チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年2月3日
会談が終って
対談とか会談とか言うと何だか聞えはいいが、チベット・中国会談は最近ますますただ双方土俵やリングに上がっただけ、状態だ。
日本の各新聞も「対談に成果なし」の記事を出しているが、読んだ人は「双方譲らないのだな。ダライ・ラマは独立を要求しているのか(?)」というほどの印象しか残らないのではないだろうか。
本当は「土俵に上がっている」のはチベット側だけなのだ。中国側はダライ・ラマ側がまず「独立を放棄」しない限り、話合いのベースもない、と今回も言ってる。この話はずいぶん古い話で、30年も前に鄧小平がダライ・ラマ法王の実兄ギャロ・ドゥンドゥップ氏に「独立要求を下すなら、他は何でも話し合う用意がある」と言ってきたが故に、法王は80年代初めに、強い反対にも関わらず大きく譲歩して「軍事、外交権を中国に任せる=独立を求めない」と世界に宣言したのだ。それから、法王は機会あるごとに百万遍このことを繰り返し宣言している。中国は結局「お前は嘘を言ってるだけだ」と言って、土俵に上がることさえ怖がっているのだ。
昨日発表された特使の声明文の中においても
http://www.phayul.com/news/article.aspx?c=2&t=1&id=26526&article=Statement+of+the+Special+Envoy+on+the+9th+round+of+talks
ギャリ・リンポチェは「ダライ・ラマ法王は、チベットの将来についての話合いは中華人民共和国の枠内で行われる、という立場をかねてより常に表明し続けているのであるから、中国政府指導部がなぜこの問題に対し、共通の土台がないと言っているのか理解できない」と述べている。
声明では結局「チベットの現状に対する双方の認識の違いが大きい」として、「双方がチベットの現状について合同調査を行なうこと」を提案したという。これが受け入れられるとは到底思えない唯一の提案だったようで、他には合意されたことなども何もないそうだ。
法王は愛する国民を人質に取られているのだ。譲歩していないわけがない。侵略されたのだから元に返すために独立を求めるのは当たり前だがそれを捨て、ダライ・ラマの地位のみについて話合うと言い、行かないでもいい会談につきあい、本当の指導者ではない、ただの少数民族委員会のような統一戦線の幹部たちに呼ばれただけでも、わざわざ出かけて行くのだ。結果が出ないのは解っていても、利用されるだけと解っていても、「話合うしか他に方法はない」と覚悟して何度も出かけているのだ。
声明も涙が出るほど、控え目だ。
ところで、二日付の新華社には統一戦線工作部の朱維群副部長が記者会見の席上、記者の興味深い質問に答えている。
http://jp.f41.mail.yahoo.co.jp/ym/ShowLetter?MsgId=1367_18918650_3923293_4250_3959_0_166272_12504_3483746023&Idx=10&YY=99858&inc=25&order=down&sort=date&pos=0&view=a&head=b&box=Inbox
記者「ダライ・ラマが死んだ後はどうなるのか?」
朱「チベットの将来についてはチベット族を含めた中国人が決定する」
記者「ダライ・ラマが亡くなったらチベット問題の解決はより難しくなると思うか?」
朱「75歳になる老人の死の可能性について話すということは、中国では礼儀に反することだ。我々は彼が長生きすることを望む。中央政府は75歳になるダライ・ラマが、外国で死ぬことを望まず、死ぬ前に自身の問題を解決することを望む」
こんなことも言ってる。
「1959年の反乱以来、ダライ・ラマは自分が故郷に帰る道から遠ざかるようなことばかりやっている」
「ダライ・ラマが死んだ時、彼に従う者たちは自分たちの将来についてよく考えることだ」
また質問に「ダライ・ラマが死んだら、暴動やテロリスト活動が活発になると思うか?」
朱「外国に住むチベット人たちは大方平和を愛するようだ。、、、暴力に走るものも少しはいるかも知れないが、暴力やテロは結局失敗するものだ」
と答えたそうだ。
オバマ大統領とダライ・ラマ法王の会談は今月17日以降、おそらく21日までの間に行われると思う。オバマ氏は去年11月に中国を訪問した時に、すでに「ダライ・ラマ法王に会う」ということは伝えてあったという。「ダライ・ラマ法王との対話を行なうように」とも要請していたわけだから、中国はこれでちゃんと言われたことはやったと思ってる。
同時にオバマ大統領に対し「本気にダライ・ラマと会ったら、ただでは済まさないぞ!金が欲しくないのか?」と脅す機会を作りたかったとも言えよう。
日本の新聞記事を見ててちょっと気になる言葉がある。「高度な自治」という言葉だ。
「高度」と言うと何だかすでに「普通の自治」はあるのに、図々しくももっと「高度な」自治を求めているような、人によっては中国が言うように「半独立」や「独立」を求めているようなイメージに繋がらないとも言えない形容詞に見える。
英語の「Genuine Autonomy」を誰かが「高度の自治」と訳したのだろうが、この「Genuine」は「名のみでない、実体の伴った、本当の、真実の」という意味だ。何も特別な高度の自治を求めているわけじゃない、普通の自治でいい、言葉だけじゃない「真の自治」が欲しいだけだと言っているのだ。だから今度からチベット側は「真(実)の自治」を求めている、とか言ってほしいと思うのだ。
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追記;書くつもりで忘れてた事を思い出した。
特使たちが最初、北京に行かずにデリーから湖南省に向かったのは何のため、という話。
湖南省には長沙という毛沢東の故郷がある。
中国側はダライ・ラマの特使たちを接待するつもりで、毛沢東の生家「毛沢東故居」に連れて行ったそうだ。
120万人ものチベット人を殺した張本人の生家にダライ・ラマ特使を連れていくとは、これはもうブラック・ジョークだ。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)