チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年4月11日
マチュで僧侶逮捕/脱獄囚が殴り殺される
毎日チベット内地からのニュースが入ってくるので、ダライ・ラマ法王の動向などは後回しになりがちだ。
法王はインド各地で会議や講演会に呼ばれ、「インドはもうカースト制度を捨てよ」などとアドバイスされたのち、スロベニア共和国で大歓迎を受け、9日スイスに入られ今日までスイスにいらっしゃる。
9日にはチューリッヒの街の中心に8000人を超す支援者が集まり、「チベット連帯集会」が行なわれた。
法王は「みなさんはここに正義を守るために集まって下さった。深く感謝している」とあいさつされた。
ところで昨日、墜落事故によりポーランドの大統領以下要人が多数死亡するという大惨事が報じられた。
ポーランドと言えばこのところチベットを強力にサポートしてくれている国だ。
ワレサ氏初め法王と親しく友情を分かち合う要人が多い。
先の戦争で人口の20%を失い、その後の共産党支配の間も人々は苦しみ続けた。
共産党支配から平和的連帯運動により自由を得たという自らの経験からチベットへの共感を感じるのであろう。
法王はこの国の歴史から希望を、人々から心よりの激励を得ていたはずだ。
今回、事故に遭い亡くなった大統領のLech Kaczynskiは2008年法王を大統領官邸に招いている。
同じく元議長のMaciej Plazynskiは2001年法王を議会に招き証言公聴会を開いた。
市民権弁務官のdr Janusz Kochanowskiは2008年以降、北京オリンピックの時などチベットを擁護するために精力的に発言したと言われる。
これらの強力なチベット支援者を失ったことはポーランドだけでなくチベットのためにも損失は多いかったといえる。
よきカルマを積んだ彼らのご冥福を祈る。
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今日も、鉄のカーテンの後ろチベットから漏れ来たった情報がある。
これもまたアムド、マチュの話
RFAチベット語版が4月9日付で伝えるところによれば、
http://www.rfa.org/tibetan/otherprograms/newsanalysis/china-arrested-machu-monk-tashi-gyatso-on-subversive-charges-04092010143136.html
<マチュ県ペルペン郷サルマ僧院の僧侶タシ・ギャンツォ逮捕される>
4月8日早朝4時頃僧院で寝ていたタシ・ギャンツォは突然逮捕されたという。
この情報はダラムサラに在住する彼の兄がRFAに伝えたものだ。
この僧院には前日の4月7日、公安職員などが大勢押し寄せ、「お前たちは過去に何度も政府に逆らうという過ちを犯している。これからよほど気を付けないと大変なことになると知れ」という説教をして帰った。
その翌日、わざわざ朝4時ごろ目立たないように平服を着た公安職員が彼の部屋に入り、彼を連れ去ったという。
兄の話によれば、タシ・ギャンツォの逮捕容疑は、まずネットでチベットの情報を集め人々に知らせたこと、次に電話で外国にチベットの情報を漏らしたこと、最後にRFAやVOAなどを聞いたり見たりしたことだという。
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もう一つの出来事は直接政治には関係ないのだが、チベットの警官や刑務所の看守たちは人を殴り殺すことをなんとも思っていないという例として紹介する。
同じく4月9日付RFAチベット語版によれば、
http://www.rfa.org/tibetan/chediklaytsen/khamlaytsen/kham-stringer/tibetan-prisoner-died-under-torture-04092010140102.html
<カム、カンゼの刑務所を脱獄したチベット人が殴り殺された>
事件は3カ月ほど前に起こった。
カンゼで最大の刑務所からパッサンという囚人が看守を一人連れ脱獄した。
彼が連れだした中国人の看守は2008年蜂起の時チベット人をひどく虐待したことで有名だったという。
パッサンは2カ月後、ニャロン地方の尼僧院に隠れているところを発見された。
ニャロンの警官たちはパッサンに相当の暴行を与えたという。
その後カンゼの刑務所に送り返された。
しかし、そこで再び激しい暴行を受け彼は殺された。
遺体を引き取った家族はその身体があざだらけで無残に変形していることに驚いたという。
家族は検察が何の尋問もすることなくただ殴り殺したことに対し、訴えを起こすと言っているそうだ。
人々の噂では、パッサンが刑務所から脱出できたのは内部でそれを助けた者がいるはずで、彼らはパッサンの口を封じるために殴り殺したに違いないという。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)