チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2010年1月19日
10人のネパール越境チベット人は国連に引き渡された
17日にお知らせした、ネパールのドラカで拘束された10人のチベット難民は無事UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に引き取られました。
これは18日付パユルからの情報です。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=26431&article=Nepal+hands+over+detained+Tibetans+to+UN%3a+report
それによれば、ネパールの移民局は彼らを尋問した結果、反中国運動のためではなくインドにいるダライラマに会うために越境してきたことが判明したので、国連に引き渡したという。
ネパール当局は当初、盛んに「彼らは中国大使館に引き渡されるであろう」と言っていたそうだ。それなのに、意外とあっさりUNに引き渡したのは、やっぱり、外が騒いだことが影響したのか?
ネパール政府や軍隊、警察が、国境を越えてきたチベット人たちを、中国側に引き渡すということは、これまでにも何回もあったのだ。一部報道はこれまでにネパールから中国に引き渡された亡命チベット人はいないと言っているのは間違いだ。
例えば、2003年6月に18人のチベット人がコダリで中国側に引き渡された様子はパユルの以下の記事に詳しくレポートされている。
http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=4280&t=1&c=1
友人でもある元政治犯のチベット人は、95年頃、ヒマラヤ越えの後、ネパール側で軍隊に捕まり、中国国境へとトラックで護送される途中、トラックから谷に飛び込んで助かったと私に話した。
そのほか、国境付近でネパールの警官や軍隊に見つかった場合は金を要求されるというケースが多いと聞く。
何日か拘留されたのち、国境付近まで連れて行かれ、「帰れ」と言われて解放されたというのもある。
これからも中国の圧力により、国境警備は益々厳しくなり、UNの力は弱くなるばかり。亡命するチベット人たちのリスクは増すばかりだ。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)