チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2010年4月12日

ポン湖の野鳥 その2

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Pong Dum数日前、再びポン湖まで野鳥撮影遠征に出かけた。
朝5時、暗いうちにダラムサラをバイクで出発。
一気に坂を下りカングラ盆地を南に走る。
やがて後ろに雪の残るダウラダル山脈が朝日に浮かび上がる。

思ったより朝の風は冷たくて身体が冷える。

7時頃、湖が見える場所まで来た。
しかし、そこからが大変。湖畔は乾季に入り広大な干潟になっていた。
干潟には麦が植えられ、畑と化している。
バイクで畦道をたどりながら、湖に近づこうとするが、途中で道が途絶えたりで、なかなか近づけない。

Pong Wetland道に迷い右往左往していたとき、突然目の前に、人の背ほどもある大きな鳥が二羽麦畑の中に立っているのが目に入った。
ハ!としてバイクをすぐ止め、急いで背負ったバッグからカメラを取り出した。
もうその時にはその大鳥は羽ばたき始めていた。
飛び立つ鳥を追いかけシャッターを何度も押すが、なぜかピントが全く合わない。

大きな鳥は遠くへ消えていった。
この大きな鳥はサラス・クレーンと呼ばれる鶴だ。
本には背が156cmとなっている。
この辺りではこの鳥は神と崇められていると本にある。
その姿は確かに高貴だった。

カメラはその時なぜかマニアルになっており、カメラを向けただけでピントが合うはずもなかったのだ。

またとないシャッターチャンスを逃し、地団太踏み、夜も眠れず、必ずいつか再び神の鳥を撮るためにこの湖に帰ってこようと思うのだった。
もっともこの鳥の生息数は非常に少なく出遭うことは稀なのだそうだ。

本当はこの湖には冬の間に来る予定だった。
冬にはチベットやシベリアから飛来し、この湖を越冬地とする沢山の渡り鳥が観察できるはずだった。
先月から何度もダラムサラの上空を群れをなしてヒマラヤに向かって飛んで行く渡り鳥を見かけた。
もう、遅いことは分かっていた。

Bar-headed Goose( Anser indicus) 75cmしかし、湖畔に着くとすぐに大型の渡り鳥の集団が目に入った。
白い頭に黒い二本の縞模様が特徴のBarheaded Gooseと呼ばれる雁の一種だ。
この鳥は普通3月までこの湖にいて4月にはヒマラヤを越えチベットの湖に向かい、そこで産卵し、子育てをするという。

ある本によればこの雁は冬この湖に1万羽ほど飛来するが、その数は確認されているこの種全体の半分にあたるとか。

ダラムサラに帰ってレストランのソナムにチベットに帰る渡り鳥の話をすると、彼は「渡り鳥はいいよね。鳥には国境なんかなくて、チベットに行くためにパスポートもビザも要らない。バックパックも背負わない。人は大変だよね、、、」とコメントした。

Bar-headed Goose( Anser indicus) 75cmみんなで仲良く、暑くなれば北に飛び、寒くなれば南に飛ぶ。
働かなくても食い物は目の前にある。
自由と言えばこれほど自由な生活はないであろう。

一般に雁や鶴の飛行高度は記録的で9000m上空を長時間飛び続けることができるという。
鶴がエベレスト上空を越えていくという映像も記録されている。
なぜこんな極度の低酸素状態の中で、飛行という激しい運動を続けることができるのか?は研究対象になっているほどとか。

このBarheaded Gooseばかり沢山いたが、他の渡り鳥はみんなチベットやシベリアに帰って行ってしまった後のようだった。
それでも、ダラムサラでは見かけない水鳥たちを追いかけ広い湿地帯をバイクで走り回った。
陽が昇ると気温は一気に上昇する。
この湖の高度は400m。もう昼間は40度近くになる。
10時ごろ帰途についた。
帰りの暑さは尋常でなかった。

River Tern (Sterna hirundo) 36=46cm以下、鳥は写真だけにして、話題を変える。

一昨日は第二土曜日ということで久しぶりにスジャ・スクールのツェリン・ノルブ少年が泊まりがけで内に遊びに来た。
二年前、亡命して来て、それからスジャのOCクラス(正規のクラスに入る前の準備クラス)に入り、今年から晴れて正規の小学6年生になった。
もう16歳になるが、大丈夫、彼は勉強家なのでこれからも飛び級を繰り返すことで遅れを取り返すことであろう。

