることができた。

彼女はBBCに次のように語った。
「多くの親戚が亡くなった。ある伯父の家族は5人を亡くした。他の親戚が3人とか、4人とか失った。友達も亡くなった。みんな死んでしまった。本当に大惨事だ」

彼女自身の家族は全員無事だった。しかし、家は完全に倒壊してしまったという。

ジェクンド大地震 14.4.2010 兄弟の一人は地震が起こった時、庭にいたという。
「彼はすぐに3歳になる娘の姿が見えないことに気付いた。
そこで、まだ地面は揺れ動き、家は崩れ始めているというのに、彼は幼い子供を救うために家に飛び込んだ」とドルマは伝える。

「小さな3歳の娘は台所のストーブのそばに、何が起こったのかまるで分からず、立ちすくんでいた。
それを見つけた父親はすぐに子どもを抱えて部屋の隅にうずくまった。
その次の瞬間、家全体が崩れ落ちた。

その後、外から他の家族たちが“ああ!お父さんと娘が死んでしまった!”と泣き叫んでいる声を彼は聞いた。
彼は“俺たちはここにいる!ここにいる!”と何度も叫んだ。
その声を耳にして、家族はみんなで瓦礫を取り除き、二人を助けだすことができたという。
幸運にも、彼は最後には娘を救い出すことができたのだ」

残された者達も毛布や水、食糧が極端に不足していると訴える者が多い。
骨折したまま路上で呻いているものもたくさんいるという。

ジェクンド大地震 14.4.2010 C/L Arnord Kingその他、RFAなどに寄せられる現地からの情報によれば、救助隊は主に役人の家や政府庁舎から人を救いだしたり、物を運び出すことに、今のところ専念しており、一般のチベット人の壊れた家から人を救いだしたりすることは、ほとんど行なっていないという。

武装警官隊などは街の至る所にいるが、ほとんどはただ警戒のために立っているだけで人を救助することには手を出さない。
それどころか、瓦礫を取り除いて人を救いだろうとすると、止められた、という報告もある。

「軍隊も沢山到着しているが彼らは生存者を救い出すことには関心がなく、ただチベット人たちを集めることばかりやってる」

「ダムが決壊する危険があると言って軍は人々を山に追いやっている。軍人たちもチベット人を助けることより、自分の命を守ることばかり考えてる」という。

ジェクンド大地震 14.4.2010 危険な状況の中にあることを知りながら、一般人を救い出すために働いているのは主に僧侶たちだ。
ケグ僧院から700人、セルジュ僧院から同じく700人、セルタ僧院から500人が現場に駆け付け救助活動を行なっている。
その他の僧院、尼僧院からも大勢駆けつけている。

ただ、当局は現地にボランティアで救助に向かおうとしている外人やチベット人を検問で追い返しているという。
中に入れるのはごく限られた特別の許可証を持つものだけのようだ。
http://www.rfa.org/english/news/china/rescue-04152010161807.html

犠牲者数について、多くの現地のチベット人は政府が被害を少なく見せるために嘘を言っていると主張する。
学校の先生が亡くなった生徒の数が少ないと訴えるケースもある。

ダラムサラにあるチベット国民民主党のプレスリリースによれば、タグ・タンと呼ばれる場所に新たに1000体以上の遺体が積み上げられているのが報告されたという。

このリリースによれば、「中国は実際には多くの救助隊を現場に送っているわけではない。
それは、上流のキグ・ダムが決壊するおそれがあるからだ。多くの住民たちはこのダムが決壊するという話を知って、山の上に非難し始めている」という。

この住民が山に向かっているという話はRFAでも話題になっていた。

ところで、中国は今回の地震の規模をマグニチュード7.1と発表している。
これに対し、アメリカの地震局はマグニチュード6.9と発表した。
http://earthquake.usgs.gov/earthquakes/recenteqsww/Quakes/us2010vacp.php
さて、どちらが正しい、というか近いのか?
専門家の間ではアメリカの地震局の発表はほぼ間違いないと思われているが、中国のは恣意的であてにならないことになっている。

ジェクンド大地震 14.4.2010では、なぜ中国が今回7.1という強めの数字を出してきたのか?
ある人は「中国では2008年の四川大地震の後、学校倒壊が問題になった。そこで当局はすべての学校はマグニチュード7.0に耐えるよう設計されるべし、という通達を出した。もしも今回の地震がマグニチュード7.0以下であれば、当局は責任を追及される羽目に陥る。だからこれを避けるために7.1にしたのだ」という。
(マグニチュードだけを基準に建築物の倒壊をうんぬんする国は少ないでしょうが)
真相は容易には判りそうにないが、嘘であることは確かのようだ。

青海総合テレビでは温家宝首相の現地視察と、募金活動の様子ばかり流している。
募金しているのはチベット人の僧侶や学生ばかり、不思議な金の周り方だと思う。

捜索犬が列を組んで飛行機に乗せられて行く、という映像は流れていますが、現地では平地から来た犬も高山病でふらふらになり使い物にならないとか。

青海省宣伝部の吉狄马加部長は「特に救援活動とその成果を取り上げた報道が好ましい。震災救援が順調に行っているというニュースは、よい世論形成につながる」と語った。

ジェクンド大地震 14.4.2010この地区の山間部には昔から遊牧民が多く住んでいた。
政府は近年彼らを強制的に道路わきの集合住宅に移住させた。
ヤクを売り、テントから安普請のコンクリート・ブロックの家に移るしかなかった。
地震で倒壊した家の多くは日干しレンガ積み、或は中空セメント・ブロック積みであることがわかる。

