チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年3月9日
チベットが独立国であった証拠の数々
ダライ・ラマ法王の大印璽。1909年、チベット国会からダライ・ラマ法王に贈られた。
ーーー
明日はいよいよ「3月10日蜂起記念日」、というかこれを日本の方がご覧になるころはもう10日でしょう。
ダラムサラの3月10日レポートは次回ということにして、今回は「蜂起記念日」を前に、作家であり、独立派の理論的指導者の代表格であるジャミヤン・ノルブ氏が発表したエッセイを紹介したい、、、が今全文翻訳する時間がとりあえずないので、これはどなたかに期待するとして、文中に使われている証拠写真のいくつかだけ以下紹介させてもらいます。
是非皆さんには全部読んでいただきたい。
チベット国旗を掲げ中国との戦いに向かうチベット軍
「INDEPENDENT TIBET – THE FACTS : BY JAMYANG NORBU」
(最初の一節のみ訳します)
<チベットは国家として機能していた>
中国による侵略以前、チベットは独立国家として完全に機能していた。近隣の如何なる国に対しても脅威を与えることなく、自国の民を、長年外国や国際機関の援助なしに、負債なく、確実に養っていた。孤立した神政国家であり近代的民主国家ではなかったが、チベットは国内に法と秩序を維持し、他国と締結した条約や協定を注意深く遵守していた。
チベットは世界でも最も早く、野生動物と環境を保護するための法律を制定した国の一つである。
1642年(ダライラマ5世)の「山谷勅令the Rilung Tsatsik (ri klung rtsa tshig) generally translated as the Mountain Valley Edict.」は(1958年まで)再施行され続けてきた。
1921年、第一回エベレスト登山隊にチベット政府が与えた入山許可証
手紙の中でチベットは宗教的国家であり、古代(earliest times)より独立を保っていると表明され、共産党指導者に対し、その士官たちに決してチベット国内に越境しないよう「厳重な命令を下す」ことを要請している。すでに中国の支配下に組み入れられた地域について、「チベット政府は中国の内戦が終結後、話し合いたい」とも書かれている。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)