ところで、ノルブ少年の出身地は、最近ブログにエントリーした「小学生のデモ」が発生したディル(比如)ツァラ郷にとても近いのだ。

そこで、まずはツァラ郷を彼の大好きなグーグルアースで探し、その後、彼にいろいろと質問してみた。

グーグルアースに「比如県扎拉郷」と入れれば、みなさんも小学校まで見ることができる。

比左写真に写っているのがツァラ郷部落!?
深い山奥の谷あいにある小さな小さな、ただの集落に見える。
民家らしき建物は30戸ほどか。
ノルブの推測によれば、村の左手隅にある長手の切妻屋根の建物は中国人が住む建物に違いなく、そのすぐ右にあるグランド(写真では少し雪が積もっている)とそれを囲むようにして建っているのが小学校だという。

彼は一度だけこのツァラ郷に行ったことがあるという。
もっとも「この写真は古いんじゃない?もっと今は建物が多く建っていると思う」とコメントしてた。
この辺の小学校には遠くの村から通えない子供たちが沢山寄宿舎生活しているという。
ちなみに彼の弟二人もディルの小学校の寄宿舎にいるとのこと。
だから案外生徒数は多かったかも知れない。
全校50人程度か?

Small Pratincole (Glarepla  Lactea)17cmそれにしてもだ、こんな超僻地のこんな小さな小学校の生徒たちがなんで中国政府の政策に抗議するデモするの?
素朴な疑問が湧く。

で、ノルブに「何でこんな田舎の幼い子供たちがデモするの?」と聞く。
ノルブ「そりゃ小学生だって中国はうそつきでいやな奴だって知ってる。いろんな差別とかを見て知ってる。
たとえば、遊びで敵・見方に分かれるときには敵は中国に決まってる。
子どもたちは自分たちがチベット人だと知ってる」

名称私「でも、それだけじゃデモしないよね、、、何でデモまでやったのかな?」
ノルブ「それはわかんない」
私「親とか、先生とかがやれって言ったとか?」
ノルブ「そりゃないよ。親とか先生とかは判っていれば絶対止めると思う。やらせないよ」

私「最近アムドとかで中学生とかがデモしてるけど、このことをこの学校の子どもたちは知っていたのかな?」
ノルブ「そりゃ、ありえるよ。チベットじゃ遠くの出来事もすぐに伝わるよ。
ニュースを知ったものはすぐにみんなに伝えるからね」
私「たしかにこの街でもチベット人の口伝えの早さには驚くことが多いよね。
じゃ、彼らも中学生がデモしたことを知って、自分たちもと思ったのかな?」
ノルブ「あり得るんじゃない」

Pied Kingfisher (Ceryle rudis)31cm私「子どもは捕まっても殴られたり、刑務所には入れられないと知ってやったのかな?」
ノルブ「知ってたと思う。自分も国境越えに失敗してシガツェの刑務所に入れられたけど、15歳以下の子は殴られることもないって判ったよ。16歳以上だと拷問も受けるし、刑も受けるよ。中国の法律でそう決まってるらしいよ」
私「じゃ、捕まってるという子どもたちは殴られてもいないのかな?」
ノブル「そりゃ、、、殴られてると思う。デモは逃げるよりも大変だから」

と、こんな話でした。

まず、我々は小学生と聞くと6歳から12歳と思うが、チベットの田舎では学校に行き始めるのが遅いことが多く日本より3~5歳足して考えた方だいいということは知っていた方がいい。

Little Egret 63cm例えばノルブはまだ小学校6年生だが、政治には関心が深い。
町を歩いていて、張り紙に「今日4時よりニマ・ロプタの講堂にて集会あり。議題は<新首相選出>。パネラーは、、、、」とあるのを見つけて、自分は是非参加したいと言い出し、後から一人で出かけて行った。
ブログなどで有名な内地のチベット人作家を沢山知っていて、彼らの新しい本を読みたいという。
最近は学校でチベット問題について話合うことが多いらしい。
みんなで集まって決めたことだと言って、手分けして内地の同年代のチベット人や中国人に中国語系ソシアルサイトを通じてチベットの現状について話合うという。
「中国人は普通すぐに自分たちのことを<分裂主義者>と呼ぶが、中にはそのうち理解してくれる若者もいるよ」とのこと。

ネットを通じて若者中心に想像以上に中と外とのコミュニケーションが進んでいることを知った。

Pharaoh's chichen(Neophron percnopterus) 64cmネットは世界中で独裁体制を倒す大きな影の力になっている。
ネットに始まるチベットの若者の奮闘ぶりはチベットの将来に明るい希望を抱かせてくれる。

国境を越え、情報はどこへでも一瞬にして飛んで行く。
ネットが中国を変えるであろう。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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