ビデオや写真を見ると、なんと驚いたことに、倒れて地面に転がっている中空ブロックの中身はどれも空っぽだ。
普通日本なら中空部分には鉄筋とモルタルがはいる。
鉄筋はあたり前にないとしても中にモルタルも詰めずにどうやって積み上げて行ったのか?不可解でならない。

おそらく注意深く積み上げた後、壁の外側に仕上げのモルタルを塗るだけで済ませていたのであろう。これでは人が足蹴をくらわしても崩れるほどの脆い壁であったろう。
だから、もちろん彼らの家も壊れた。
生き残った者たちには今、少しずつまたテントが与えられているという。
これもまた中国のキツイ冗談の一つだ。

ジェクンド大地震 14.4.2010 すでに、最初の地震発生から三日目に入った。
地震発生から72時間以内が瓦礫の下敷きになっている人たちの生死の分かれ目とよく言われる。
夜中、氷点下まで下がるこの地では72時間は難しかろう。

もしも、日本で、外国の援助を断って、地震の被害者を数日間も放置した、救出しなかったということが起こったならば、政府は即解散だ。

中国に日本級の救助活動を期待するわけではないが、それにしてもこれが日本なら数千人の命が救われていたことは間違いない。

其々の僧院には、地区ごとに集められた数百という遺体が並べられているという。

ジェクンドの明日の天気は、小雨か雪。
風が強く寒くなるという。

首相によれば法王は「できることなら、すぐにでも現地に行きたい」と側近に語られたという。
チベット人は苦しい時には常にダライ・ラマ法王の名を呼び、助けを求めると知っておられるからだ。
もしも、今法王がジェクンドの廃墟の丘に立たれるなら、それだけでチベット人は千倍勇気づけられることであろうに。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

ちべろぐ

Archives

  • 2018年3月 (3)
  • 2017年12月 (2)
  • 2017年11月 (1)
  • 2017年7月 (2)
  • 2017年5月 (4)
  • 2017年4月 (1)
  • 2017年3月 (1)
  • 2016年12月 (2)
  • 2016年7月 (1)
  • 2016年6月 (1)
  • 2016年5月 (9)
  • 2016年3月 (1)
  • 2015年11月 (1)
  • 2015年10月 (2)
  • 2015年9月 (4)
  • 2015年8月 (2)
  • 2015年7月 (14)
  • 2015年6月 (2)
  • 2015年5月 (4)
  • 2015年4月 (5)
  • 2015年3月 (5)
  • 2015年2月 (2)
  • 2015年1月 (2)
  • 2014年12月 (12)
  • 2014年11月 (5)
  • 2014年10月 (10)
  • 2014年9月 (10)
  • 2014年8月 (3)
  • 2014年7月 (9)
  • 2014年6月 (11)
  • 2014年5月 (7)
  • 2014年4月 (21)
  • 2014年3月 (21)
  • 2014年2月 (18)
  • 2014年1月 (18)
  • 2013年12月 (20)
  • 2013年11月 (18)
  • 2013年10月 (26)
  • 2013年9月 (20)
  • 2013年8月 (17)
  • 2013年7月 (29)
  • 2013年6月 (29)
  • 2013年5月 (29)
  • 2013年4月 (29)
  • 2013年3月 (33)
  • 2013年2月 (30)
  • 2013年1月 (28)
  • 2012年12月 (37)
  • 2012年11月 (48)
  • 2012年10月 (32)
  • 2012年9月 (30)
  • 2012年8月 (38)
  • 2012年7月 (26)
  • 2012年6月 (27)
  • 2012年5月 (18)
  • 2012年4月 (28)
  • 2012年3月 (40)
  • 2012年2月 (35)
  • 2012年1月 (34)
  • 2011年12月 (24)
  • 2011年11月 (34)
  • 2011年10月 (32)
  • 2011年9月 (30)
  • 2011年8月 (31)
  • 2011年7月 (22)
  • 2011年6月 (28)
  • 2011年5月 (30)
  • 2011年4月 (27)
  • 2011年3月 (31)
  • 2011年2月 (29)
  • 2011年1月 (27)
  • 2010年12月 (26)
  • 2010年11月 (22)
  • 2010年10月 (37)
  • 2010年9月 (21)
  • 2010年8月 (23)
  • 2010年7月 (27)
  • 2010年6月 (24)
  • 2010年5月 (44)
  • 2010年4月 (34)
  • 2010年3月 (25)
  • 2010年2月 (5)
  • 2010年1月 (20)
  • 2009年12月 (25)
  • 2009年11月 (23)
  • 2009年10月 (35)
  • 2009年9月 (32)
  • 2009年8月 (26)
  • 2009年7月 (26)
  • 2009年6月 (19)
  • 2009年5月 (54)
  • 2009年4月 (52)
  • 2009年3月 (42)
  • 2009年2月 (14)
  • 2009年1月 (26)
  • 2008年12月 (33)
  • 2008年11月 (31)
  • 2008年10月 (25)
  • 2008年9月 (24)
  • 2008年8月 (24)
  • 2008年7月 (36)
  • 2008年6月 (59)
  • 2008年5月 (77)
  • 2008年4月 (59)
  • 2008年3月 (12)