チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年2月16日
カトマンドゥ/アムド、アバでロサの座り込み
昨日(14日)、ネパールのカトマンドゥに到着した。
デリーからのフライトの窓から、青い海に浮かぶようにヒマラヤの連山がくっきり見えた。
ああ、帰って来た、また山に行きたいなと思った。
ヒマラヤを見てカトマンドゥに着いた途端に、日本滞在中の心身不調が治った。困ったものだ。
夕方、ボドナートに向かった。去年見たように、ロサを祝うチベット人が大勢、灯明に埋め尽くされた仏塔の周りを右遶していることだろうと想像していた。
しかし、目玉仏塔の周りには去年に比べて人がまばらだった。そして、去年は見なかったネパールの警官隊の列に出くわした。彼らの写真を撮りながらついて行くと、仏塔の北側にある寺の前にチベット人が大勢輪になって集っていた。
壇上にはダライ・ラマ法王の大きな写真を一人のチベット人が高く掲げ、みんなで「チベット国歌」を歌っていた。そこに着いたときには歌も終わりの方で、すぐに歌は終り、みんなでツァンパを空に放りあげていた。
しかし、いつもの祝うためのツァンパ撒きではなさそうだった。そのロサの集会は明らかに抗議と鎮魂のそれだった。
後ろにはネパールの警官隊が棍棒をもって見張っていた。
でも、ツァンパを撒いた後すぐにチベット人たちは散会し、衝突のようなことにはならなかった。
去年、同じロサに同じ場所で眩しいばかりに燈されていた無数の灯明はなく、ただ道の上に直接何本かのローソクが燈されていた。
昨日のパユルによれば、
http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=26618&article=Tibetan+New+Year+marked+with+protest+in+Tibet&t=1&c=12月15日、アムド、アバ(ゥガバ)の中央市場には400人ほどのチベット人が、中国の武装警官隊に囲まれながら、追悼のロサを象徴する座り込みを続けているという。
この座り込みはチベットの新年一日、つまり14日から始められた。
最初はアバのキルティ僧院とシェイ僧院の僧侶たちが座り込みに入った。緊張が高まるのを見て、地元の高僧が僧院に帰るように説得したが、僧侶たちはそれに耳を貸さなかった。それどころか、他の僧院の僧侶や一般のチベット人たちも次々とこれに加わって来たという。
これに対し、すでに軍隊が出動し、携帯やビデオカメラなどで集会の様子を撮影した者たちはすぐに拘束され、携帯などを取り上げられたという。
また、市場に通じる道路はこの集会に参加するために集まるチベット人を阻止するため軍隊により閉鎖されている。
当局はロサに先立って、ロサを明るく派手に祝う者たちには多額の支援金を支給すると広言していた。
これに逆らう形で、アバの人たちは「2008年の一連の平和的抗議デモの犠牲者を追悼する集会」を始めたというわけだ。
新しい情報は入っていないが、現在どのような状況になっているかが案じられる。
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そんなロサを後にして、私は予定になかったが急に明日からまた山に行くことに決めた。二週間、あるものをただ待たねばならない状況になり、街に長く居れない私は山に行くしかない。
今回は「アンナプルナ内院」と呼ばれる、ポカラからほぼまっすぐアンナプルナ連山に向かい、マチャプチャレの裏、4120mのアンナプルナ・ベースキャンプまで歩く、
10日間コースだ。
ポカラまではある撮影分隊と一緒に行き、そのあとは一人で歩く。
山に入るとブログはなし。また里に降りたら山や鳥や花の写真など紹介させてもらいます。もっとも今はまだ冬。雪山と星ばかりの世界でしょう。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)